第68話 奇跡の泉と、影の報告
翌朝――
簡単な朝食を済ませた後、俺はバルノに声をかけた。
彼が率いる人々も、不安げな表情でこちらの方を見ている。
「ルクシオン王国の王が代わったことは知っているか。今なら、故郷に戻っても以前のような重税はないはずだ。――お前たちは、これからどうしたい」
国王交代の知らせを受け、人々の顔に一瞬、安堵の色が浮かんだ。
しかし同時に、これからの暮らしに対する不安が胸を支配しているのか、誰もすぐには答えられず、沈黙が流れる。
やがて、バルノが前に出て、口を開いた。
「……王が代わっても、領主が代わっている保証はありません。我らを長きにわたって苦しめてきた領主が健在であれば、故郷へ戻れば再び同じ地獄を味わうことになります」
「……俺の領民になるか」
短く言った。それだけだった。
バルノはしばらく動かなかった。
やがて、静かに膝をついた。
「……よろしいのですか。我らは、あなた様方に襲いかかろうとした者たちです」
「構わない」
「……ありがたき幸せに存じます」
それ以上の言葉は、出てこなかった。
こうして二百人を引き連れた長い行列で、俺たちは街道を進むことになった。
最初の村に着いたとき、村長は白髪の老人だった。
二十人と聞いて、しばらく黙って考え込んだ。
「……ルクシオン王国から、か」
やがてぽつりと言った。
「うちの村も、同じような目に遭っていた。断れんな」
村人たちも、難しい顔をしながらも頷いた。
かつての自分たちの境遇と重ねているのだろう。
俺は村の外れの荒れた土地に手をかざした。
目を閉じ、スキルを静かに解き放つ。
そこには青々とした芽が出ていた。
「な……」
村長が絶句した。
昨日まで石ころだらけだった土地が、柔らかな畑に変わっていた。
「これで食べるものに困ることはないはずです」
村長はしばらく畑を見つめ、それから深く頭を下げた。
隣でバルノも、声を出さずに頭を垂れていた。
***
同じことを、街道沿いの村ごとに繰り返した。
どの村でも、最初は戸惑いの顔があった。
しかしどの村でも、最後には頷いてくれた。
こうして二百人は、少しずつ各村へと受け入れられていったのだった。
***
やがて街道の先に、見覚えのある林が広がってきた。
奇跡の泉が近い。あの澄んだ水と薬草の香りを思い出すと、自然と足が速くなった。
レグニアが張っていた結界を慎重に解除し、一行は静かにその中へと足を踏み入れた。
足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
誰かが小さく息を呑んだ。
しばらく進むと、木々の間から見覚えのある建物が姿を現す。薬工房だ。
白い煙が細く立ちのぼり、窓からは薬草を煎じる香ばしい匂いが漂ってくる。
馬車が止まると同時に、工房の扉が開いた。
中からガルドが飛び出してくる。
「ケイス様、この地までご視察にお越しくださるとは、なんと光栄なことでしょう」
使用人や弟子たちも次々と顔を出し、笑顔で頭を下げてくる。
「薬工房の調子はどうだ?」
俺の問いかけに、ガルドは満面の笑みで頷いた。
「ポーションの製造も販売も順調で、取引先も月を追うごとに増えております。薬草の生育もかつてないほど良好でして……まるで奇跡の泉の幸運が、我らを後押ししてくれているかのようです」
案内された場所には、鮮やかな緑の薬草畑が広がっていた。
「エルディアの深森でも、これほどの薬草園は見たことがありません」
エリュシアは畑の端まで視線を走らせながら、静かに言った。
「はは、奇跡の泉はケイス様の幸運があってのことですからな」
ガルドは誇らしげに笑った。
エリュシアは真剣な表情で続けた。
「もし可能なら、このポーションを我がエルディア王国に卸していただけませんか。そうすれば、病に苦しむ民が助かります」
「もちろんですとも。後ほど詳しくご相談いたしましょう」
「後ほど、ポーションも見せていただけますか。上級から大衆向けまで」
「もちろんでございます。腕によりをかけてご用意いたします」
エリュシアの目が、子供のように輝いた。
***
二人の話が一段落するのを待ち、俺は口を開いた。
「ガルド、王都での商売の状況はどうだ? 順調に進んでいるか?」
ガルドの顔に、わずかに陰りが差した。
「順調……と申し上げたいところですが、実は一つ大きな問題がございまして」
「問題とは?」
「"偽物のポーション"が横行しているのです。質があまりに悪く、服用した者が中毒を起こす騒ぎまで出ております」
「……中毒まで出ているのか」
「仕入れ先を辿り、取引の流れを当たっていくうちに……どうやらフェルデリア領を引き継いだ領主たちが背後にいるようです」
ガルドは声を落とした。
「ただし、確証はございません」
(フェルデリア領の旧領主一派か……。まだ尾を引いていたか)
俺は静かに息をついた。




