第59話 性悪はいつかバレるものよ
艶やかな黒髪をかき上げる仕草、唇に浮かぶ挑発的な笑み――
そのどれもが「あなただけを見ているのよ」と錯覚させる狡猾な罠だ。
ほんの一瞥を送られるだけで、
貴族の若い男たちは、自分が特別に選ばれたと信じ込んでしまう。
「女神は実在したのか」
「最高だ!」
「この魅力には抗えない! 妻と別れられないかな……?」
男たちはますます夢中になり、視線を外すことさえできなくなっていた。
会場はイザベルの独壇場。
王もその姿を見てニヤけている。
だが、彼女の心は冷静、冷めきっていた。
(こんな連中なんか、どうでもいいわ。私が狙うのは――金貨二千枚の賞金首よ!)
視線がぴたりと止まる。
会場の隅で立ち尽くす“ぽっちゃり子爵”――ケイス。
猛禽類のような鋭い目でロックオンだ。
(こんなデブ……私の手にかかれば……イチコロ!)
イザベルの目が光り、ゆっくりと歩みを進める。
会場の視線も自然とケイスへ集まった。
「おい、イザベル王女が……」
「まさかあのデブ子爵に向かって歩いていく? なぜだ……?」
「信じられない? ルクシオン王国は、デブがモテるのか?」
「食って、太って、ルクシオン王国に行くか……」
ざわざわと囁きが広がる。
***
「アーサー子爵……一曲、踊ってくださいませ?」
妖艶な微笑みを浮かべ、白い手が差し出された。
その瞬間――ケイスは静かにスキルを発動した。
『不運70%』
イザベルの胸に、ふいに不安がよぎった。
気のせいだと気合いで押し返そうとした次の刹那、足が滑った。
よろけた手がテーブルクロスを掴む。
そのまま引きずり、皿ごと料理が雪崩を打って床へ落ちた。
肉汁、サラダ、ソース――豪奢なドレスへ、惜しみなく張り付いていく。
「だ、大丈夫ですか! すぐに換えのドレスを……!」
心配して駆け寄った若い貴族たちに、イザベルは振り返った。
「いらないわ! 触らないでちょうだい、気持ち悪い!」
助けようとした男たちが、ぴたりと固まった。
よろめきながら立ち上がったイザベルは、なぜか王の方へ向き直った。
そして、自分でも止められない勢いで口が動き始めた。
「グレイス王って……本当に無能ですわね」
「私、これまでいろんな男を見てきたから、すぐわかるの。決断力ゼロ、能力ゼロ。ルクシオン王国ではみんなそう言ってますわよ」
広間が凍りついた。
しかし口は止まらない。
「それと、アーサー子爵!」
「あなたみたいなぽっちゃり男に、なぜ私が声をかけなければならないの? ルクシオン王に頼まれて、金貨二千枚の報酬がなければ、絶対にあり得ませんわ!」
会場がどよめいた。
(なるほど……お金が目的だったか。思ったより単純な話だったのだな)
「この会場の男ども! どいつもこいつも底が浅くて、お話にならない。過去最低の晩餐会ですわ。この国の程度が知れるというものよ!」
(……あれ。私、何を喋っているの?)
(止まらない。口が、止まらない……!)
(こ、これって……国際問題?)
***
会場全体が凍りついた。
楽団の音が止まり、視線が一斉にイザベルへと注がれる。
「なぜ王の悪口を……」
「まあ、間違ってはいないがな。ふふふ」
「金貨二千枚って何の話だ?」
「金目当てで来たということか」
「俺たちがキモいだと……性悪にもほどがある」
ざわ……ざわ……。
王の顔が、みるみる紅潮していく。
「イザベル王女!」
玉座から立ち上がった王の声が、雷鳴のように広間に轟いた。
「余を愚弄し、我が国の貴族たちをバカ呼ばわりとは! 直ちにルクシオン王国へ帰れ! 詰問の使者も送る。覚悟しておくがいい!」
「ま、待ってください! 今のは……口が滑っただけで。つい、本当のことを……」
必死に取り繕おうとした。しかしそれは火に油を注ぐばかりだった。
「まだ言うか! もういい。さっさと消え失せろ!」
王が震える指を向けたその瞬間――イザベルのヒールが床の溝に引っかかった。
「きゃっ」
ドッシャーン!
派手に転倒し、床に顔面を強打。
前歯がポッキリと折れ、鼻から盛大に血が噴き出した。
「ひぃぃ! 血が……!」
「お顔が……! 鼻が……!」
美貌の姫は一瞬にして見る影もなくなり、広間は水を打ったように静まり返った。
(天罰ね)
女性陣の心の声が、ぴたりと重なった。
レオナも、エリュシアも、ノエリアも、リリアも。その視線は冷ややかで、同情の欠片もなかった。
晩餐会に出席していた貴族たちは笑いたくて仕方がない。
しかし相手は他国の王女だ。
笑えば国際問題になりかねない。
誰もが必死に表情を殺していた。
そんな中、会場の片隅でリリア、レオナ、エリュシアが静かに顔を見合わせた。
「性悪はいつかバレるものよ」
三人が同時に、小さく肩をすくめた。
***
ルクシオン王国へ戻ったイザベルは、顔を包帯でぐるぐる巻きにし、お尻をさすりながら宮殿へ入っていった。
帰国の道中、なぜか馬車の車輪が何度も穴にはまり、そのたびに座席でお尻を強打した。青あざだらけになりながら涙目でたどり着いたのである。
心の中では台詞を準備していた。
(お父様、私は罠にかけられ、このような姿に……と訴えてやるわ)
しかし口を開いた瞬間、こぼれ落ちたのはやはり本音だった。
「グレイス王を見ていたら、我慢できなくて……。決断力ゼロ、能力ゼロのバカ王って言ってやったのよ。会場の貴族たちもあまりにバカっぽかったから、キモい、バカって言ってやったわ。本当の事だもの」
「な、なにぃ!」
ゼルヴィウス王の顔が、みるみる赤くなっていった。
「バカはお前だ! 謹慎を命ずる。二度と部屋から出てくるな。牢に入れないだけありがたく思え!」
「で、でも……お父様……」
「黙れ!」
廊下に王の怒声が響き渡り、廷臣たちは一斉に視線を床に落とした。
誰も笑わなかった。笑えなかった。
ただ、肩が少し震えている者が数名いた。
(イザベルの奴、頭でもおかしくなったか!)
(くそ、グレイス王国に謝罪しなければならないじゃないか)




