第69話 何を食べたか、覚えていない
偽物のポーションの話を聞いた途端、レオナが静かに立ち上がった。
しかしその目に、燃えるような光があった。
「……ひとの命を弄ぶような真似を。断じて許せません」
その剣幕に、場の空気が一瞬で張り詰める。
俺は静かに手を上げ、彼女を制した。
「待ってください、レオナ王女。まずは偽物を作っている者、売っている者、領主たちとの関係を結びつける証拠を掴むのが先決だと思います」
「しかし、今この瞬間も被害者が出ているかもしれない」
レオナの声は静かだったが、その重みは十分に伝わった。
俺は視線をガルドに向けた。
「その偽物は、どこで売られているんですか?」
「はい……どうやら王都の広場や路地裏に、不定期に現れる怪しげな露天で売られているようです。しかも……」
ガルドは苦い表情を浮かべた。
「我らの工房で生産する良質なポーションの評判に便乗し、容器の色や形まで似せているそうなのです。知らない者が見れば、違いなど分からないでしょう」
俺は少し考えてから、レオナに向き直った。
「領主の関与を立証する証拠を掴むことを優先するか、一刻も早く偽物の販売を止めさせるか。どちらにしますか」
レオナは拳を握り、即座に答えた。
「決まっています。今も被害者が増えているかもしれない。一刻も早く止めさせます」
彼女は振り返り、騎士団長へと鋭い視線を向けた。
「グレン、いったん王都へ戻って。王にこの件を報告し、怪しい露天を徹底的に洗い出して偽物の販売を禁じさせなさい」
「レオナ様……しかし私は王女様の護衛も任されております。軽々しく離れることは……」
「王都のひとたちの安全が先です。護衛はレグニア、ルーナ、ナディアに頼みます」
レグニアは何も言わなかった。
それが承諾の意味だと、もう皆わかっていた。
グレンはしばし黙考し、やがて深く頭を下げた。
「……承知しました。直ちに王都へ戻り、しかるべき手を打ちます。そして必ず、王女様のもとへ戻って参ります」
(王女様……必ずお守りいたします。たとえ私がいなくても……いや、だからこそ……)
グレンが部屋を出ていく背中に、どこか覚悟のようなものが滲んでいた。
「私は、叔父上の屋敷で挨拶を済ませた後、偽ポーションに関わっていると噂される領主の街に潜入するつもりです。レグニア、護衛を頼む」
「……わかった」
「そこで、なぜ領主が偽ポーションの販売に手を染めたのか、住民がどのような暮らしをしているのかを確かめてきます」
「私も行きます」
エリュシアが静かに言った。
「私も」
ノエリアが続く。
レオナは迷わず答えた。
「当然でしょう」
***
その夜――
ガルドの屋敷では、俺たちの歓迎会が開かれた。
長い卓には美味しそうな料理が並び、果実酒の香りが漂う。
騎士団も笑顔で杯を掲げ、屋敷の者たちもてきぱきと給仕に動いた。
「ケイス様、こちらにどうぞ」
ノエリアが椅子を引き、隣に座るよう促す。
「こちらの席の方が、食事がしやすいはずです」
レオナが椅子を指し、静かに、しかし一歩も引かない顔で言った。
「聖女として、今夜の食の安全を確かめる必要がございます。ですからお隣に」
ノエリアが譲らない。
「お二人とも……」
エリュシアが間に入り、静かに微笑んだ。
「私はどこでも構いません。ケイス様と一番目が合う席が……向かいですから」
(……どう動いても、地雷を踏む気がする)
視線が三方向から、静かに俺へと向けられていた。
結局、俺の右にノエリア、左にレオナ、正面にエリュシアという形に収まった。
だが食事が始まっても、三人は皿を差し出すたびに小さく火花を散らす。
「ケイス様、こちらのお肉、とても柔らかいですよ」
ノエリアが切り分けて差し出す。
「この魚料理の方が絶品です。どうぞ」
レオナが同時に皿を差し出す。
「お二人とも……ケイス様の好みを知っているのですか」
エリュシアが涼しい顔で問いかける。
「私は、ケイス様が香草のスープを一番気に入っているのを知っています」
二人が同時に口をつぐんだ。
その沈黙が、何より雄弁だった。
(……気を遣いすぎて、何を食べたかまったく覚えていない)
ガルドが遠くから、困ったような、しかし楽しそうな顔で見ていた。
***
少し場の雰囲気を変えるため、俺は三人に向き直って声を掛けた。
「ところで……ルクシオン王国から逃げ出してきている農民は、まだ他にもいるかもしれないな」
レオナが腕を組み、真剣な表情で言葉を紡ぐ。
「先日の農民たちは……襲った相手が我らだったからこそ、食事を与えられ、領民として暮らす道を得られました。そうでなければ……」
エリュシアが小さくため息を洩らした。
「討伐されるか、牢につながれるか……結末は、そのどちらかだったでしょう」
ノエリアは静かに胸に手を当て、言葉を絞り出した。
「ルクシオン王国の王女として、彼らをあの境遇に追いやった責任を、どうしても感じてしまいます」
俺は三人の視線を受け止め、しばし考えてから口を開いた。
「だったら、俺の領でどんどん引き受ければいい。そしていつかは……このグレイス王国そのものが、そういうひとたちを救える国になればいいと思っている」
レオナが静かに頷いた。エリュシアとノエリアも、言葉なく同じ動きをした。
(神様との約束が、少しずつ形になっていく気がした)
***
気がつくと、騎士たちがルーナとナディアの周囲に自然と集まっていた。
「こちらの席はいかがですか」
「お飲み物をお持ちします」
普段の無骨さはどこへやら、妙に背筋が伸びている。
ルーナは涼しい顔で受け流し、ナディアは「ありがとうございます」と屈託なく笑う。
その笑顔に、また一人背筋が伸びた。
(エルフというのは、何歳になってもああいう顔をしているのだろうか)
俺は密かに首をかしげた。




