第45話 天恵領と呼ばれる
レグニアが、泉の水と薬草を使ってポーションを調合してくれた。
濃い緑色をしたその液体は、一口飲むだけで全身に力がみなぎり、目が冴えわたり、体の芯から新しい息吹が湧き上がってくるようだった。
「おぉ……! 元気になった!」
「ふふん、我の腕にかかればこんなものだぞ」
レグニアが珍しく得意げに胸を張った。
(さすがドラゴンだ。材料を見ただけで的確に作り上げてしまう)
「この薬草群生地、できれば誰にも荒らされたくないんだが、何かいい方法はないかな」
「安心しろ。ドラゴンの結界を張っておく。小動物や鳥は通せるが、人間や魔物は近づけないようにする」
「さすが黒竜! 頼もしすぎる。本当にありがとう」
結界が張られた群生地と泉は、困窮する領民にとって貴重な収入源になるはずだ。
薬草があれば、病人や怪我人を救うこともできる。
俺たちは泉のそばで一日休んだ後、街道へ戻り、西へ進んだ。
目指すのは、隠密調査の際に老人と出会った村だ。
***
やがて目的の村に到着した。
前回の調査時よりも農地はさらに荒れ果てていた。
それでも、村には農民たちが戻ってきており、家屋の修繕をしながら懸命に復旧へ取り組んでいた。
俺の姿を見つけた老人と孫娘が駆け寄ってくる。
やがて森で話した農民たちも次々と集まってきた。
「お父上のロイ様から、各村に食料を配っていただいております。本当に助かります」
村人全員が一斉に頭を下げた。
「フェルステッド侯爵が投獄され、ケイス様が新たにこの地域の領主になられたと伺いました。領主ご就任、誠におめでとうございます。我らも力を尽くして畑を耕してまいります」
「ありがとう。その畑なのだが、今はどういう状態だ」
老人が重々しく口を開いた。
「二年以上も放置されておりましたので、雨で養分が流れ、土は固く締まっております。作物を育てる栄養が抜け落ちてしまった土地です」
別の農夫が続けた。
「耕して柔らかくしても、もとの肥沃な土に戻るには何年もかかります。しばらくは、満足な収穫は望めません」
農民たちの顔に、諦めと申し訳なさが入り混じっていた。
「そうか」
俺は少し間を置いてから言った。
「だが――なんとかできるかもしれない」
俺は畑の真ん中へと歩を進めた。
***
農民たちには離れてもらう。意識を集中し、バランススキルを発動する。
『大幸運60%』
瞬間、風が止まり、大地がうなりを上げた。
乾ききっていた土が黒々と色を変え、ふかふかと柔らかくなっていく。
指でつまめば、しっとりとした栄養の匂いが立ち上る。
かつての肥沃な土地が、目の前で蘇っていくのがわかった。
その様子を見ていた農民たちが騒ぎ出した。
「おおっ!」
「荒れ地だった畑が……!」
「この土、ふかふかだぞ!」
「荒れる前よりいい状態じゃないか!」
歓声を上げ、笑顔で土を握りしめる農民たち。そ
の目には、確かに希望の光が宿っていた。
「これなら、すぐにでも種が蒔けるはずだ」
「ありがとうございます……! ケイス様は、このようなお力をお持ちだったのですね」
彼らの顔に力が戻っていくのを見て、胸の奥が温かくなる。
農民たちが一斉に農作業へと動き始めた。
「この調子で、領地の畑を全部豊かにしてくるよ」
老人が深く頭を下げた。
「悪い領主を追い出しただけでなく、荒れ果てた畑を蘇らせてくださった。あなた様は私たちにとって、まさに幸運の領主様でございます」
その言葉が、じわりと胸に染み込んでくる。
(幸運の領主様、か……)
俺は少しだけ空を見上げた。
(悪くないな)
***
俺とレグニアは、領地の西の端から東の端へと移動しながら、荒れ果てた畑を豊かな土地へと変えていった。
ある村では、泉が枯れて困っていた。
俺は枯れた泉のほとりに立ち、スキルを発動した。
