第78話 転生前の俺には、想像もできなかった
グレイス王国の侯爵邸の家族を呼び寄せることにした。
まずはグレイス王へ連絡を入れる。
アーサー王国に新たな宮殿が完成したこと、そしてこれまで王都で暮らしていた侯爵邸を返上する旨を正式に伝えたのだ。
知らせを受けた家族は喜び、すぐに荷をまとめ始めた。
ミーナは「段取りはお任せください」と既に動き出しており、リリィは新しい宮殿への期待を隠しきれない様子だった。
グレイス王への報告を受けた使者が戻ってきたのは、翌日のことだった。
「国王陛下より、お言葉をお預かりしております」
使者は深く頭を下げ、書状を差し出した。
開いてみると、几帳面な筆跡でこう記されていた。
「ケイスよ。宮殿が完成したとの報告、確かに受け取った。ただ一つ聞かせてほしい。視察に出発したのは、わずか数日前ではなかったか。いくらお前の運が良いとはいえ、宮殿が数日で完成するとは……余の理解が追いつかぬ」
「何があったのか、いつか詳しく聞かせてくれ。レオナのことは頼んだぞ」
俺は思わず苦笑した。
(……何があったか、正直に話したとして、信じてもらえるだろうか)
「ケイス様、何と書いてありましたか」
レオナが覗き込んでくる。
「グレイス王が驚いていた。宮殿が数日でできたことを」
「……当然の反応ね」
レオナが静かに言った。
その目が「私も同じ気持ちだ」と言っていた。
アーサー王国の宮殿名についてだが……
自分の宮殿を"幸運の宮殿"などと呼ぶのは、諸国に対してあまりにも軽く映る。
そこで、対外的には「フォルトゥーナ宮殿」と名乗ることにした。
フォルトゥーナとは古より伝わる幸運の女神を指す言葉である。
幸運の女神の名を冠することで、この宮殿は偶然の産物ではなく、神意に導かれた場所としての威厳を帯びる。
湖畔にそびえる白亜の宮殿に、その名はよく似合った。
(ヴェリル様も、悪くないと思ってくれるだろうか)
***
馬車に揺られて宮殿へと到着した家族は、湖面に映える白亜の城を目にした瞬間、思わず息を呑んだ。
「運だけで築かれた"幸運の宮殿"と聞いていたから……大きな屋敷程度だと思っていたのに……」
家族だけでなく、執事やメイド、事務官たちまでもが、驚嘆の声を次々と漏らす。
母も目を丸くしたまま言葉を失い、父も「……これは、あまりにも立派すぎる」と呟いた。
レグニアは宮殿の入口に静かに立ち、到着した一家を見ていた。
リリアが目を潤ませながら言った。
「レグニアさん……ケイスをずっと守ってくださって、ありがとうございます」
レグニアはしばらく黙っていた。
「……当然のことをしたまでだ」
それだけ言って、視線を湖へ向けた。
その横顔が、少し柔らかかった。
リリィだけが、我慢できずに駆け出していた。
「すごい、すごい、宮殿の中を見てきます」
「あ、ちょっと待ちなさい……行ってしまいましたか」
「ところでケイス、ここに、私たちが本当に住んでいいの……?」
父と母がそう問いかけてくるのは、ごく自然な反応だった。
ノエリアが静かに口を開いた。
「神様から"住んで良い"と許可をいただいています。ここは、かつて神の住まいであった場所だそうです。神様のご縁がケイス様をここへ導かれたのだと、私は思っております」
「何だか、緊張してよく眠れない気がしてきた……」
父が心配そうだ。
「……そのうち慣れます。妻たちはよく眠れると言っていましたから」
俺は苦笑しつつ、皆を迎え入れた。
***
フォルトゥーナ宮殿が完成したことで、三国の王たちを招いての結婚式を挙げることになった。
大広間には、豪奢な花飾りと光沢を放つ絨毯が敷かれ、湖の水を引き込んだ噴水がきらきらと輝いている。
各国から招かれた使節や貴族たちも一堂に会し、式は厳粛かつ華やかに始まった。
まず列席したグレイス王は、宮殿の壮麗さを見回して深く頷いた。
「うむ……見事なものだ。運のみで、このような城を築けるとは、まさしく"幸運の領主"、いや“幸運の王”ケイスの名に恥じぬな」
グレイス王の後ろに控えていた側近たちも、一様に口を開けたまま宮殿を見上げていた。
中には膝が震えている者までいる。
