第80話 お帰りください
フォルトゥーナ宮殿の大広間にて――
謁見の間にしている白亜の大広間に、ソレイユ王国の王女・セレーネが訪れた。
もっとも、国が滅んだのだから正しくは"元王女"である。
グレイス王が、また厄介ごとを押し付けたのだ……。
「貴族は要らない」とはっきり伝えたはずなのに……。
(……グレイス王は、なぜこの方を寄越したのか)
セレーネ本人は未だ王女の気分でいるのか、美しい衣をまとっていた。
五人の貴族と十名の騎士を従え、その足取りに迷いはない。
国を追われた者の歩き方ではなかった。
俺は玉座に腰かけながら、小さくため息をついた。
(……どうせ、領地か爵位か。そのどちらかを求めてくるのだろう)
***
レオナが前に出て、王女を出迎えた。
「ソレイユのセレーネ王女よ、ようこそアーサー王国へ」
王女は優雅に微笑んだが、その第一声を自信たっぷりに言い放った。
「ケイス王、率直に申し上げます。アーサー王国で、ソレイユから来た貴族をすべて受け入れてくださいませ」
(……開口一番、それを言うか)
「理由をお聞かせ願えますか」
俺が促す。
「簡単なことです。アーサー王国には貴族がいないのでしょう? そんな国、世界に恥を晒すようなものですわ」
(高笑いがないだけ、まだ抑制が利いているらしい)
俺の背後に控える三人の妻――レオナ、ノエリア、エリュシアの眉が同時にピクリと動いた。
(……三人の眉が動いた。これは、まずい)
「なぜ恥だというのですか」
俺はあえて聞いてみた。
セレーネ王女は優雅に顎を上げた。
「"そういうものだから"ですわ。貴族こそが国の格式であり、他国との付き合いの証です。貴族がいない国など、野蛮人の集まりと同じですわ」
「アーサー王国では、すべての家臣は俸給制。領地を持つ貴族は存在しません。能力に応じて職が決まり、職に応じて給与を払う。それが我が国の方針です」
「……ずいぶんと変わった考えですこと」
「貴族の子供に生まれたというだけで、無能な貴族が領地を統治すれば民が不幸になるからです」
「民など貴族に尽くすために存在するもの。幸福も不幸も考える必要などないでしょう?」
レオナの声が、静かに低くなった。
「……今、何と仰いましたか」
ノエリアが冷ややかな微笑みを浮かべた。
「民の幸福こそが国の力に繋がるのです」
エリュシアも鋭い視線を向けた。
「民の声を聞かぬ統治はすぐに破綻します。あなたの考えは間違っています」
王女は笑みを崩さなかった。
「随分と気の強い方々ですこと。けれど王妃としての器量が問われるのは、美しさと血筋。そして――」
彼女は唐突に俺の方へ歩み寄り、目を細めて言い放った。
「ケイス王、私を妻になさってはいかが? ソレイユ王国の王女が自らを差し出しているのですわ。あの三人より、よほど格式に見合うでしょう?」
(グレイス王……せめて一言、説明しておいてくれれば良かったものを)
***
その瞬間、背後の空気が変わった。
「ソレイユ王国の王女だった方ですね」
レオナが静かに言った。その目が笑っていなかった。
「私たちのことは、何もお聞きになっていないのですか」
ノエリアが穏やかに、しかし確実に追い詰めていく。
「"美しさと血筋"……それはどなたのことかしら」
エリュシアが首を傾けた。
「待て。落ち着いてくれ」
俺は慌てて手を上げた。
しかし、三人は聞く耳を持たない。
「ケイス様、後は私たちにお任せください」
(……俺がいない方が、収まりが早い気がする)
五人の貴族と十名の騎士も謁見の間の入口近くまで避難を始めた。
皆、青ざめた顔で固まっていた。
セレーネは狼狽しながらも強がった。
「あなた方のことなど、何も聞いておりませんわ」
「聞いておくべきでしたね。私の父に」
レオナが静かに言った。
「え……あなたは、グレイス王の娘……ですの?」
「そうです。こちらは嫁ぐ前はルクシオン王国の王女、そしてエルディア国の王女です。今は、ただのひとです」
「た、大変申し訳ありません」
「わざわざこちらへ来て、喧嘩を売るおつもりでしたか」
エリュシアの声は穏やかだったが、その目が違った。
「いえ、そんなわけでは……」
「"民など貴族に尽くすために存在する"と仰っていましたね。そんなことだから民の暴動が起こったのですよ」
ノエリアが静かに畳み掛ける。
「いえ、そういうわけでは……あれは……」
「民を大事にしなかったから起きたことでしょう」
ノエリアが続ける。
「民に暴動を起こされるような貴族を引き取れと、先ほど仰っていたような気がしましたが」
レオナがさらに畳み掛けた。
「誠に申し訳ありません……」
「グレン」
レオナが短く呼んだ。
「お帰りだそうです。吊橋までお送りして」
グレンが一歩前に出ると、貴族と騎士たちは蜘蛛の子を散らすように退いていった。
セレーネ王女本人も、顔を真っ赤にして唇を噛み、震えながら頭を下げる。
「ま、待ってくださいませ。私が悪うございました。どうか、せめて貴族たちの居場所だけでも……」
「お帰りください」
エリュシアの一言は短く、それで十分だった。
大広間が静かになった。
俺は小さく息をついた。
(……グレイス王には、後で一言言わなければならない)




