第70話 また、そうはいかないらしい
翌日――
俺たちはアーネスト叔父上の住む街、リューベリアを目指して街道を進んでいた。
朝靄がまだ残る街道沿いに、小さな村が点々と続いている。
途中で立ち寄った村でも、領主の顔を知る村人たちが集まってきた。
果物や野菜を差し出す者、涙を流す者、深く頭を下げるだけの者。
「幸運の領主様……どうかこれを」
老婆が両手に林檎を抱えて差し出す。その手は節くれだっていた。
「気持ちだけで十分です。食べ物は自分たちのために取っておいてください」
俺は首を振った。
「ですが……」
「俺は領主として当然のことをしただけです。そのお気持ちは、次の冬に備えてください」
老婆はしばらく俺の顔を見つめ、やがて静かに頷いた。
その目に光るものがあった。
こういう顔を見るたびに、神様との約束の重みを、改めて感じる。
のんびり暮らしたいとは今も思っているが……この顔を見てしまうと、やはり放っておけない。
俺はそのたびに首を振り、食べ物を断って街道を進んだ。
背後では、三人の王女の目が同時に細くなる一幕もあったが、それはまた別の話だ。
***
昼を回った頃、リューベリアの街が見えてきた。
高い城壁や大きな市場を抱える王都と違い、リューベリアはこじんまりとした田舎の街だった。
だが街門には木製の柵と兵士が配置され、質素ながらも治安はきちんと保たれているようだ。
街に入ると、石畳の道の両側に二階建ての木造家屋が並び、通りには子どもたちの元気な笑い声が響き、農民や職人たちが穏やかな表情で行き交っている。
「アーネスト叔父上が代官として尽力してくださっているおかげだな。良い街だ」
街の奥に進むと、アーネストの屋敷が見えてきた。
石造りではなく、木材を主体にした造りで、規模も大きくはない。
だが庭には花が植えられ、磨き込まれた扉が威厳を示していた。
屋敷の入口に立つ衛兵に、領主のケイスが来たことを告げると、衛兵は一礼し、すぐに屋敷の中へ走っていった。
「ようこそ。お待ちしておりました」
扉が開き、アーネスト叔父上が姿を現した。
恰幅の良い体格に温厚そうな顔立ち、しかし目の奥には意思の強さが宿っている。
(父と似た目をしている)
その後ろからは、妻と子どもたちが現れた。
「お久しぶりです。妻のマリエルです」
上品な雰囲気の、落ち着いた女性だ。
「嫡男のロイエルです」
まだ若いが真面目そうな顔つきで、深く頭を下げる。
「長女のセリナです」
十三歳くらいといった年頃だろうか。好奇心旺盛な瞳を輝かせている。
「子爵、お久しぶりです。そして……そちらは……」
アーネストが、三人の美女に気づいて声を上げた。
俺は後ろに並ぶ三人の王女、レオナ、エリュシア、ノエリアを紹介した。
アーネスト叔父もマリエルも目を丸くした。
ロイエルとセリナに至っては完全に固まっている。
「……あの、なんで王女様が、ケイス様と……」
二人が同時にぽそりと呟いた。
(……まあ、無理もない)
レオナがゆっくりと振り返った。
口元には笑みがあったが、目が笑っていなかった。
「……今、何と聞こえましたか」
「い、いえ……何も」
二人が同時に首を振った。その速さが、すべてを語っていた。
***
屋敷の応接間に通され、俺たちは一息ついた。
アーネストが落ち着いた口調で、任されている領地の現状について報告する。
「領地の状況はおおむね順調です。税の徴収も適正に行われ、作物の収穫も増えております。治安も安定しており、これもケイス様の施策のおかげです」
「それを聞いて安心しました。領地の管理、ありがとうございます」
だが、アーネストの表情が曇った。
「ただ……気になるのは、フェルデリア領の別の地域を引き継いだ領主たちの動きです」
俺は姿勢を正した。
「どのようなことでしょうか」
「最初は、領民がこちらの領地へ逃げ込むごとに、何度も文句を言っておりました。ですがある時を境に、何も言わなくなったのです」
「逃げてくる人々は?」
「それが……ぱったりと途絶えました。何かが起きているとしか思えません」
応接間に重苦しい沈黙が落ちた。
俺は心の奥に冷たいものを感じた。
(やはり……何か裏がある。偽ポーションに関わっている領主の領地で、何かが起きている)
レグニアが静かに口を開いた。
「すぐにでも確かめるべきだな。領民たちが心配だ」
俺は静かに頷いた。
「叔父上の屋敷で旅の準備を整えたら、その領地フェルナードに潜入します。住民がどんな暮らしをしているのか、そしてなぜ偽ポーションを始めたのかを突き止めるつもりです」
「私も行きます」
レオナが静かに言った。
エリュシアとノエリアも、黙って立ち上がった。
(……やっぱり、こうなるか)
俺は小さくため息をついた。
(のんびり視察のつもりが……また、そうはいかないらしい)




