第55話 ノエリア第四王女登場
やがて"幸運の領主"ケイス・アーサーの名は、グレイス王国を超えて、西の隣国ルクシオン王国にまで届いていった。
近年、ルクシオン王国では度重なる不作が続き、食料不足と増税に民の不安は募るばかりだった。
そんな折に広まったのが、ケイスの噂だった。
「アーサー子爵が訪れた畑は必ず豊作になるらしい」
「道を歩けば両脇に花が咲き乱れたとか」
「枯れた荒れ地に立っただけで水が湧き出したと聞いたぞ」
「死にかけた森が蘇ったらしい」
尾ひれのついた話は国境を越え、ルクシオン王国の宮殿にまで届いていた。
「"幸運の領主"と縁を結べば、我が国が救われるかもしれない。話半分としても、不作が終われば大助かりだ。嘘だったとしても、今より悪くはなるまい」
そう言い出したのは、ルクシオン国王ゼルヴィウスだった。
強欲で、権力と金にしか興味のない男だが、打算の嗅覚だけは鋭い。
しかし、その発言に真っ先に反応したのは王女たちだった。
「ケイス・アーサーって、かなりの太っちょだと聞いたわよ」
「子供の頃からそんな体型だなんて、考えられないわ」
「生理的に無理。そんな縁談、絶対お断り」
「デブもブサイクも、見たくもない!」
高慢な声が次々と重なり、誰一人として乗り気ではなかった。
父親譲りの自分勝手さが、この場でも遺憾なく発揮されていた。
しかしその中で、ひとりだけ静かに手を上げた少女がいた。
「――わたくしが、参ります」
ルクシオン王国第四王女、ノエリアだった。
***
かつてノエリアは"天使のような美姫"と呼ばれ、民から絶大な支持を受けていた。
聡明な頭脳、慈悲深い心、そして神秘的な加護を思わせる不思議な力――すべてを備えた王女だった。
しかし九歳を過ぎたころから急激に太り始め、神秘的な力も薄れていった。
"デブ姫"、"期待外れ"。
嘲笑は止むことなく、取り巻きは去り、兄弟姉妹からは疎まれた。
父ゼルヴィウス王でさえ、娘の申し出に冷酷に言い放った。
「そうだ、デブにはデブがお似合いだな。何の役にも立たぬお前が、国のために役立てる機会がやってきた。大いに感謝せよ」
その言葉にノエリアは泣くことも怒ることもなく、ただ静かに頷いた。
「私、ケイス様にお会いしてみたいです」
理由を問われても、それ以上は語らなかった。
彼女の胸の奥に何があったのかは、誰にもわからない。
ただ一つだけ確かなことがある。
彼女は誰にも恨み言を言わず、その日も静かに微笑んでいた。
もしかしたら――同じように太っていると言われながら、それでもひとの役に立とうとしているひとがいると聞いて、『会ってみたい』と思ったのかもしれない。
***
ルクシオン王国でそんな話が交わされて、しばらくが経った。
グレイス王国では――。
「我が王女ノエリアを、ケイス殿のもとへ……」
ルクシオン王国からの使者が、ロイの侯爵邸を何度も訪れるようになっていた。
グレイス王はというと、ルクシオン王からの打診に対してこう答えたらしい。
「アーサー家が承諾するなら、余は構わぬ」
相変わらずだった。
自分では何も決めず、面倒なことは他人に押しつける。
考えない、動かない、判断しない王だ。
父は毎回丁重に断り続けていたが、それでも使者は懲りずにやってくる。
その度に父の表情が少しずつ険しくなっていくのが、傍目にも伝わってきた。
(グレイス王が断ってくれてれば、こんな面倒なことにはならなかったはずだ)
(優柔不断、判断先送り、事なかれ主義……本当に救いようがないな、あの王は)
***
エリュシアの"見学期間"は、とっくに過ぎていた。
しかし本人には帰る気など微塵もない。
当然のように侯爵邸に居座り、気づけば自分の実家のようにしている。
そしてエリュシアがいることで、レオナ王女まで足繁く通うようになり、侯爵邸はいつの間にか"王女二人の居候状態"と化していた。
