第64話 玉座が、崩れた夜
王宮の大広間――。
高い天井に輝くシャンデリア、壁に掛けられた豪奢なタペストリー。
この国の権力の象徴とも言える空間に、王族と有力貴族が一堂に会していた。
その中央に俺は立っていた。傍らには護衛のレグニア。
少し後ろに、心配そうな表情を浮かべるレオンハルトとノエリアが控えている。
(これだけの人数が揃っている。これ以上ない舞台が出来上がった)
「本日は、ルクシオン王国にとって有益なお話があり、参上いたしました」
俺の言葉に、玉座のゼルヴィウスが唇を歪めた。
「ほう、それはありがたいことだ」
その声は穏やかだった。
しかし目の奥では、まったく別のことを考えているのが伝わってくる。
どうせ儲け話だろう、報酬の話を始めた瞬間に牢に放り込んでやる――そういう顔だった。
俺は静かにスキルを発動した。
対象は王を除く、広間にいるすべての王族と有力貴族。
『不運70%』
なお、ノエリアを支持するマルケス卿をはじめとする貴族たちと、騎士団長ジルヴァンには、あらかじめ大広間の外で待機してもらっている。
不運の連鎖に巻き込むわけにはいかない。
(さて……どうなる)
広間の空気が、わずかに変わった気がした。
***
王を除くすべての王族と有力貴族の雰囲気が、がらりと変わった。
権力に酔い、自信満々だった顔が、一転して不安げに歪んでいく。
これから何をしても上手くいかない――そんな予感が、本能のレベルで伝わっているのかもしれない。
そして次の瞬間、堰を切ったように口が開き始めた。
「この強欲王、さっさと引退しろ!」
年配の貴族が、自分でも信じられないという顔で叫んだ。
「自分ばかり金をかき集めやがって……俺たちには何一つ渡さないじゃないか!」
別の貴族が続く。広間がざわめき始めた。
「次の王は、この私がいただく!」
「それは無理だ。お前を支援していた貴族は、俺がとっくに毒殺しておいた!」
二人が睨み合う。しかし口は止まらない。
「こちらも同じことを仕掛けておいたわ!」
「俺は王の食事に、少しずつ毒を混ぜているぞ!」
会場が凍りついた。しかし誰も止められなかった。
「王の好物のワインにも仕込んでおいたのに……なんてしぶといのかしら!」
「何が戦争だ! そんな金がどこにある!」
「王さえ死ねば、何でも手に入る! 毒を盛った奴、よくやった!」
絶対に口にしてはならない言葉が、次から次へと飛び出していく。
おまけに足元がおぼつかなくなり、ゴロゴロと床を転げ回る者まで現れた。
広間はあっという間に修羅場と化した。
***
「黙れ」
低く、しかし広間全体に響く声だった。
王が玉座から立ち上がった。
顔が真っ赤に染まり、声が裏返っている。
「この裏切り者ども、全員牢にぶち込め! 一族郎党も同罪とせよ!」
兵士たちが動き出した。
王族も貴族も次々に取り押さえられ、広間の華やかな空気が瞬時に崩れていく。
「レオンハルト……頼りになるのはお前だけだ。ノエリア、お前もな」
王は二人に向かって、そう声をかけた。
しかし俺には、その目の奥がまったく別のことを言っているのがわかった。
(どうせお前たちも同じだ。いずれ私を裏切る。機を見て、理由をでっち上げて牢に放り込んでやる)
俺は静かに、王へ視線を向けた。
(次は……お前だ)
『不運70%』
ゼルヴィウスの表情が、わずかに揺れた。
押さえようとしても、不安が堰を切ったように溢れ出す。
今しがた、複数の貴族から毒殺の企みを聞かされたばかりだ。
自分がいつ殺されるかわからない。
王であることが、たまらなく恐ろしくなる。
「……我は、王位を退く。後継はレオンハルトとする」
広間が、水を打ったように静まり返った。
「な……っ!?」
言葉を発した本人が、誰よりも驚いた顔をしていた。
(な、何を口走っているんだ……! 権力を失えばすべてが終わる! すぐに牢へ放り込まれてしまうではないか!)
しかし口は止まらなかった。
「我は……これまで数多の悪事を重ねてきた。兄も、弟も……すべて私が毒殺した。反対した貴族どももな……!」
(やめろ! 口め! 閉じろ……! これ以上しゃべるな……!)
しかし口は動き続けた。
「すべて私の罪だ。我を捕らえ、牢に入れよ!」
広間に、長い沈黙が落ちた。
***
異変を感じ取ったのだろう。
大広間の外で待機していた貴族たちと騎士団長が、静かに入ってきた。
レオンハルトが高らかに声を響かせた。
「マルケス卿、ドルナン卿、ヴァルディ卿、そして騎士団長ジルヴァン! 王の言葉、しかと聞いたな!」
「レオンハルト様! 確かに聞き届けましたぞ。我らが証人となります!」
マルケス卿の力強い声に続き、ジルヴァンが鋭く命令を飛ばした。
騎士たちが一斉に王へと迫る。
「待てぇぇ! レオンハルト! 勝手は許さんぞ!」
ゼルヴィウスが剣を掴み、咆哮とともにレオンハルトへと斬りかかった。
「殿下、危ない!」
ジルヴァンが身を挺して飛び込もうとする。
しかし間に合わない。
その刹那、黒い影が走った。
目で追うことすらできなかった。
レグニアが一瞬で間合いを詰めた。
剣の柄が鈍い音を立て、ゼルヴィウスの膝が折れた。
静かに、しかし確実に、崩れ落ちた。
誰も声を上げなかった。
大広間に、深い静寂が訪れた。
それを破ったのは、レオンハルトの声だった。
「マルケス卿、新しき王の誕生を国中に知らせよ」
「はっ!」
「ドルナン卿、ヴァルディ卿、各地の領主へ急ぎ知らせを。ルクシオン王国は変わったのだと」
「承知いたしました!」
「ジルヴァン、兵を整えよ。混乱を鎮め、新たな秩序を築くのだ」
「御意!」
次々と飛ぶ命令に、誰もが迷わず従った。
その声には、長い隠棲の間も失われなかった、王としての芯が宿っていた。
ノエリアが静かにレオンハルトの手を握りしめた。
目に涙が光っていた。
「レオンハルト兄様……ついに……」
レグニアが静かに俺の隣に並んだ。
「……"幸運の領主"とは、よく言ったものだ」
短い言葉の中に、珍しく満足の色があった。
「上手くいって良かったよ。でなければ、レグニアに大暴れしてもらわないといけなかったからね」
俺は苦笑しながら肩をすくめた。
「大暴れしたかったぞ」
「やめてよ。ルクシオン王国が滅んじゃうよ」
***
(やはりケイス様は、神から使命を与えられた、特別な人間なのですね。でなければ、こんなことは万に一つも起こりませんわ)
(精霊様、私は生涯、ケイス様をお支えすることに決めました)
ノエリアは静かに、その誓いを胸の奥に刻んだ。
こうしてルクシオン王国の旧き王は倒れ、新たなる王――レオンハルト・ルクシオンが誕生したのであった。




