第53話 甘い戦い、お菓子の午後
レオナ王女に世界樹の件を報告した翌日――。
侯爵邸を訪ねてきたのは、レオナ王女、騎士団長グレンと部下二名だった。
いつもの鎧姿でも騎士服でもない。深紺のジャケットに白いブラウス、細身のパンツという、どこか街歩きを意識したような格好だった。
髪も普段より少し柔らかくまとめられている。
それでも凛とした雰囲気は隠しきれない。
むしろ、こういう姿の方が余計に目を引くような気がして、俺は思わず視線を逸らした。
「これは、レオナ王女。本日のご要件は?」
「エリュシア王女を、街にご案内したいのです」
ストレートな申し出に、一瞬きょとんとしてしまった。
王女からの申し出を断れるわけがない。
「ぜひ、お願いしたいです」
返事をした俺の隣で、エリュシアが跳ねるように声を上げた。
「街に行ける! やった!」
「エリュシア王女殿下、はしたないですよ」
ルーナが小声で窘める。
「でもうれしいんだもの。ねえ、お菓子屋さんにも行けるのかしら?」
「お望みでしたら」
エリュシアがレオナ王女に向き直り、ぺこりと頭を下げた。
「レオナ王女、ありがとうございます!」
レオナは微笑みを返したが、その笑顔がほんのわずかに固かった気がしたのは、気のせいだろうか。
こうして俺とレグニア、レオナ王女とグレン団長と部下二名、エリュシアとルーナとナディアという、なんとも大所帯での街歩きが決まった。
「ねぇ、これって……なんだか楽しそうな展開ね。後ろからこっそりついていけないかしら」
背後で母がミーナにひそひそと囁いている。
「奥様、さすがにそれは、やめておいた方が……」
「ちょっとだけなら、いいじゃない?」
「奥様……侯爵夫人ということをお忘れなく!」
(全部聞こえてるよ。とにかく恥ずかしいことはやめてください)
俺は静かに玄関の扉を閉めた。
***
午後の快晴の空の下、俺たちは王都の城下町へ出かけた。
街の中心部は、色とりどりの旗や布がはためき、商人たちの呼び声と客の笑い声があふれている。
香辛料の匂い、焼き立てのパンの香り、行商人の楽器が奏でる軽快な音楽……五感が一度に刺激される賑わいだった。
「ここが王都の中心広場よ。ひとの街はいかがかしら」
レオナが穏やかに問いかけると、エリュシアは目を輝かせてあちこちをきょろきょろと見渡した。
「すごく賑やかです。活気がありますね!」
見るものすべてが宝物のように映っているのだろう。
陽光を受けたエリュシアの髪がきらきらと輝き、その周りだけ空気が明るいような気がした。
(本当に、妖精のようだ)
気づくと、俺はしばらくエリュシアをじっと見つめていた。
「……ケイス」
レオナの声に、はっと我に返る。
振り向くと、王女がこちらをまっすぐ見ていた。
笑顔だった。ただし、目の奥が笑っていなかった。
「そんなに見つめていたら、エリュシア王女殿下が恥ずかしがるんじゃないかしら」
「あ、いや……そういうわけでは」
「そうかしら」
レオナはそれだけ言って、すっと前を向いた。
その横顔は穏やかだったが、どこか少しだけ、いつもと違う気がした。
そのとき、レオナ王女の鼻がぴくりと動いた。
「ケイス、あのお店からいい匂いがしますわ」
視線の先には、可愛らしい木造の甘味処。
エリュシアがぱっと振り返り、たちまち目が釘付けになった。
「あの匂い……すごく甘い。寄っていきたいです!」
「ケイス、行きましょう」
俺を先頭に、一行がぞろぞろと甘味処へ入ることになった。
グレンの部下二名とルーナ、ナディアは店の前で警備につく。
中はこぢんまりしているが、木の香りが心地よく、窓際には小さな花が飾られていた。店員がにこやかに奥の席へと案内してくれる。
「おすすめを教えていただけますか」
俺が尋ねると、店員は嬉しそうに顔を輝かせた。
「本日でしたら、蜂蜜とナッツの焼き菓子が特においしゅうございます。それと、季節の果実を使った紅茶もぜひ」
「では、それを人数分いただけますか」
「かしこまりました!」
レオナが店内をゆっくりと見回しながら言った。
「こういうお店、好きだわ。王宮にはない、こういう温かさがあるわね」
「王女様はよく街に?」
「なかなか来られないの。だから今日は楽しみにしていたのよ」
「それは良かったです。ゆっくりしていってください」
レオナがふっと表情を緩めた。そのわずかな笑みが、普段の凛とした王女とは少し違って見えた。
エリュシアはすでにメニューの絵を覗き込み、店員に「これは何ですか」「これはどんな味ですか」と矢継ぎ早に質問していた。
店員も慣れない問いかけに少し戸惑いながらも、丁寧に答えている。
やがて木の皿に、数種類の焼き菓子と果実入りの紅茶が並べられた。
甘い香りがふわりと広がり、思わず喉が鳴った。
***
「エリュシア王女、お味はいかがですか」
「うん……美味しい。でも――」
エリュシアがぽつりと呟いた。
「ケイスが作ってくれたお菓子の方が、もっと美味しかったわ」
その瞬間、レオナの手がぴたりと止まった。
「……ケイスが、お菓子を作ったのかしら」
「ええ。エルフの国で、焼きたての果実タルトを作ってくれたのです。とっても美味しくて」
エリュシアが嬉しそうに答えた。
無邪気に、悪気なく。
レオナはゆっくりと俺に視線を向けた。
「私には一度も作ってくれたことが、ありませんでしたわね」
「それは……機会が、なかなか……」
(誰のせいで忙しかったと思っているんだ)
(丸投げに次ぐ丸投げで、料理をする暇などなかったぞ)
しかし当然、口には出せない。
「……次は必ず作ります。お約束します」
レオナはしばらく俺をじっと見つめていた。それからふいに視線を外し、小さく鼻を鳴らした。
「……全員、侯爵邸に戻るわよ」
後ろでグレンが、天を仰いでいた。
(侯爵邸に戻ったら、厄介事が待っているんだろうな)