「これが……本当に数日で……」
誰かが呆然と呟いたが、答えられる者はいなかった。
ルクシオン王・レオンハルトも目を細めた。
「ここまで神々しい宮殿は初めて見た。三国の王女を娶り、国を新たに興す……だけのことはあるな。立派なものだ」
ルクシオン王国から随行してきたマルケス卿は、宮殿の石壁にそっと触れてから、静かに言った。
「……この石、温かい。普通の建物ではないな」
隣に控えた騎士たちも顔を見合わせ、誰も否定しなかった。
だがエルディア国の女王だけは、じっと俺を見据え、鋭い言葉を放った。
「……こんなところにひとが住むなど、信じられません。神が許可したと仰いましたが――ケイス、あなた、本当に人間なのですか?」
以前も似たようなことを問われた気がする。
やはり俺の存在そのものが、不思議で説明しがたいのだろう。
「ただ、少し他の方より運が良いだけです」
そう返すと、場に小さな笑いが広がった。
ティルフィア女王だけは、笑わずにじっと俺を見ていた。
***
そして結婚式が執り行われた。
司式を務めたのは、ノエリアの聖女としての祈りだった。
大広間に静かな光が満ち、女神像がほのかに輝く。
その光の中で、俺は三人と順に誓いを交わした。
深紅のドレスに身を包んだレオナは、誓いの言葉を読み上げる間、一度も視線を逸らさなかった。
白いヴェールを揺らしたノエリアは、言葉の途中で少し声が詰まり、それでも最後まで言い切った。
緑のドレスのエリュシアだけが最後に小さく微笑んで、「よろしくお願いします」と付け加えた。
三人の王女が一斉に俺の隣に立ち、宮殿の前に集まった民衆から祝福を受ける。
もっとも、まだ国民の数は少ない。それでも、集まってくれた全員の顔が輝いていた。
「新しきアーサー王国の王と王妃たちに、幸運と繁栄を」
民衆からの歓声と拍手が鳴り止まなかった。
ルーナとナディアは式の間、大広間の端で静かに立っていた。
式が終わると、ナディアがそっとルーナの袖を引いた。
「……泣いてる?」
「泣いていない」
ルーナはそう言いながら、目元を拭った。
式が終わり、湖畔に出ると夕日が水面を染めていた。
グレンが遠くで目を拭いているのが見えた。
(……グレンが、泣いている)
「王妃様方が、無事に式を挙げられました。これ以上の喜びはございません」
問いかける前に、グレンが静かに言った。
その横顔は、騎士団長というより、長年仕えてきた忠臣のものだった。
***
夜、式が終わり、フォルトゥーナ宮殿の一室で、妻たちと寛いでいた時のこと。
『ケイス、聞こえるかい』
突然、頭に響く声がした。
『はい、神様』
『結婚おめでとう』
『ありがとうございます』
神様は軽い調子で続けた。
『結婚したからには、ケイスを元の姿に戻そうかと思ってね』
『少し、お待ちください』
俺は三人の妻を見た。
「神様から言われたのだが……"ぽっちゃり"ではない元の姿に戻してくださるそうだ。どう思う?」
三人は即座に首を横に振った。
レオナは真剣な表情のまま、視線だけを逸らした。
(今の姿だからこそ、安心して傍にいられる……)
ノエリアは少し俯いた。
(ケイス様はこのままで十分です。これ以上変わられては困ります)
エリュシアだけが頬を染めながら、静かに首を振った。
「今のままで良いです……。今のままが良いのです……」
三人は声を揃えて言った。
(正直、俺もこの姿を気に入っているからな……)
『神様、しばらく今のままでいいそうです。将来、お願いしたときに元に戻してください』
『……そうか。女心とは難しいものだな。わかった。ではまた』
声はそこで途切れた。
俺は苦笑しながら三人を見渡した。
「……というわけで、しばらく"ぽっちゃり王"でいることになった」
レオナが静かに頷いた。
ノエリアが柔らかく微笑んだ。
エリュシアは何も言わず、ただ目を細めた。
それで十分だった。
窓の外には、湖に映るフォルトゥーナ宮殿の灯りがきらめいていた。
隣に三人の妻がいる。外には小さいながらも自分の国がある。
転生前の俺には、想像もできなかった光景だ。
(ヴェリル様……少しずつ、約束を果たしていきますよ)




