第62話 折れていない何かが、確かに残っていた
「この件を王に報告すべきか迷うわ」
レオナが苦い顔で言った。
「でも報告したところで、何も行動を起こさないでしょうね。フェルステッド侯爵から刺客を送られたときでさえ、動くのをためらっていたくらいですから」
「こちらから戦争を仕掛けることにはならないと思います」
父が続けた。
「ですがルクシオン王が、攻め込まれる前に攻めろと先手を打ってくれば、それはそれで困る。あの王のことは、正直読めません」
「エリュシア王女、女王には今回の件を報告されましたか」
「ルーナとナディアが刺客の侵入に気づいて、私を警護してくれていました。すぐに女王へ報告しようとしていましたが、待ってもらっています」
俺は静かに息を吸い、ノエリアへと向き直った。
「……ルクシオン王国の王族の中で、この方が王になれば、という人物はいませんか」
一瞬、場の空気が変わった。全員が俺の顔を見た。
「ケイス」
父の声が低くなった。
「ルクシオン王を別の者に代えようと考えているのか。運だけでどうにかなる話ではないぞ」
「ですが放っておけば、ルクシオン王国との戦争になりかねません。そうなればエルディア王国も巻き込み、大きな戦争に発展する恐れがあります」
「そうだが、お前がやろうとしていることは、命がいくつあっても足りんぞ」
「いざとなれば、レグニアが守ってくれますから」
***
「この国は人材が乏しい。どの貴族も自分の利益ばかり考えている。お前がやろうという気持ちになるのもわかる」
父が静かに続けた。
「だが、無茶はするなよ。レグニア、ケイスのことを頼む」
「もちろんだ。任せておけ」
「心配かけます、父上」
俺はノエリアへと向き直った。
「さっきの質問だが……該当者はいないだろうか」
ノエリアは一瞬ためらった。それから、静かに口を開いた。
「第二王子――レオンハルト殿下は、立派なお方です。ただ……兄弟から幾度も命を狙われ、今はグレイス王国との国境の山間部で隠棲しておられます」
「その方が王となることは、難しいですか」
ノエリアは悲しげに首を振った。
「殿下を支えていた方々は、皆、暗殺されてしまいました。殿下ご自身が今も王位を望んでいるのかどうか……今となっては、それすらわからないのです」
「その話を聞くと、ルクシオン王がこちらへ先制攻撃を仕掛けてくる可能性がますます高い気がします」
俺は続けた。
「もし殿下が王位を望んだとして、支援してくれそうな有力者はいますか」
「私を支えてくださった貴族が数人います。その方々なら……」
会議室に沈黙が落ちた。
やがてノエリアが、覚悟を決めたように顔を上げた。
「殿下が身を隠している場所を知っています。アルディナ山地のフィオレ村です。私にだけ教えてくださった場所ですから、確かです」
「アルディナ山地のフィオレ村か」
レグニアが腕を組み、口元をかすかに歪めた。
「移動なら任せろ。私なら一瞬だ」
「一瞬……?」
ノエリアが目を丸くした。
「そのような移動ができるのですか。ならば私も行きます。顔を知っている者がいなければ、扉を開けてもらえないかもしれませんから」
「そうだな。一緒に行こう」
俺も頷いた。
「ならば私も同行するわ」
レオナが当然のように言った。
エリュシアも続く。
「私も。いきます」
騎士団長グレンが即座に立ち上がった。
「王女が王の許可もなく他国へ赴くなど、騎士団長として断じてお止めせねばなりません。どうか、どうかお考え直しを……」
「行きます。もう決めましたから」
レオナが穏やかに、しかしきっぱりと言った。
グレンは口を開き、また閉じた。
レオナの顔を見て、何かを諦めたように小さく息をついた。
「……それならば、私も同行いたします」
「すぐに戻りますから、待っていてください。護衛はレグニアがいれば大丈夫です」
グレンは一瞬固まり、それから寂しそうに頷いた。
(王女になにかあったらどう責任をとれば……胃がチクチクしてきた)
その表情が、すべてを語っていた。
***
翌朝、俺たちは出発した。
「……では、行くか」
レグニアが手を差し伸べた。ケイス、ノエリア、レオナ、エリュシアが、その手に触れる。
「では――」
瞬間、光が弾けた。視界が歪む。
「ここがフィオレ村だ」
「レグニア、すごいな。本当に一瞬だった」
俺が感動していると、女性たちも周囲をきょろきょろと見回している。
木々に囲まれた山間の小さな集落だった。
石造りの家々が並び、畑では麦が風に揺れている。
澄んだ空気に小鳥の声が響き、世界から切り離されたような静けさがあった。
その一角に、ひときわ大きな家が建っていた。
木の柵で囲まれ、窓には厚い布が掛けられている。
まるで外の世界を拒絶するように。
「第二王子がいるとすれば、あの家だな」
レグニアが低く呟いた。
「私が行ってきます」
ノエリアが一歩前に出た。
「気をつけて」
ノエリアは頷き、玄関へ向かった。
コンコン、と扉を叩く。
しばしの沈黙の後、ギィと音を立てて扉が細く開いた。
覗いたのは、無精髭を生やし、疲れ切った目をした男だった。
彼はノエリアをしばらく見つめ、それから目を見開いた。
「……ノエリアか。顔が……昔のままに戻っているな。よかったな……!」
「レオンハルト兄様」
ノエリアは深く頭を下げた。
「どうしても、お話したいことがあります」
「何の話かはわからないが、わざわざここまで来てくれたんだ。中に入ってくれ。連れの方々も」
***
家の中は質素だったが、整えられていた。
レオンハルトは俺たちを順に見回し、ゆっくりと口を開いた。
「ノエリアが連れてきた者を、疑うつもりはない。だが……」
ノエリアが姿勢を正した。
「ご紹介します。グレイス王国第二王女、レオナ様。アーサー子爵様。エルディア王国第一王女、エリュシア様。そして護衛のレグニア様です」
レオンハルトの眉が、ゆっくりと上がった。
「……グレイス王国の王女と、エルディア王国の王女が。わざわざこの辺境の村まで」
しばらく沈黙した後、彼は静かに言った。
「いったい、何の話なのだ」
その声には疲労が滲んでいたが、それでも折れていない何かが、確かに残っていた。
(このひとと話してみたい、と思った)




