第72話 どこに行っても、同じことが繰り返される
「レグニア、領主の屋敷に忍び込めるか」
「……問題ない。姿と気配を消せば容易い」
「レオナはどうする?」
「聞くまでもないでしょう」
レオナはすでに剣の柄に手をかけていた。
「わかった。レグニア、レオナを頼む」
俺はそれから残りの面々を見回した。
「俺とノエリア、エリュシア、ルーナ、ナディアは、ポーションを飲んでいた親子に話を聞いてみる」
「……三時間後にここに集合だ。御者のブルトンには、街の中で目立たぬ場所に馬車を隠して待つよう伝えておく」
「……では」
それだけ言って、俺は歩き出した。
誰も余計な言葉を返さなかった。
***
俺とノエリア、エリュシアは、ポーションを飲んだ親子が薬屋を離れるのを待って尾行を開始した。
ルーナとナディアは無言で周囲を警戒しながら、俺たちの後ろに歩いている。
母親は痩せた子供の手を引き、よろよろと歩いている。
この辺りで良いかと判断し、親子に近づく。
「すみません、少しよろしいですか。旅の者です」
俺が声をかけると、母親はびくりと振り返った。
「何か用ですか?」
「……薬屋でもらっていた、ポーションの空き瓶をお持ちですか」
俺は両手を開き、武器も敵意もないことを示す。
母親はためらいながらも、袋から小瓶を取り出した。
「これですか……あの薬屋に行けば、ただでもらえるんです……」
「少し見せていただいても」
俺は瓶を受け取って、エリュシアに渡す。
「エリュシア、成分がわかるか」
彼女は瓶を受け取り、光に透かすように覗き込む。
鼻を近づけ、慎重に匂いを嗅いでいる。
「これは……"サルヴィナ草"ですね。香りは爽やかですが、薬効はありません。それどころか……一度に二本以上飲むと内臓を弱らせ、最悪の場合、動けなくなります。体の小さな子供なら一本でも危険です」
「えっ……そ、そんな……」
母親の顔から血の気が引く。
そのとき、子供の足がぴくりと痙攣した。母親が慌てて抱きしめる。
「お願いします……助けてください……」
「ノエリア」
短く呼んだだけで、彼女は既に動いていた。
「ヒール」
温かな光が子供の体を包む。
震えが収まり、青白かった顔に少しずつ赤みが戻っていく。
「……お母さん……お腹、すいた……」
小さな声がもれると、母親の目に涙があふれた。
「ありがとうございます……でも……お金は……ないんです……」
ノエリアは柔らかく微笑んだ。
「お金なんていりません」
しばらく沈黙が続いた。
母親が涙をぬぐうのを待って、ノエリアが静かに口を開いた。
「この街に、何があったのですか」
母親は力なく語り始めた。
「前領主のフェルステッド侯爵が、商人や職人、農民にも無茶苦茶な重税をかけたため、多くの者が逃げ出しました。残った者も食うや食わずの状態で……侯爵が失脚したと聞いた時には、街の全員が心から喜びました」
母親の表情が曇る。
「……ですが新しく赴任してきた領主も、結局同じでした。見切りをつけた者たちは着の身着のままで逃げ去り、どこにも行けない者だけが残って、街はこんな廃墟に……。昔はこんな街じゃなかったんです」
「……そんなことが」
ノエリアが小さく呟いた。それ以上の言葉が出てこなかった。
「もう街には食べるものが残っていません。甘い味のするポーションに引き寄せられてあの店に行くのですが……中には倒れる者もいて……」
「なぜ、新しい領主がわざわざ重税を……」
「噂ですが……」
母親は声を潜めた。
「有力貴族に賄賂を渡し、より肥沃な領地に移ろうとしているそうです。その賄賂の金を集めるためだとか……」
(なぜ……どこに行っても、同じことが繰り返される)
俺は拳を握りしめた。
「あなたはどちらから来られたのですか?」
「ケイス・アーサー領からです」
「ケイス・アーサー領には、神様のような領主様がおられると聞きます。うらやましいことです」
俺は何も言えなかった。
母親はそこで言葉を切り、俺たちの顔をひとつひとつ見回した。
「商人さん、すぐにお戻りください」
***
同じ頃。
レグニアとレオナは姿を消して、領主の屋敷に忍び込んでいた。
姿を消したまま門を抜け、玄関から静かに入り込んだ。
「……姿を見せず、気配も断っていれば、どこにでも侵入できる」
レグニアが静かに言った。
「……さすがね。こんな護衛を持つケイスも、やはり只者ではないわ」
レグニアは何も答えなかった。
レオナも剣の柄に手をかけ、鋭い目で屋敷を見据えた。
屋敷の奥、広間の扉の隙間から、中の声が漏れてきた。
声の方に二人で近づいていく。
「……偽ポーションが売れなければ、もうこの領で金を作り出すことはできん」
怒声を上げていたのは、領主の男――ダルコート伯爵だった。
「これまでに商人や農民から取り上げた金はすべて、ヴァルモンド公爵への賄賂に回している。それなのに、いつまで経っても領地替えの知らせはこない……」
机を叩く音が響く。
「薬屋にもっと偽ポーションを作らせろ。雑草でも泥水でも構わん。王都に運んで売ってこい。逆らうなら牢にぶち込め」
「は、はっ。承知しました」
兵士の隊長が慌てて返事をし、部下を連れて広間を飛び出していく。
その姿を、二人は黙って見送った。
レグニアが目を細める。
「……救いようがない男だ」
「証拠となる書類は残していないでしょう。けれど薬屋の親方は証人になれる。帳簿も、偽ポーションそのものも、動かぬ証拠になるはず」
短く、しかし確信を持った声だった。
「……引き上げるぞ」
レオナは無言で頷いた。




