第60話 シャドウクライ、侯爵邸に現れる
王女とともにやってきた詰問使者が、淡々と告げた。
「王女殿下のおっしゃられたことは、すべて事実でございます。グレイス王は正式な謝罪を求めておられます」
王は顔を覆い、低く呻いた。
「……大変ご迷惑をおかけしました。後ほど書面による謝罪と、金貨一千枚をお送りいたします」
使者が去ると、ゼルヴィウス王は玉座の机を拳で叩いた。
「王としての面目はどうなる!」
聖女となったノエリアを失い、ケイスも手に入らなかった。
おまけにイザベルの愚行の尻拭いとして、謝罪文と金貨三千枚を差し出す羽目となった。屈辱以外の何ものでもない。
(許せぬ……このまま終わらせてなるものか)
刺客を雇い、二人を始末する。
一瞬そう考えた。しかしすぐに思い直す。
(もし依頼主が露見すれば、国と国との戦争になる。それは困る)
そのとき、王の脳裏にある噂がよみがえった。
南方のソレイユ王国に、曰くつきの教団が存在するという。
名をエクリプス教団。
"異形の神・ザルヴァナス"を祀り、幼少期から暗殺の技を叩き込まれた者たちを抱えているという。その暗殺集団は"シャドウクライ"と呼ばれているそうだ。
金さえ払えばどんな相手でも始末し、いかなる拷問にも依頼主の名を漏らさない。
狂信者たちだからこそ、できることだ。
(奴らに任せれば、依頼主は絶対に露見しない)
しかし金がかかる。
イザベルの件で金貨一千枚を失ったばかりだ。
(痛いな……。だが税を増やせばいい。王の面子の方が大事だ)
王は不敵な笑みを浮かべた。
その笑みの裏で、民がまた苦しむことなど、これっぽっちも頭になかった。
***
満月の夜――。
侯爵邸の空気が、妙に重苦しかった。
風もないのに木の葉が揺れた。
番犬が低く唸り、すぐに口を閉じた。まるで何かを恐れるように。
月明かりの下、三つの影が音もなく動いていた。
足音はない。息遣いすら聞こえない。地を踏んでいるのかさえ疑わしいほど、その動きは滑らかで、自然で、不気味だった。
シャドウクライの刺客たちだ。
彼らは体内に"気"を練り上げ、放出することで相手の内部を破壊する術を使う。
皮膚には傷ひとつ残らない。外から見れば何も起きていない。
しかし体の内側だけが、静かに壊れていく。
苦しむ間もなく、声を上げる間もなく。
「ここか」
三人のうちの一人が、ほとんど口を動かさずに呟いた。
「まずはレグニアという護衛を仕留める。最強だと噂されているが……噂に過ぎん」
他の二人は無言で頷いた。目だけが動いた。
闇に溶けるように、三つの影が屋敷へと滑り込んでいった。
***
レグニアは異変を瞬時に察知した。
(……来たか)
音はない。気配もほとんどない。
しかし黒竜の感覚は誤魔化せない。殺意の欠片が、空気の僅かな歪みとなって伝わってくる。
(三人いる。手練れだ)
獣のような瞳で闇を見据え、静かに剣へ手をかけた。
次の瞬間、窓が割れた。影が二つ、音もなく飛び込んでくる。
同時に放たれた"気"が空気をびりびりと震わせ、部屋の温度が一瞬下がったような感覚があった。
(二人がここへ来た。となれば、もう一人は――)
ケイスのいる方向へ意識を向ける。一瞬だけだ。
(あのスキルは強力だからな。手を出した者がどうなるか……まあ、見ていればわかるか)
口元にわずかな笑みが浮かんだ。
レグニアは剣を抜き、真っ向から二人を迎え撃った。
***
その頃――。
レグニアから『危ないぞ!』という声が届いた気がして、廊下を確認したケイスの前に、残りの一ひとが現れた。
(こいつが、ぽっちゃり子爵のケイスだな。恨みはないが殺らないといけない。……済まない)
鋭い殺意を全身にまとい、一直線にケイスへ突き進んでくる。
(やばい、本気で俺を殺す気だ……しかも強そうだ)
猛烈な勢いで迫る刺客に、ケイスは反射的にバランススキルを発動させた。
『不運100%』
瞬間、刺客の足が絨毯に引っかかった。
「なっ……!?」
体勢を崩しながらも、刺客は素早く"気"を練り上げようとした。
しかし何かがおかしい。力が収束しない。
体の中でバラバラに散っていくような、不快な感覚だけが広がっていく。
(な、なぜだ……気が……まとまらない……!)
焦りが生じた。訓練を積んだ刺客が、これほど動揺することは本来あり得ない。
しかし"不運"はそういうものだ。
なぜかうまくいかない。理由はわからない。
ただ、すべてが噛み合わない。
(気がダメなら……短剣だ)
懐から毒を塗った短剣を素早く抜こうとした。
しかし指が滑った。短剣が手から離れ、くるりと回転しながら落下した。
刃が、自分の足の甲に深々と刺さった。
「ぐっ……!」
毒が、みるみる体内へと回っていく。
足から力が抜け、膝をついた。
(こんな……馬鹿な……。間抜けな最期だが、これでいいかもな)
(どうか、ヴィクトール様……ご無事で……)
崩れ落ちる刺客に、ケイスが静かに問いかけた。
「誰に依頼された」
刺客は冷たい目で睨みつけ、吐き捨てた。
「言うわけがないだろう……どうせ毒で死ぬ……」
だが次の瞬間、口が勝手に動き出した。
「……ルクシオン王の……命令だ……」
「な、なぜ……しゃべって……くそっ……!」
「ルクシオン王だと……!」
廊下に駆けつけてきたレオナの声が響いた。
その夜、女子会で帰りが遅くなり侯爵邸に泊まっていた彼女は、怪しい気配を察して剣を掴み飛び出してきたのだった。
さすがは剣豪スキルの持ち主である。
「……ルクシオン王の命令、ということね」
レオナの声は静かだった。しかしその目に、静かな怒りが灯っていた。
刺客は力尽き、その場で息絶えた。
そのとき、屋敷の奥から争う声が響いてきた。
(レグニアだ……)
俺は廊下を駆け出した。




