第63話 レオンハルトの決断
ノエリアは深呼吸し、静かに告げた。
「お兄様。国王が、グレイス王国に戦争を仕掛けるかもしれないのです」
「なぜ……そんなことに……?」
ノエリアがこれまでの経緯を説明した。
聞くにつれ、レオンハルトの顔色が変わっていく。
「戦争など始めれば、国の財は枯渇し、民はさらなる重税に苦しむ。今度こそ暴動が起きるかもしれない。戦闘が始まれば、多くの民が傷つき、死んでいく。思いつきで始めていいものではない」
「その通りです」
ノエリアは力強くうなずいた。
「だから兄様……どうか私たちに協力してください。ルクシオン王国の王になっていただけませんか」
重苦しい沈黙が落ちた。
やがてレオンハルトは、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。
「……それが簡単にできることなら、とっくにそうしている。私を支えていた者たちは皆、粛清されてしまった。今の私には、力など残されていない」
「いいえ」
ノエリアは真っ直ぐに兄の瞳を見返した。
「私を支えてくださっている有力貴族の方々がいます。その方々なら、きっとお兄様を支援してくださいます」
「それでも……」
言葉を濁すレオンハルトに、ケイスが一歩前に出た。
「レオンハルト殿下。私はケイス・アーサーと申します。"幸運の領主"と呼ばれております」
「幸運の領主……噂は聞いたことがある」
「殿下、どうか私とノエリア、そして護衛のレグニアを連れて、王宮に戻っていただけませんか」
「そんなことをすれば、あなたたちが囚われてしまいますよ」
「大丈夫です」
ケイスは静かに、しかしはっきりと続けた。
「王宮に着いたら、殿下から王にお伝えください。『幸運の領主が、ルクシオン王国にとって有益な話を持ってきた。王族と有力貴族すべての前で話したいと申している』と」
レオンハルトが眉をひそめた。
「……有益な話とは、何のことですか」
「それは、王と貴族の前で直接お話しします。殿下にはまず、その場を作っていただくだけで構いません」
レオンハルトの目が、ケイスの真意を探るように細くなった。
「ノエリア」
ケイスは向き直った。
「ルクシオン王国に、グレン団長のような信頼できる騎士団長はいませんか」
「……おります。ジルヴァン騎士団長です。誠実で、勇敢なお方です」
「では、そのジルヴァン殿にあらかじめ声をかけておいてください。いざというときすぐ動けるように」
「ケイス、ルクシオン王国の王に会うのは危険すぎます!」
レオナが声を上げた。
エリュシアも続く。
「私もそう思います。無謀です」
しかしケイスは静かに首を振った。
「殿下に命を賭けていただくのです。ならば私も、同じだけ賭けます」
その言葉に、レオンハルトはしばらく黙っていた。
やがてゆっくりと、深く頷いた。
「……わかった。あなたの言葉を信じよう」
***
その後の話し合いの末、レオナとエリュシアはいったんアーサー侯爵邸に戻ることになった。残るのはケイス、ノエリア、レオンハルト、そしてレグニアだった。
レオナとエリュシアは去り際、俺の腕を一瞬だけ掴んだ。
何も言わなかった。それだけで十分だった。
翌朝。
レグニアが静かに手を差し伸べた。
「行くぞ」
四人が手を重ねた瞬間、強烈な光が弾け、景色が一変した。
そこはルクシオン王国内でも古くから名を知られる大貴族、マルケス卿の屋敷だった。ノエリアが長年支持を受けてきた人物だ。
堂々とした石造りの屋敷。
広い玄関には甲冑が整然と並び、武人としての誇りが漂っていた。
屋敷の主マルケス卿は、突然現れた一行を見て目を見開いた。
「ノエリア王女……! お姿がお変わりになられましたが、間違いございませんか? それに……レオンハルト殿下まで。長らくお姿が見えませんでしたが、ご無事でしたか」
「精霊のご加護により、元の姿に戻ることができました」とノエリア。
「私の方は、暗殺の危険から逃れるため隠棲していた」とレオンハルト。
「そうでしたか……。今日はいかなるご用件で」
「マルケス卿、ご無礼を承知でお願いに参りました」
ノエリアが深々と頭を下げた。
マルケス卿の表情が引き締まる。
「何があったのですか」
ノエリアは静かに、しかしはっきりと話した。
王の刺客のこと。グレイス王国の王女とエルディアの王女が居合わせたこと。重大な外交問題に発展しかねないこと。そして王が先手を打って戦争を仕掛けようとしていること。
「それは……大問題ではないですか」
マルケス卿の顔色が変わった。
「民を不幸にするような戦争など、あってはなりません。して、私に何をお求めですか」
「王に伝えていただきたいのです」
ノエリアは身を乗り出した。
「『幸運の領主がノエリアとともに、ルクシオン王国にとって有益な話を持ってきた。王族と有力貴族すべての前で話したいと申している』と」
マルケス卿が眉をひそめた。
「アーサー子爵は大丈夫なのですか。王に都合よく利用され、牢に囚われるかもしれませんぞ。それにノエリア王女も、今の姿では身の危険が……」
「私たちは、戦争を止めるために命を懸けています」
ノエリアは静かに、しかし揺るぎなく答えた。
「ただ、マルケス卿に危険が及ぶようにはしたくありません。内容は一切聞かず、『レオンハルト王子とノエリア王女に強く頼まれたから』という立場を取っていただくだけで十分です」
しばらく沈黙が続いた。
やがてマルケス卿は、静かに、しかし力強くうなずいた。
「……わかりました。理由は何も聞かなかったことにいたしましょう。私の名にかけて、王と王族、そして有力貴族すべてを集めてみせます」
その言葉を聞いた瞬間、ノエリアは小さく息を吐いた。
張り詰めていた肩の力が、わずかに抜けていく。
隣でレオンハルトが静かに目を閉じた。
***
数日後――。
王宮の大広間に、王族と有力貴族が一堂に会した。
重苦しい緊張が漂う中、ルクシオン国王はレオンハルト王子を見据え、いかにも上機嫌そうに声を張り上げた。
「レオンハルト! よくぞやった! しかも"幸運の領主"まで連れてきてくれるとは、大手柄だ! さらに聖女ノエリアまで取り返してくれるとは……実に見事だ!」
その場にいた全員の視線が、一斉にケイスへと注がれた。
王の口元は笑っていた。
しかしその目の奥に、底知れぬ計算が光っていた。
(この笑顔は信用できない)
広間にざわめきが走る。
「まさか"幸運の領主"が……」
「王があれほど欲していた存在が……」
「聖女ノエリアまで揃うとは……ただ事ではないぞ」
貴族たちのどよめきが収まらない中、王はすかさず声を張り上げた。
「グレイス王国から聖女を取り返し、"幸運の領主"までも手に入れることができた! すべてはレオンハルト、お前の働きによるものだ!」
広間が再び大きなどよめきに包まれた。
ケイスは静かに、深く息を吸った。
(さて……ここからだ)
(実際に王が戦争を始めようとしているかは確かめようがないが、刺客を送ってくるような王には、ご退場願おう)
次に発する言葉のために、心を鎮めていた。




