第88話 三ヶ月という時間が成し遂げた
ケイスとレグニアは、オルバ村で行ったことと同じ作業を、ソレイユ王国内のあらゆる村で繰り返していた。
瞬間移動で次々と村を巡り、畑の中心に立ち、スキルを発動する。
荒れ地が一瞬で肥沃な土壌に変わり、農民たちの歓声と涙に迎えられる――その光景が何度も繰り返された。
だが、村の数は膨大だった。
何度目かの移動の後、ケイスは気づかぬうちに膝に手をついていた。
レグニアが無言で水を差し出す。
「……ありがとう」
エクリプス子爵は、村から村へ移るたびに農民たちに声をかけ続けていた。
疲れを見せることなく、ひとりひとりに言葉を掛ける姿に、ケイスは黙って頭を下げた。
(ここで諦めたら……また民が飢える)
それだけを胸に、次の村へ向かった。
***
三ヶ月が経過したころ――
予定していた農地の復旧作業が、ほぼ終わりを迎えた。
それと並行して、ソレイユ王国が備蓄していた食料も、各村へと配られていった。
荒れ果てていた大地は再び緑を取り戻し、村々の煙突から久しぶりに煮炊きの煙が立ち上った。
子どもたちは畑を駆け回り、老人たちは涙ながらに土を撫でる。
エクリプス子爵は、煙の立つ村を遠くから眺めながら、長い息をついた。
俺は何も言わなかった。言葉は、要らなかった。
ソレイユ王国は、ようやく飢えから解放された。
三ヶ月という時間が、それを成し遂げた。
***
その夜、ソレイユ王国の宮殿の一室で横になっていると、頭の奥に静かな声が届いた。
『ケイス、お疲れ様。三ヶ月、よくやり遂げた』
『……ヴェリル様』
『ソレイユ王国の民の顔が、ずいぶん明るくなったぞ。本当によくやってくれた』
俺は目を閉じたまま、静かに答えた。
『民が笑えるようになったなら、それで十分です』
『……そういうところが、お前の良いところだな』
声が消えた後、しばらく目を閉じていた。
三ヶ月ぶりに、ゆっくり眠れる気がした。
***
翌朝――
ソレイユ王国の謁見の間。
豪奢な天蓋の下、レオナルド王が重臣たちを従え、ケイスたちを待ち受けていた。
昨夜の静けさとは打って変わり、広間には緊張した空気が漂っていた。
「アーサー王。いや、幸運のひと。……この国を救ってくれた恩に対して、約束通り、この国の王位をあなたに譲ります」
そう宣言した王の言葉に、重臣たちは一斉に頷いた。
誰もが同じ気持ちだったのだ。
死にかけていたソレイユ王国を蘇らせたのは、ケイスの力。
瞬時に荒れた畑を豊かな大地へと変える奇跡。
それを目の当たりにした者なら、誰も異を唱えなかった。
(……ソレイユ王国とグレイス王国、二国を治めることが、俺に本当にできるのか)
謁見の間の静寂の中で、その問いだけが頭の中を巡っていた。
***
その後、俺とレグニア、そしてエクリプス子爵は、レオナルド王の執務室へと移動した。
扉が閉まると、部屋の空気が変わった。
「ソレイユ王国で起きたことは、どの国でも同じ構図で繰り返されています」
俺は静かに切り出した。
「グレイス王国でも、ルクシオン王国でも……元凶は同じ――貴族制度そのものです」
俺は続けた。
「国を蝕んでいるのは、貴族が既得権として領地を握り、民を治めていることです。人徳ある貴族なら領民は幸せですが、そうでなければ必ず同じ悲劇が起こります。私の国では、貴族制度を設けていません。臣下には能力に応じた職と俸給を与える仕組みとしました」
エクリプス子爵が深く頷きながら、憂いを帯びた声で口を開いた。
「素晴らしい仕組みだと思います。しかし、貴族を一気に排除しようとすれば……必ず内乱が起こるでしょう。民を再び戦火に巻き込むことだけは、何としても避けねばなりません」
レオナルドも重々しく言葉を継いだ。
「私も同じ考えだ。急激な変革は国を壊す。だが、このまま貴族の横暴を放置すれば……また同じことを繰り返すことになる」
室内に沈黙が落ちた。
やがて、レオナルドが続けた。
「中途半端な対策となるが、まずは貴族制をこのまま継続する。だが少しずつ、確実に貴族を減らしていく。時間をかけて、貴族たちにも民にも混乱を与えぬように……」
エクリプス子爵が深く頭を下げた。
「アーサー王には、物足りない変革かもしれませんが。私もゆっくり変革する方が良いと思います。もちろん並行して貴族の違法行為を厳しく取り締まる組織が必要でしょう」
(急速な変革は、不安や軋轢を生む。時間をかける方が正しいかもしれない)
「ところで、私の本拠地はフォルトゥーナ宮殿としたい。神様がかつて神殿として使っていた場所でしてね……」
その話を聞いて、レオナルドとエクリプス子爵が目を見開いた。
「アーサー王は、神の使徒様でしたか」
「いえ、たまたまいろんなことが運良く片付く、"ぽっちゃり王"にすぎませんよ」
二人の表情が、少し和らいだ。
「ソレイユ王国は、アーサー王国と名前は変わりますが、レオナルドにこの国を治めてもらいたい。エクリプス子爵はその筆頭重臣として支えてほしい」
「アーサー王、それはやめておきます。私が国を治める立場で残れば、要らぬことを考える者たちが出てくる。貴族を減らしていく政策がやりにくくなるでしょう。アーサー王の代行として、この国を治めるのはエクリプス子爵が相応しいと思います」
「……エクリプス子爵、大任だが頼む。国民もあなたであれば納得するだろう」
「わかりました。ですが、そのためにアーサー王にお願いすることがあります。私の娘を妻にもらってください。この国を治めるには何かしらの理屈が必要になりますから」
「え、私にはすでに三人の妻が……」
「三人いれば四人目も同じことでしょう。どうかお願いします」
こうして、思いがけない形で四人目の妻が決まることになった。
「承知しました。ヴィクトール総督としてアーサー王国ソレイユ領の統治をお願いします。レオナルドはフォルトゥーナ宮殿でのんびりされてはいかがですか」
「アーサー王、それがいい。これで体制は決まったな」
こうしてソレイユ王国の未来を決める話し合いは終わった。
だが、これが最善かどうかは、これから先にしかわからない。
(……またやることが増えた。どこまで続くのだろう)
(妻も増えてしまったし、どう伝えるかな)




