第49話 ティルフィア女王との出会い
「ここでしばらくお待ちください。女王陛下に、皆さまのご到着をお伝えしてまいります」
そう言い残すと、ルーナは軽やかな足取りで聖樹の宮殿の奥へと消えていった。
残された俺とレグニアは、巨樹が寄り添い合って築かれた荘厳な城の前に立っていた。広場は広々としているのに、騒音がまるでない。
耳に届くのは、葉を揺らす風の音と、小鳥のさえずりだけだ。
その静寂は退屈なものではなかった。
神聖さに満ちた、重みのある静けさだった。
立っているだけで、自然に背筋が伸びる。
「緊張してきた」
思わず呟くと、隣で腕を組んだレグニアが鼻を鳴らした。
「黒竜に緊張などない」
「俺にとっては初めての外交の場だぞ。そりゃ緊張するよ」
(そもそも、こういう場でどう振る舞えばいいのか、まったくわからない)
(レオナ王女に来てもらえば良かったかな……いや、それはそれで大変なことになる)
この清浄すぎる空気は、胸の奥まで透き通されるようで、自分の弱さや迷いまで見透かされる気がした。
やがて――。
聖樹の奥から、一人の女性が現れた。
月光を紡いで織り上げたような白金のドレス。
背中まで流れる銀髪が光を帯びて淡く輝き、歩みの一つひとつが大地に祝福を刻むかのようだった。
柔らかに微笑みながらも、纏う気配は圧倒的で、その場にいる者すべてが自然と頭を垂れたくなる。
後ろには緑の鎧に身を包んだエルフの護衛が数人。
静謐そのもので、まるで森が兵士の形をとったかのようだった。
「遠き地より、よくぞ参られました。私はエルディア王国を治める女王、ティルフィアと申します」
柔らかな声だった。
しかしその一言で、広場の空気が変わった。
温度が下がったのではない。
密度が増したような感覚だった。
俺は深く息を吸い、姿勢を正した。
「王の依頼を受け、グレイス王国より参りました。ケイス・アーサー子爵と申します。こちらは護衛のレグニアです。どうぞよろしくお願いいたします」
女王はにこやかにうなずいた。
しかし次の瞬間、その静かな眼差しがレグニアへと向いた。
優しさを湛えながらも、存在の奥底まで見透かすような目だった。
「アーサー子爵は、ドラゴンに守っていただいているのですか」
レグニアの肩が、ほんのわずかに強張った。
「……なぜ、わかった」
「私たちエルフは精霊に近しい存在。ひとの目には映らぬものも、私たちには見えてしまいます。あなたの本質を隠すことは、ここではできません」
女王は微笑んだまま続けた。
「もっとも、黒竜様を客人としてお迎えできるなど、我が国にとっても光栄なことです」
***
女王は深く頷き、再び俺をじっと見つめた。
しばらく無言のまま視線を交わした後、目を細めて静かに微笑んだ。
「ドラゴンに守られる"幸運の領主"。あなたは本当に人間なのですか」
「はい、れっきとした人間です。それも……」
俺は両腕を広げ、自分の体をわざと誇らしげに見せつけた。
「見ての通りのぽっちゃり子爵。食べすぎではありませんよ」
女王が堪えきれぬように、小さく笑みをこぼした。
(よし、笑ってくれた。外交で場を和ませるのは大事だ)
「ふふ。しかしあなたの姿は、"仮初の姿"ですわね。なぜあえてその姿を選んでいるのですか」
その言葉に、思わず息を呑んだ。
(エルフとは、そこまで見えるのか……)
「私は、神より、多くのひとを幸せにするという使命を受けました。だから、見た目だけで近づいてくる女性は遠ざけたい。この容姿でいれば、そういう方は来ませんから」
横でレグニアがちらりと視線をよこし、わずかに目を細めた。
言葉にはしないが、その通りだという顔をしている。
「殿方の容姿ばかりを気にする女性ばかりではありませんわよ」
女王は静かに言った。
「なるほど。あなたは面白い方ですね」
そのとき――女王の背後から、小さな顔がひょっこりと覗いた。
黄金の髪に緑の髪飾りをつけた小柄なエルフの少女が、目を輝かせてこちらを見つめている。
「こちらは私の娘、エリュシアです。人間が我が国を訪れることは珍しく、どうしても見たいと申しまして。失礼があればお許しください」
「いえ、とんでもありません。こちらこそ、お会いできて光栄です。どうぞよろしく」
エリュシアは恥ずかしそうに笑みを浮かべ、胸の前で手を重ねてお辞儀した。
「こんにちは、幸運の領主さま」
澄んだ声だった。
(エルフは美男美女だらけだが、エルフの子供というのは、こんなにも可愛いのか)
思わずレグニアまでも、口元をわずかに緩めていた。
女王ティルフィアが改めて両手を広げ、静かに告げた。
「ようこそいらっしゃいました、アーサー子爵。あなたを、我がエルディア王国の大切なお客人として歓迎いたします」
護衛のエルフたちが一斉に、静かに頭を垂れた。
広場を囲む木々の葉が風に揺れ、樹冠の隙間から差し込む光が葉に反射してきらめく。まるで大森林そのものが、俺たちを歓迎しているかのようだった。
こうして俺は――世界樹の再生という、大仕事の入り口に立った。
できるかどうかは、まだわからないけれど。




