第90話 国ごと、まるごと丸投げされました
数日後――。
アーサー王国からの使者を受けて、ルクシオン王国からは盛大な祝賀の品々が届けられた。さらにエルディア国からも、お祝いの使者が到着する。
王女たちがそれぞれ国へ口添えしてくれていたこともあり、両国からは心からの歓迎の意が示された。これで三国の絆は一層強まり、アーサー王国の立場も盤石なものとなった。
だが――グレイス王国から届いた知らせは、予想外のものだった。
「国王が、直ちにアーサー王に会いたいと申しております」
使者はそう告げた。
胸の奥に嫌な予感が広がっていく。
***
レオナとともにグレイス王国の王宮へ赴くと、そのまま王の執務室に案内された。
「よくぞ来てくれた、アーサー王」
そこにいた王の姿は、すっかり疲れ果てていた。声にはもはや王としての威厳よりも、長年の重責に押し潰された老人の弱々しさしか残っていなかった。
「ケイス! お前に、国を譲りたい……」
あまりに単刀直入な言葉に、思わず二人とも息を呑んだ。
「お待ちください。私はソレイユ王国を任されたばかり、当分の間は旧ソレイユ王国の再建に力を注がねばなりません。そこに、さらにグレイス王国まで抱えることなど……」
「わかっている……だが、私はもう王を続ける気力を失ってしまったのだ」
その目は虚ろで、深い疲労の色が刻まれていた。
「毎日、山のような案件が持ち込まれる。だがどう判断すればよいのかわからない。貴族たちが勝手に税を取り立てているのもわかっている。だが……どうすればいいのかわからないのだ」
王は静かに続けた。
「わかっていても、何もできない。そういう日々が続いてきた。いつの間にか、ただ見ているだけになってしまった」
「……私には荷が重い、もう務まらぬ」
アルベルト王は自嘲するように肩を落とした。
横に立つレオナは、その姿を黙って見つめていた。
長い年月、父である王を間近で見続けてきた彼女には、王の心境が痛いほどわかるのかもしれない。
やがてレオナは、王女としてではなく、一人の娘として口を開いた。
「ケイス様……どうか、父に代わってグレイス王国を、そして父もお救いください」
娘からも願われ、結局、俺はグレイス王国を引き受ける決断を迫られた。
(アルベルト王からは今までもいろんなことを丸投げされてきたのだが……とうとう国ごと、まるごと丸投げされてしまったか)
引き受けを承諾した瞬間、アルベルト王の表情が変わった。
長年背負ってきた重荷を、ようやく下ろしたような顔だった。
***
レオナとケイスが退出した後、王の執務室のなかで、珍しく陽気な独り言がこだました。
「よし……よーし! ケイスの気が変わらないうちに、全部片付けてしまおう!」
「貴族どもを一人ひとり訪ねて、説得して回る。やればできる。絶対やるぞ。よし、やるぞ!」
「まずは、あいつのところだな。次はこいつ。よし、行くぞ。よーし!」
背中に背負った重い荷物がなくなり、幸せしか感じない。
(成功する気しかしない)
(王を辞めたらなにするかな。考えただけで元気が湧いてくる)
それからの日々、今までに見たことのない情熱を掲げて行動するアルベルト王を見ることになった。
彼は国内の有力貴族たちを一人ひとり訪ね歩き、驚くほどの行動力を発揮した。
「グレイス王国はアーサー王が引き継ぐ」
今までにない力強さで、説得して回ったのだ。
今まで腑抜けのように見えていた王が見せる、まるで別人のような情熱と気迫。
その迫力に、貴族たちも次々と押し切られていった。
王の本気が、周囲の心を動かしたのだ。
***
一ヶ月後――。
アルベルト王は、元国王としてアーサー王国のフォルトゥーナ宮殿へと向かっていた。彼自身が強く望み、宮殿の傍らに建てられた教会に身を置くことを選んだのだ。
馬車に揺られながら辿り着いた先に広がっていたのは、白亜のフォルトゥーナ宮殿。そして宮殿の近くに建てられた新しい教会だった。
「……ここが……ヴェリル神を祀る教会か」
アルベルトは馬車を降り、しばし教会を見上げた。
教会の中では、元大教皇アウグストが民とともに祈りを捧げていた。
アルベルトの姿を認めたアウグストは、静かに近づいてきて深々と頭を下げた。
「陛下……いえ、すでに王位を退かれたお方に、その呼び方はふさわしくありませんね」
アルベルトは苦く笑みを浮かべた。
「アウグスト殿……私は王としての資質を欠いておりました。もちろん責務を果たそうとした時期もあった。しかし結局は何もできず、国民を苦しめるばかりとなってしまったのです」
アルベルトの声は静かだった。
長年胸の奥に沈めてきた言葉が、ようやく外へ出てきたような、そんな響きがあった。
アウグストはしばし沈黙し、それから静かに語りかけた。
「神の御前で自らの過ちを口にされた――それだけで立派なことです。あなたのように、王として民の苦しみを近くで見てきた方だからこそ、民の心に寄り添えるはずです」
「ここで一人の神父として、民に寄り添う人生は、あなたに安寧なる日々をもたらすでしょう」
アウグストの瞳は揺るぎなく、真っ直ぐにアルベルトを見つめていた。
その視線に耐え切れず、アルベルトは膝をつき、やがて涙をこぼした。
「……そうさせていただきます」
「神は必ず、あなたの心を受け入れてくださいます。ともに歩んでいきましょう」
こうして、かつてのグレイス王国の元国王アルベルトは、王冠を捨て、一人の神父として教会に身を置くことを決めたのだ。
***
「ケイス様、これで良かったのでしょうか」
レオナが静かに問いかける。
俺は小さく息を吐き、頷いた。
「……ああ。アルベルト元国王は、王位を捨て一人の神父として生きることで、心の平穏を取り返すことができると思います」
窓の外には、夕陽に照らされた教会が輝いていた。
その鐘の音が、グレイス王国の元王の新しい人生の始まりを告げていた。
(それにしても……国ごとまるごと丸投げか)
(のんびり暮らしが遠のいていく……)
鐘の音を聞きながら、俺はそっとため息をついた。