「『アーサー家が承諾するなら認める』って……」
レオナが低く呟いた。
声は静かだったが、その目が語っていた。
「なぜ王は、いつもそうなのかしら!」
「グレイス王って、そういうひとなんだ?」
エリュシアが首をかしげる。
「……そうなのよ。ほんとに……」
「それに! ケイスは私の……」
エリュシアの言葉を、レオナがすかさず遮った。
「ケイスは……私が先よ。そんな押しかけ王女に、好き勝手させるつもりはないわ」
言ってから、レオナがわずかに頬を染めて視線を逸らした。
「わ、私だって……ケイスのことは……!」
エリュシアも負けじと声を上げる。
二人の視線が、今度は俺に向いた。
「ケイス、あなたはどう思っているの」
「そうよ、どうなのよ」
「い、いや……まだ結婚とか、そういう話は……」
(この世界のひとを幸せにするという神との約束があるから、ぽっちゃり体型でいるんだけどな)
(本来、こういうことは起こらないはずなのに……。どうすれば)
言い訳が頭の中でぐるぐると回る。
しかし二人を前にすると、うまく言葉にならなかった。
「……そういうわけで、今は」
「そんなんだから!」
二人に同時に怒られた。
何を言っても怒られる気がした。
何がいけなかったのか、正直よくわからない。
扉の向こうから、くぐもった笑い声が聞こえてくる。
母、妹、そしてもはや母の親友と化したミーナの三人が、またしてもそこにいた。楽しんでいるのが、声を聞かずともわかった。
(楽しんでないで、助け舟を出してくれよ)
***
いつものように応接室で、王女二人のバチバチが繰り広げられていた。
しかし険悪な雰囲気はない。
ケイスを巻き込みながらも、どこか楽しんでいるような空気だ。
それを母、妹、ミーナ、そして今日は父まで、揃って面白そうに眺めていた。
そのとき――執事の声が応接間に響いた。
「失礼いたします。ルクシオン王国第四王女、ノエリア様をご案内してよろしいでしょうか」
居合わせた全員が、一斉に執事へ視線を向けた。
「王女が直接来られているのか?」
父が眉を上げて確認した。
「はい。しかも、お一人のようです」
「お一人で? とにかく、お会いしないわけにはいかない。丁重に案内してくれ」
やがて執事に案内されて応接間に入ってきたのは、丸々とした体つきの、愛らしい少女。ふっくらとした頬に、柔らかな微笑み。
しかしその瞳は不思議なほど澄み切っていた。
背筋は真っすぐに伸び、気品を纏った立ち姿は、紛れもなく王女そのものだった。
「はじめまして。わたくし、ノエリア・ルクシオンと申します。本日、ケイス様の花嫁候補として参上いたしました」
一瞬、空気が凍りついた。
「はああああああ!?」
レオナとエリュシアが、椅子を蹴って同時に立ち上がった。
「花嫁候補って、どういうことですか!」
「私たちがいるのに……!」
応接間の空気が、嵐の前触れのように張り詰める。
しかしノエリアは少しも臆することなく、穏やかに微笑んだ。
「ご迷惑であれば、結婚していただかなくても構いません。ただ……ここに、置いていただけないでしょうか」
その声には悲壮な響きがなかった。
柔らかく、ひとを安心させる力があった。
かつて"天使のような美姫"と呼ばれていた頃の面影が、確かに残っていた。
「け、結婚しなくてもいい……とは?」
レオナとエリュシアが顔を見合わせた。
意味がわからない、という顔をしている。
父が腕を組んで眉をひそめた。俺も思わず問い返した。
「どういうことでしょうか」
ノエリアはゆっくりと息を整えた。その瞳の奥に、長い間胸に秘めてきた孤独と、それでも折れなかった決意の色が宿っていた。
(なぜ、一人で来たのだろう)
護衛は付いてきたはずだ。
しかし、王女自らが単身で公爵邸に乗り込んでくるとは、只事ではない。
(事情がありそうだな)




