第48話 森の道とエルフの宮殿
執務室にて。
父と向かい合い、俺は王から受けた依頼の内容をかいつまんで説明した。
「……つまり、エルフのエルディア王国へ行って、世界樹を元気にしてこいという話です」
父はしばらく黙っていた。
それから、静かに口を開いた。
「お前の領地が、たまたま豊かになったからといって、世界樹も元気になるとは限らんぞ。そもそも世界樹は、ひとの手でどうにかできるようなものじゃないはずだ」
「上手くいかなかった場合はどうするつもりだ?」
「そのときは謝るしかありません。失望されるでしょうが、そうなれば、妙な依頼が来なくなるはずです。それに、見合いの申し込みも、おそらく……」
父がわずかに眉を上げた。
「……それもそうだな」
「それと、留守の間、アーネスト叔父から領地の件でいろいろ問い合わせが来ると思います。その対応を父上にお願いしてもよいでしょうか」
「……仕方ない。わかった」
「ありがとうございます。戻るまで、よろしくお願いします」
父は小さくため息をついたが、その口元には諦めと、どこか誇らしげな色が同時に浮かんでいた。
***
旅の準備を進めていると、エルディア王国から派遣された案内役のエルフが、王宮に挨拶を済ませ、侯爵邸を訪れた。
姿を見た瞬間、思わずテンションが上がる。
「エルフだ……! 本当にいるんだ」
透き通るような白い肌、翡翠のように澄んだ瞳、背中まで流れる銀の髪。
案内役は二人とも女性エルフだった。
一人は背が高く、凛とした気配を纏う女性。
もう一人は小柄で、人懐っこい笑顔を絶やさない女性だ。
ふと隣を見ると、父が完全に固まっていた。
口が半開きになり、視線が釘付けになっている。
その顔は、普段の厳格な侯爵とはまるで別人だった。
次の瞬間、母リリアの手が父の脇腹へ静かに伸びた。
「いたっ……!」
父が小声で呻く。
母は涼しい顔のままだった。
「あら、どうしたの?」
「な、何でもない……」
父は慌てて咳払いをし、背筋を正した。
その耳が、かすかに赤くなっていた。
(父上も人間だったんだな)
俺が内心でそう思っていると、背の高い女性エルフが口を開いた。
「まあ、可愛らしいわね。この"ぽっちゃりした坊や"が、幸運の領主様なのかしら」
「坊やじゃないですよ。これでも一応、子爵ですから」
「ふふ、ごめんなさいね。私はルーナ。こっちはナディア。よろしくね。エルフは長生きだから、年上っぽく見えてしまうのよ。ただし、年齢は聞かないでちょうだい」
***
ナディアがにっこりと笑みを浮かべ、懐から黄緑色の果実を差し出した。
「どうぞ、口直しに」
一口含んだ瞬間、芳醇な甘みと爽やかな酸味が広がり、思わず声が漏れた。
「うまっ……! なんだこれ」
「ふふん、エルフの森で育つ実りは、どれも大地の祝福を受けているのよ」
ルーナが続けた。
「気に入ってもらえてよかったわ。実はね、あなたが本当に幸運の領主様なのか、正直半信半疑だったのよ。でもこうして会ってみると……なるほど、妙に運を引き寄せそうな雰囲気があるわね」
「運が良いと、勝手に思われているだけですよ。ぽっちゃり子爵は、その通りですけど」
「ぽっちゃり子爵様に、エルフの国の命運が懸かっているの! これは、大げさでなく、真面目な話」
ルーナが静かに言った。
茶化すような口調ではなかった。
その目に、真剣な色が宿っている。
「エルフの国の命運を握る大役だと思って、お願いします」
二人のエルフが頭をさげた。
軽い言葉では返せない重さが、その一言にはあった。
***
その日のうちに旅の準備を終え、二日後の出発日がやってきた。
玄関には、両親とリリィ、そしてミーナが揃って出てきていた。
母が俺の手をぎゅっと握りしめた。
「ケイス、森の奥は危険な魔物だらけよ。無茶はしないで。あなたはもう、領民を背負う立場なんだから」
「大丈夫だよ。レグニアも一緒だし、エルフが案内してくれるから」
「レグニアがいれば百人力ね」
