第91話 四人目の妻が、突然来てしまった
本来であれば、国王が代わる際には、王族の間で熾烈な争いが起きるのが常であり、戦によって交代するならば、必ずと言っていいほど多くの血が流れるものだ。
だが俺は、一滴の血を流すことなく二国を治める立場に就いた。
ヴェリル様から授かったバランススキルのおかげで、ここまで来てしまった。
本音を言えば、もう少しゆったりとした歩みで進みたかった。
だが、王となった以上は国民が幸せに暮らせるよう努めるしかない。
それが、ヴェリル様との約束でもあるのだ。
***
旧グレイス王国の王宮――セラフィナ城には、父と母リリア、そして妹リリィに住んでもらうことにした。
一方、俺と三人の妻たちは、これまで通りフォルトゥーナ宮殿を王城として暮らす。
フォルトゥーナ宮殿では外交・軍事・国としての重要な決定を行い、日々の行政実務はセラフィナ城で父が取り仕切る。役割を分けることで、どちらも無理なく回せる体制が整った。
「遠すぎるのではないか」と一度は心配されたが、そこは問題にならない。
レグニアがいる以上、旧グレイス王国のセラフィナ城だろうと、旧ソレイユ王国の宮殿だろうと、瞬間移動で行き来できてしまうからだ。
距離は障害にならない。
もっとも実際の行政実務の多くは、父にお願いしている。
「ケイス、お前な……」と苦言を呈されたが、その顔はどこか楽しげに笑っていた。
実務に精通した父の手腕は頼もしく、国の運営は驚くほど滑らかに回り始めていた。
***
使者として、ノルド王国を訪問していたエスヴァンが、無事に使者としての役目を果たし帰国してきた。
彼の緻密な交渉術は見事であり、ひとまずノルド王国との間に形式的な平和の確認を取りつけることに成功していた。
「ご苦労だった、エスヴァン」
「いえ、当然の務めでございます」
彼は控えめに頭を下げたが、その目には充実した光が宿っていた。
だが内心、俺は心苦しかった。
彼がノルド王国に行っている間に、旧グレイス王国もアーサー王国になってしまったからだ。
再度、使者を送って説明しておかないといけないだろう。
当然、ルクシオン王国、エルディア国にも行ってもらわないといけない。
そう思いつつ彼に事情を説明した。
「少し休んでからで構わないが、頼む」
そう言うと、エスヴァンは驚くほど嬉しそうに微笑んだ。
彼にとっては国のために働くことが誇りなのだろう。
(……本当に、良き臣下を持てて幸せだな)
心からそう思った。
***
そうこうしているうちに――。
フォルトゥーナ宮殿に、思いもよらぬ来訪者が現れた。
エクリプス総督の娘、ディアナだ。
漆黒の長い髪を背に流し、月の光を思わせる涼やかな瞳を持つ女性だった。
毅然とした立ち居振る舞いには、彼女がただの娘ではないことがはっきりと表れていた。
本来なら事前に妻たちに知らせるべきことだったのだが……。
「……あ」
ディアナの馬車を迎えた瞬間、俺は大事なことを思い出した。
妻たちに、この件を何ひとつ伝えていなかったのだ。
(忘れたまま、ずるずると時間が経ってしまっていた……)
(これは――まずい)
***
応接間でディアナを迎えたが、その場の空気は凍りついていた。
「ケイス様……これはいったい、どういうことですか!」
真っ先に口を開いたのはレオナだった。
彼女の声には怒りよりも失望の色が濃い。
「エクリプス総督の娘を迎えるなど、そのような大事なこと! 私たちに何も知らせず、黙っていたのですか?」
レオナの隣でノエリアが静かに、しかし確実に追い打ちをかけた。
「アルベルト王の件、ノルド王国への使者の件……色々あって大変なのは理解しています。ですが、だからといって私たちに黙っていて良い理由にはなりません」
エリュシアも上目遣いで俺を見た。
「ノエリア様と同じ気持ちです……でも、ディアナ様がどんな方か、少し気になります」
そう言いながらちらりとディアナに視線を向ける。好奇心が怒りを上回っているのが丸わかりだった。
(エリュシア、それは正直すぎるぞ)
三人の視線が一斉に突き刺さる。
さすがの俺も、この時ばかりは笑ってごまかすことができなかった。
「……ごもっともです」
深く頭を下げるしかなかった。
「言い出せないまま時間が経ってしまったのは事実で、弁解の余地はない。本当に申し訳なかった」
「ただ、聞いてほしい。エクリプス総督を旧ソレイユ王国の統治者として残す以上、彼の娘が私の妻であるという事実が必要だったのだ。どうしても必要な決断だった……ということは、わかってほしい」
「……そういう理由で、ということですね」
レオナが確認するように言った。
「そうだ。ディアナの立場も考えて、どうか仲良くしてほしい。この通りお願いします」
俺は深く頭を垂れた。
三人はしばし沈黙し、互いに視線を交わす。
怒りは完全に消えてはいないが、理解はしてくれたようだった。
***
そのやり取りを黙って見ていたディアナが、ふっと微笑んだ。
「……安心しました」
「え?」
「ケイス様が、王妃様方から心から愛されていること、そしてケイス様の誠実なひととなりも知ることができました」
彼女の声には、素直な安堵が滲んでいた。
「旧ソレイユ王国の荒れ果てた畑を豊かに変えてくださったと聞き、心から感謝しておりました。ですが、父から"ケイス様の妻になれ"と言われ、一度も会ったことのない方の元へ嫁ぐことは不安で仕方なかったのです」
「……そう言ってもらえると助かる」
ディアナは真っ直ぐに俺を見つめ、その瞳に迷いはなかった。
「どうか、旧ソレイユ王国の民を、そして父をお助けください。父は強いように見えて、本当はずっと孤独に耐えてきました。民のために尽くしてきたのも事実です……」
その言葉に俺は頷いた。
「もちろんだ。私は民を幸せにすることを神と約束している。エクリプス総督の素晴らしさも知っている。一緒になって民を幸せにしていこうと思う」
「それと、レグニアに頼めば、いつでも総督が執務を行うサンディア宮殿――旧ソレイユ王国の王宮へ瞬間移動できるからね。ディアナも総督に会いたくなればいつでも会える。心配しないでいいからね」
「ケイス様は……やはり使徒様なのですね。そんなお方の妻となれること、光栄に思います」
「いや、俺は運がちょっと良いだけの、ぽっちゃり王だよ」
そう言うと、ディアナがくすりと笑った。
その笑顔は思わず見とれるほどに美しかった。
気づくと、三人の視線が俺に刺さっていた。
(また、やってしまったか)
レオナが静かに、しかし確実に言った。
「ケイス様。今、見とれていましたね」
「き、気のせいだよ」
「気のせいではありません」
三人の声が、見事に揃った。
ディアナは少し頬を赤らめながら、それでも落ち着いた声で言った。
「王妃様方……どうかよろしくお願いいたします」
その一言で、場の空気がわずかに和らいだ。
三人もそれ以上は追及せず、静かに頷いた。




