第86話 その目に、嘘はなかった
ケイスは、レオナとともにグレイス王の執務室へと足を運んでいた。
宮殿の一角にあるその部屋では、机の上に山のように積み上げられた書類が乱雑に置かれていた。
(あれは、王が決済しなければならない書類では……?)
(その書類については、見なかったことにしよう。また丸投げされかねない)
この執務室の主である王は、椅子にもたれて、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
「陛下。ソレイユ王国について、レグニア殿が調べてきてくれました。これからお伝えします」
レオナが口火を切ると、王はゆっくりと顔を上げた。
ケイスが一歩前に進み、報告を始めた。
話は長くなった。
エクリプス教団の真相から、ライオネル王の末路、そして荒廃した農地のことまで、順を追って伝えた。
「……というわけで、ソレイユ王国が深刻な窮状に陥っています。重税に苦しんだ農民たちが畑を捨て、国中の農地が荒れ地となりつつあるようです」
だが王は、窓の外に目を向けたまま、深刻さを感じている様子がない。
軽い調子で笑みを浮かべているだけだ。
「そんなに困っているのなら、助けてやればよい。ケイス、お前ならできそうじゃないか……運がいいからな」
あまりに気楽な返事に、ケイスは言葉を失った。
(……このひとは、自分で考えることをやめている。本当に追い詰められるまで動かないひとだ)
いつものことではあるが、隣でレオナが静かに目を閉じた。
「陛下……」
***
レオナが何か言いかけたが、その前にグレイス王は手を振って続けた。
「いやいや、私もソレイユ王国のレオナルド王と同じ気持ちだ。もしお前が上手くやれるのなら、我がグレイス王国の政も、そっくり頼んでしまおうかと思っている。私にはどうも、この王の仕事は性に合わんのだ……」
「……今、何と仰いましたか」
俺は思わず聞き返した。
レオナが静かに固まっていた。
王は真顔で言うのだ。
「ケイス、お前のこれまでの働きを見てきて思ったのだ。私は王に向いていない。いつもこんな感じで、決済書類は山のように積み上がり、処理をしようにも頭が痛くなるばかりだ……」
「……ケイス、頼む。私はお前のフォルトゥーナ宮殿、いや教会で、余生を神に祈りながら静かに過ごしたい。きっと幸せに過ごせると思うのだ……」
そう言って、王はうれしそうに微笑んだ。
(……要するに、仕事から逃げたいだけではないのか。それをかなり格好よく言っただけで)
「陛下……無責任にもほどがあります」
レオナの声は静かだったが、その目が違った。
グレイス王はにこやかに微笑んだまま、まったく堪えていなかった。
***
グレイス王との会話は、結局のところ何も決まらないまま終わった。
俺は執務室を後にしながら、心の中で静かに整理した。
(グレイス王国のことは、今は置いておこう。まずはソレイユ王国だ)
結局、話は進まず、俺はレグニアとともにソレイユ王国へ向かうことにした。
「瞬間移動で行こう。向こうの王とは面識があるから、すぐに謁見の間へ通してもらえると思うぞ」
レグニアがそう告げると、俺は頷き、レグニアとともに光の渦に包まれた。
一瞬の眩暈ののち、足元に冷たい石畳の感触が戻った。
そこはソレイユ王国の宮殿の入口だった。
***
「アーサー王とレグニアが会いに来たと、レオナルド王に伝えてくれ。急ぎだ」
門番はレグニアをちらりと見て、それから慌てて上司のいる部屋へ走っていった。
しばらくして、俺たちは謁見の間へ通されることになった。
レオナルド王は恰幅のよい体格をしていたが、顔色はどこか疲れ切っていた。
俺を迎え入れると、立ち上がり深く頭を下げた。
「よくぞ来てくださいました、アーサー王。……本当に、来てくださるとは思っておりませんでした」
その声に、長い間待ち続けた者の疲労が滲んでいた。
席に着くと、レオナルド王はしばらく言葉を探すように黙っていた。
やがて、静かに口を開いた。
「我が国は、前王ライオネルが課した重税のせいで、農民たちが畑を捨てて逃げ出しました。結果、国中の畑は荒れ果て、耕作できる土地は三割ほどしか残っておりません……民は飢え、王国そのものが立ち行かなくなっております」
「……そんなに、ひどい状態なのですか」
「はい。アーサー王、もしあなたが持つ幸運の力で、荒れ地を再び豊かな畑に変えていただけるのなら……私はこの国を、あなたに託したいのです」
王は玉座の前で深々と頭を下げた。
その姿に、謁見の間の重臣たちも息を呑んだ。
(本当に、切羽詰まっているのだな)
頭を下げた王の肩が、わずかに震えていた。
俺はレグニアと視線を交わした。
「どう思う?」
「実際に見てみなければわからない」
レグニアはレオナルド王に向き直った。
「農地の様子を見てくる。待っていてくれ」
***
「行くぞ」
レグニアが静かに手を差し伸べた。
俺はその手に触れた。
光が広がる瞬間、レオナルド王が息を呑むのが見えた。
再び光の渦がケイスを包み、次の瞬間には眼の前に、一面の荒野が広がっていた。
風にさらされる赤茶けた大地。ひび割れた土。
かつて畑だったであろう場所は、雑草すら生えぬ荒れ地と化していた。
「……これが、ソレイユ王国の現状か」
レグニアが腕を組み、険しい表情を浮かべた。
場所を変えても、光景は変わらなかった。
次の地も、その次の地も、同じ荒涼とした大地が続いていた。
「……耕作できる土地はやはり三割、いや、それ以下か」
レグニアが低くつぶやいた。
農地の七割以上が、荒れ地と化していたのだ。
俺は何も言わず、レグニアとともに宮殿へ戻った。
***
謁見の間に光が広がり、俺とレグニアが戻ってきた。
「レオナルド王、国内の畑を視察してきました。確かに……状況は深刻です」
ケイスの報告に、レオナルド王は目を見開いた。
「……瞬間移動で、国中を視察されたのですか」
やがてレオナルド王は目を閉じ、深く頷いた。
「アーサー王……どうか、この国を救っていただけませんか。民は皆、あなたの幸運を待ち望んでおります」
謁見の間に、静かな沈黙が落ちた。
レオナルド王の言葉には、切迫したものが宿っていた。
その目に、嘘はなかった。
ケイスは深く息を吸い込んだ。
(神様との約束を、ここでも果たすだけだ)