母はレグニアに向かって深く頭を下げた。
「どうかこの子をよろしくお願いします」
レグニアは無表情のまま、しかし珍しく丁寧に頷いた。
リリィが俺の腕を揺さぶってきた。
「いいなぁ、お兄ちゃんだけエルフの国に行けるなんて! 世界樹、きっとすごくきれいな大樹なのでしょうね」
「子供が行くところじゃないよ。帰ってきたら土産話を聞かせてやるから」
「約束だよ! 果物のお土産も絶対ね!」
リリィが笑う。
「まったく……」
母が苦笑した。
ルーナとナディアが、その光景を少し離れたところから眺めていた。
ルーナが小さく呟くように言った。
「……温かいご家族ね」
俺は照れくさくなって、馬車に乗り込んだ。
こうして――俺とレグニア、案内役のルーナとナディア。四人の旅が始まった。
***
東に向けて街道を馬車で進んだ。
街道沿いの街にいくつか泊まりながら東へ東へと向かううちに、やがてグレイス王国を抜けた。
街道の両側の風景が、畑から荒野へと変わっていく。
しかし旅は、思っていたよりずっと賑やかだった。
陽気なナディアはいつも何かしら口ずさんでいる。
ルーナも話題を絶やさない。
最初は黙って座っていたレグニアも、気づけば口数が増えていた。
(あのレグニアが……)
どうやら二人の明るさに、知らず知らず引き込まれたらしい。
笑い声が馬車の中に絶えない。
(なんだかんだで、楽しい旅になっている)
やがて馬車は東の大森林の入口に到着した。
木々の間を縫う道を進むにつれ、空気が変わった。
緑の匂いが濃くなり、鳥のさえずりと風に揺れる葉擦れの音が重なり合う。
森そのものが奏でる楽曲のようだった。
道沿いに小川が流れ、水面が陽光を受けてきらきらと揺れる。
見上げれば、樹冠の隙間から木漏れ日が降り注ぎ、まるで天から祝福が降っているようだった。
***
そして――
「この先が、私たちの国よ」
ルーナが静かに言った。
周囲を見回しても、どこにも道はない。
果てしなく続く大森林が、緑の壁のように立ちはだかるばかりだ。
「え、入り口はどこですか」
答える代わりに、ルーナが手をかざした。
次の瞬間、見えない幕がめくれるように、緑の壁の奥へと続く道が現れた。
まるで森が、静かに道を開いたかのように。
「幻影だったんですか?」
「違うわ」
ルーナが穏やかに言った。
「"意思のある道"。エルフだけが見える道よ」
馬車がゆっくりと進むと、道は静かに俺たちを奥へと導いていく。
通り過ぎた後ろを振り返ると、森はすでに元の姿に閉じていた。
痕跡すら残っていない。
(これでは、よそ者は絶対に入ってこられないな)
レグニアが低く呟いた。
「……よくできた結界だ」
それはドラゴンからの、静かな賛辞だった。
***
「見えてきたわ。あれが私たちの宮殿よ」
ルーナが指差した先を見て、俺は言葉を失った。
巨大な大木が、一本、二本ではない。無数の巨樹が連なり、互いに融合し合いながら、ひとつの巨大な「宮殿」を形作っている。
高くそびえる幹には繭のような居室が枝に沿って点在し、木の橋やツタの階段がそれらをつないでいた。
ひとが自然に手を加えたのではなく、自然そのものが住まいとして育ったかのような、荘厳で静かな美しさだった。
「これが、エルディア王国の宮殿……」
「正確には"聖樹の宮殿"。世界樹を守る、私たちの拠点よ」
木々は淡く青白い光をまとい、葉が風に揺れるたびに星のように瞬く。
「……これは」
隣でレグニアが、珍しく言葉を切った。
それからゆっくりと、静かに続けた。
「美しい」
たった一言だったが、その声には普段の彼女にはない、柔らかな響きがあった。
世界樹は、このさらに奥にあるという。
俺のスキルがそれを救えるのかどうかはわからない。それでも――この場所に来て、この風景を見られたことは、正解だったと思った。
世界樹は、まだこの先にある。どんな姿をしているのだろう。そしてあのスキルが、本当に役に立つのだろうか。
答えは、もうすぐわかる。