『大幸運60%』
静寂の後、泉の中央からゴボゴボと水が湧き出す。
最初は細い流れだったが、すぐに澄みきった地下水が豊かに溢れ出し、再び村を潤し始めた。
「水が……水が戻ってきたぞ!」
「これで畑が生き返る!」
村人たちが手を取り合い、涙を流して喜んでいる。
しかし、さすがに体が重くなってきていた。
スキルを発動するたびに、じわじわと消耗が積み重なっていくのがわかる。
それでも、次の村へ向かう足は止まらなかった。
新しい領主が荒れ果てた畑を蘇らせているという噂は、瞬く間に領地全体へと広がっていった。
俺が村を訪れるたびに人々が集まり、「ありがとうございます、幸運の領主様!」と声を上げた。中には手を合わせて拝む者までいた。
かつて重税に喘ぎ、疲れ果てていた顔が、まるで別人のように変わっていく。
その変化を目にするたびに、胸の奥に静かな熱が灯った。
***
一ヶ月後――。
領内の全ての畑の回復に目処が立ち、俺はいったん王都へ戻ることにした。
侯爵邸の玄関を開けると、母と妹リリィ、そしてミーナが笑顔で駆け寄ってきた。
「おかえりなさい! 病気とかケガとかしていない?」
「ちょっと疲れたけど、なんともないよ」
その夜、父に領地の状況を報告した。
「運がいいことに、農地の回復に目処がつきました。それと、薬草が群生する泉も見つけました」
父は腕を組み、しばらく黙ってからゆっくりとうなずいた。
「お前は妙に運のいいところがあるな。だが、領地経営は運だけでは続かんぞ。先のことをよく考えて動け」
「はい、肝に銘じます」
(いや、"運"で何とかなっちゃうんですけどね)
俺は内心でそう呟きながら、神妙な顔でうなずいた。
***
そのとき、従者が告げた。
「商人のガルド殿がお見えです」
俺が使いを送っておいたのだ。
ガルドは以前、詐欺事件の際に俺が助けた商人だ。
今ではアーサー家に忠誠を誓い、頼りになる協力者になってくれている。
「ケイス様、領主に任じられたと伺いました。おめでとうございます」
「ありがとう、ガルドさん。実は話があって来てもらったんだ。私の領地に、薬草が群生する泉を見つけた。一緒に現地を見に行ってくれないか」
ガルドの目が大きく見開かれた。
「それは……まさに天の恵みです! 現地を確認できれば、すぐに薬工房を建てられます。薬を王都に流通させれば莫大な利益になりますし、領地の街にも薬問屋を構えたい。いやぁ、ケイス様といると、どんどん運が開ける気がしますよ!」
「ただし、当面の収益は領民の生活を支えることに充てる。飢えさせるわけにはいかないからな。しばらくは利益が出ないと思ってくれ」
ガルドは少しも躊躇わずに頷いた。
「もちろんです。ケイス様のお考えに従います。儲けより先に、ひとが生きられる土台を作る。それが本当の商いというものですから」
その言葉に、俺は心から安堵した。
この男を選んで正解だったと、改めて思った。
***
こうして俺の領地は、いつしか"天恵領"と呼ばれるようになっていった。
豊かな泉と薬草、蘇った畑。誰が言い始めたのかはわからない。
気づいたときには、その呼び名が領地全体に広まっていた。
「天恵領か……」
俺は照れくさくなって、小さく笑った。
「悪くない響きだな」
民の笑顔が増えていく。
かつて疲れ果てていた顔が、日を追うごとに明るくなっていく。
その変化を目にするたびに、胸の奥に静かな熱が灯った。
「この領地を、本当の意味で天恵の土地にしてみせる」
声に出すと、不思議と覚悟が固まる気がした。
隣でレグニアが静かに言った。
「やってみせろ。私も手伝う」
少し間を置いてから、彼女はもう一言だけ付け加えた。
「神との約束にも、きっと答えられる」
その言葉が、夕暮れの風の中に静かに溶けていった。




