第46話 奇跡の泉
俺は商人ガルドを連れ、大幸運で生み出した奇跡の泉へと向かっていた。
もちろん護衛のレグニアも同行している。
ガルドの準備は万端だった。
薬を調合できる弟子が四人、必要な器具一式、薬工房を建てるための職人と資材まで揃えてきていた。長い隊列を組んだ商人隊がぞろぞろと続いていく。
「ケイス様、"奇跡の泉"を早くこの目で見たくて、昨夜は眠れませんでしたよ!」
「到着すれば、きっと驚くと思います。楽しみにしていてください」
俺がそう答えると、ガルドは後ろを振り返り、弟子や職人たちに向かって声を張った。
「いいか、いい仕事をするんだぞ。これは我々薬屋にとって、一世一代の事業になるはずだ」
「はい、師匠!」
弟子たちの声が揃う。
その光景を眺めながら、俺は少しだけ胸が温かくなるのを感じた。
(詐欺師に全財産を奪われ、家族とともに路頭に迷っていた男が、今や立派な一団を率いている)
情けはひとのためならず、とはよく言ったものだ。
***
街道脇の農地では、農民たちが汗を流して働いていた。
以前は荒れ地同然だった場所に、今ではふかふかの黒土が広がり、麦の芽が一面に芽吹いている。
馬車に気づいた農民たちが、一斉に手を振って駆け寄ってきた。
「領主様! おかげで畑が元気になりました!」
「水に困ることもなくなりました!」
「収穫した野菜が、本当に美味しくて……!」
中には膝をついて両手を合わせ、祈るように頭を下げる者までいた。
「いや、拝むのはやめてほしい。俺は神様でも何でもないんだから」
苦笑しながら答えると、農民たちはますます声を重ねた。
「ケイス様は幸運の領主様です! この領が"天恵領"と呼ばれているのは、ご存知ですか」
「……まあ、知ってる」
「領主様にそう言っていただけるだけで、ありがたいことです」
隊列の後ろで、ガルドが目を細めてこちらを見ていた。
(みんなが幸せになってくれれば、それでいい)
照れくさいような、くすぐったいような感覚が、胸の奥にじわりと広がった。
馬車に乗り込むと、ガルドが静かに言った。
「……いい領主様ですね、ケイス様は」
俺は何も答えず、ただ苦笑いを返した。
***
数日後――。
ついに奇跡の泉に到着した。
ガルドが周囲を見回し、申し訳なさそうに口を開いた。
「ここですか? 何もありませんが」
レグニアがすっと手を掲げ、結界を解除した。
瞬間、澄んだ泉の水面が光を反射して輝き、周囲には鮮やかな緑の薬草が風にそよいでいた。
ガルドが息を呑んだ。
弟子たちが歓声を上げながら駆け寄り、薬草を一つひとつ確かめていく。
「師匠! "セレス草"です! 高級治癒薬の主成分!」
「こちらは"ブルードリーフ"! 毒消しに使えます!」
「他にも見たことのない種類が……信じられません!」
ガルドの目が輝いた。
「"セレス草"に"ブルードリーフ"、"アースベリー"に"月光花"まで……。薬屋として長年生きてきましたが、こんな場所は見たことがありません。宝の山どころか、宝の海です」
レグニアが泉の縁に腰を下ろし、ひとすくいの水を口に含んだ。
「この水、ただの水ではないぞ。生命力を増幅させる力がある。飲んでみろ」
弟子たちが恐る恐る口をつけると、一人が目を丸くした。
「身体が軽いです。疲れがすうっと抜けていきます!」
「この水と薬草と組み合わせれば、最高級のポーションが作れます。間違いありません」
ガルドは両手を震わせながら笑った。
「じゃあ、さっそく工房を建ててください。土地は好きに使っていい。良質のポーションを頼みます」
「お任せください。必ずや」
レグニアが懐から小さな札を取り出し、ガルドに手渡した。
「この場所には結界を張っておく。出入りの際にはこれをかざせ。持つ者だけが通れる」
「ありがたいことです。こんな場所をそのままにしておけば、盗賊や欲深い連中に目をつけられる。これで安心できます」
「では、俺たちは王都に戻ります。工房が落ち着いたら、報告に来てください」
ガルドは深々と頭を下げた。
その背後では、弟子たちがすでに薬草の品定めを始めていた。
***
一ヶ月後――。
侯爵邸に戻った俺のもとへ、ガルドが姿を現した。
「ケイス様、お待たせしました。これが試作品です」
差し出された瓶の中で、透き通った緑色の液体が光を帯びて揺れていた。
「滋養強壮、疲労回復、怪我の治癒を助ける万能薬です。従来品より数段上の効力があります」
レグニアが瓶を受け取り、鼻を近づけた。
「香りも悪くない。薬草のえぐみをきちんと消してある。いい出来だ」
「ありがとうございます。さっそく王都で販売いたします。お約束通り、しばらくの間は収益のほとんどをアーサー家に収めさせていただきます」
「助かります。当面は領民の食料と資材が必要ですから」
ガルドは誇らしげに胸を張った。
「奇跡の泉と薬草がある限り、この領は飢えません。むしろどんどん豊かになっていくでしょう」
(俺のスキルが、ひとの役に立っていく。天恵領……この名に恥じぬよう、やらなければ)
台所から母とリリィが顔を出した。
「よかったじゃない! これで領民も飢えないわね」
「ケイス兄様、本当に幸運のひとだね!」
俺は苦笑して肩をすくめた。
「幸運のひとなんかじゃないよ。ただのぽっちゃり子爵さ。できることをやってるだけだ」
母がくすりと笑った。
「ぽっちゃりでも、立派な子爵よ。お母さんは誇らしいわ」
リリィが続けた。
「ぽっちゃりは関係ないよ! ケイス兄様はすごいんだから!」
俺は苦笑いのまま、窓の外に広がる王都の空を見上げた。
こうして俺の領地は、奇跡の泉が湧き出す"天恵領"として、少しずつ国中に名を知られるようになっていった。




