第89話 のんびりしている場合では、なかった
ソレイユ王国がアーサー王国となったことを知らせるため、まず俺は頼りになる三人の妻に相談した。
「ルクシオン王国、エルディア国、そしてグレイス王国へ、"ソレイユ王国がアーサー王国に改まった件"を正式に伝えたい。儀礼に則った使者は、外交官のエスヴァンに任せるつもりだ」
「ただし――アルベルト王にはレオナから、レオンハルト王にはノエリアから、ティルフィア女王にはエリュシアから。それぞれ私的に知らせておいてほしい」
三人は揃って頷いた。
「問題は……ノルド王国だな。アーサー王国ができた当初は、グレイス王国の領内にぽつんとある、子どものような小国にすぎなかった。ノルド王国からすれば、眼中にもなかっただろう。だからこそ、わざわざ使者を送ることもしなかった」
レオナが小さく眉を寄せた。何かを考えているような顔だった。
「だが今度は、正式に使者を送らねばならない。それに、グレイス王国とノルド王国には、当然ながら外交関係があるはずだ。アルベルト王に口添えしてもらえば、使者を受け入れてくれるはずだ……」
そう告げると、レオナが神妙な面持ちで口を開いた。
「ノルド王国は、ひたすら戦を繰り返す厄介な軍事大国。正直、あまり関わりを持ちたくない国なのです」
「もちろん、グレイス王国とノルド王国は大昔に平和条約を結んでいます。歴代の王は友好関係を維持するため、グレイス王国から定期的に使者を送り、ノルド王国から返答の使者が来るという形を続けてきました」
レオナの声が、わずかに落ちた。
「ただ……父アルベルトが王位に就いてからは、険しい山岳地帯が国境を守ってくれると安易に信じ込み、使者の往来が途絶えてしまっています」
(アルベルト元国王……何もしてこなかったのか。よく今まで、この王国を保てたものだ)
俺は苦笑するしかなかった。
胸の奥には不穏なざわめきが残っている。
軍事国家ノルド王国。これまでグレイス王国がほとんど関わることなく放置してきた大国。
俺は腕を組んで考え込む。
「軍事国家……力を誇示することでしか己を示せない国。そういう相手に正式な使者を送らなければ、どうなるだろうか?」
「侮辱と受け取られるでしょうね」
エリュシアが、いつもの好奇心とは違う、珍しく真剣な顔で言った。
「……力ある国ほど、形式を重んじます。たとえ形だけの文でも、必ず送らねばならないでしょう」
「でも……送ったら送ったで、向こうがどう出るか……」
ノエリアが不安げに声を落とした。
俺は静かに言葉を継いだ。
「グレイス王国の子供のような小国だったアーサー王国には、今まで興味も持ってなかったはず。だが――旧ソレイユ王国を立て直し、自国領にしてしまった今、どう見るか……」
三人が、黙って俺の言葉の続きを待っていた。
「アーサー王国を取り込めば、グレイス王国内にノルド王国の拠点ができる。おまけで、旧ソレイユ王国領も丸ごと手に入る。ノルド王国にとっては、おいしい話にしか見えないだろうな」
その言葉に、三人の妻は一様に黙り込んだ。
重苦しい空気の中で、俺は決断した。
「……とにかく、エスヴァンを呼んでくれ。彼の意見を聞きたい」
(それと……ヴィクトール総督の娘、ディアナのことも、そのうち妻たちに話さなければならない)
(どうすべきか……まだ整理がついていない。今日のところは黙っておくか)
重苦しい問題が、また一つ胸の奥に積み上がった。
***
ほどなくして現れたエスヴァンは、落ち着いた声音で言った。
「グレイス王国とノルド王国の間には平和条約が存在します。しかしアーサー王国とノルド王国の間には、まだ何の条約も結ばれていないのが現状です」
「……ということであれば、ノルド王国がグレイス王国に兵を送ることは条約違反になりますが、傭兵を雇ってアーサー王を捕らえることは、条約違反にはなりません」
「ノルド王国は……そういうことを、躊躇なくやる国だということだな」
俺は静かに息を吐いた。
「アーサー王国が旧ソレイユ王国を領有したことを、あの国はすでに知っているかもしれない。知れば、必ず動く。ならば先手を打つしかない。いち早く平和条約を締結しないといけない」
「はい。軍事国家ですから常に周辺国を探らせています。すでに"アーサー王国が旧ソレイユ王国を領有した"ことは知っていると考えるべきです。とにかく早急に平和条約を結ぶことが肝要。私の方で直ちに準備にかかります」
「必要な護衛や外交資金は、こちらで用意する。遠慮なく言ってくれ」
「ありがとうございます。ソレイユ王国時代は、王室から妨害ばかり受け苦労しましたが、今回の仕事は大いに遣り甲斐があります。お任せください」
(この人は本当に仕事が好きなんだな)
(良き臣下を持てて、ありがたい)
「頼む。期待している」
「全力を尽くします」
エスヴァンは一礼し、執務室へと向かっていった。
***
「ところでレオナ。エスヴァンは『ノルド王国は常に周辺の動きを探っている』と言っていたが、グレイス王国にも諜報部隊はいるのか?」
「いえ、聞いたことがありません」
「そうか……アルベルト元国王らしいな。ルクシオン王国や、エルディア国にはいるのかな?」
「ゼルヴィウス王の頃には、諜報部隊がいたと聞いています」とノエリア。
「エルディアには、そういう部隊はいません」とエリュシア。
俺は小さく頷いた。各国の体質の違いが、こうしたところに表れている。
(この国にも、いずれ諜報の仕組みが必要になるかもしれない)
(やっと、のんびり暮らせそうだったのに……やることが、どんどん増えていくじゃないか)
***
その夜――
窓の外に広がる湖を見つめながら、俺は深く息を吐いた。
アルベルト王……本当に何もしていなかったのだな。
よく今まで王国を保てたものだ。
「自分には王の務めは合わん」と嘯いていたが、まさしくその通りだな。
闇に包まれた空を見上げると、不気味に光る北の星が、まるでノルド王国の存在を示しているようだった。
(いずれ必ず、あの危険な国が牙を剥く日が来る……)
俺は胸の奥に芽生えた重苦しい予感を振り払うように、拳を固く握りしめた。
(それに……ディアナのことも、早く妻たちに話さなければならない)
(どう切り出したものか……帰国した開口一番に伝えるべきだった)
北の星を見上げたまま、俺はため息をついた。
外の脅威より、身内への報告の方が、今は正直怖かった。




