第44話 大幸運――奇跡の連鎖
子爵に任命されてから、十数日が経過した。
膨大な事務仕事に、ようやく目処がついた。
あとは騎士団に任せれば大丈夫なはずだ。たぶん。
領地経営については父に丸投げしていたのだが、その父から渋い顔で告げられた。
「ケイス……お前の領地の農地だが、どうにもならん状態だぞ」
それを聞いて、俺はレグニアとともに視察へ向かうことにした。
与えられた領地は、以前フェルデリア領の隠密調査で足を踏み入れた地域だ。
東西を結ぶ大きな街道が領地を横切るように通っており、その街道は王都へとつながっている。街道沿いには農地と村がいくつも点在し、領地の中央部にはフェルシアというやや大きめの街がある。
東西を行き交う商人にとって、なくてはならない商業の中継地点だ。
本来なら、繁栄する条件が十分に整っているはずの土地だった。
しかし重税によって農民が野盗化し、商人の往来が激減したことで、街はすっかり活気を失っていた。
フェルステッド侯爵が投獄された今、農民は村に戻り、盗賊の問題も自然に解消されるはずだ。そうなれば街も息を吹き返す。そう思っていた。
だが――その読みは、甘かった。
***
「これは……ひどいな」
馬車を降りた瞬間、思わず息を呑んだ。
以前に訪れたときよりも、さらに荒廃が進んでいた。
耕す手が途絶えた農地というものは、放置されるほど加速度的に崩れていくらしい。
干からびた土、倒れた柵、雑草に埋もれた水路。
畝は崩れ、見渡す限りが荒れ果てている。
農地というより、不毛の原野だった。
農民の姿はまばらで、戻ってきた者も住居の修繕や畑の片づけに手を焼いている。
しかし、ここまで荒れた土地では、種をまいても芽が出るかどうか怪しい。
作物を育てる以前の問題だった。
当面の食料は父の領地から回してもらっているが、それも長くは続けられない。
(このままでは、戻った農民も食べていけない)
(また野盗に逆戻りして、街も衰退して……悪循環が見えている)
俺は腕を組んで、荒れ果てた農地をしばらく眺めた。
(フェルデリア領の中でも、一番大変な場所を押しつけられた気がするんだが)
(こういう丸投げの積み重ねが、この国をじわじわと蝕んでいるんだよ)
***
ふと、考えた。
(……俺のスキルって、人間以外にも使えるのだろうか)
(たとえば……農地とか)
「なあレグニア、スキルって、農地に効くと思うか」
「さあな。やってみるしかないが……念のため、農地ではなく完全に使い物にならない荒れ地で試した方がいいぞ」
「だよな。もし何かが暴走して、荒れた農地がさらにひどい原野になったら、農家のひとたちが気絶するからな」
そんな話をしながら、馬車を街道の北側へと走らせた。
生き物も見当たらず、植物も生えてない、谷間の荒れ地だ。
一面、石だらけのカラカラに干上がった原野だった。
乾いた地面から砂埃が巻き上がる、生き物を拒絶しているような、赤茶けた大地。
ここには、魔物すら寄りつかないだろう。
「よし、ここなら失敗しても誰も迷惑を掛けない」
荒れ地の中心に立ち、意識を集中させ、スキルを発動した。
『幸運100%』
目の前の荒れ地の狭い範囲で、ほんのわずか土が盛り上がったような気がした。
気がした、だけかもしれない。
それも、風が吹き飛ばしていく。
(土地はひとと違い、スキル発動の対象範囲がひろくなる。幸運100%程度では効果はないのだろう)
だったら、と俺は深く息を吸った。
(大幸運を使ってみるか。生き物も植物も育たないこの荒れ地なら、どうなっても、迷惑はかけないだろう)
意識を集中させ、もう一度発動する。
『大幸運80%』
風が止んだ。周囲の空気がぴたりと張り詰める。
しばらく待った。
……何も起きない。
俺は額の汗をぬぐい、内心で苦笑した。
(やっぱり土地には効かないか。スキルは、人間を対象にしか――)
***
もう少し待つか、と踵を返しかけたそのときだった。
ゴボッ……ゴボゴボッ……。
地面の一角が音を立てて盛り上がり、透明な水がこんこんと湧き出し始めた。
最初は小さな水たまりだったが、みるみる水量が増え、やがて清らかな泉へと姿を変えていく。
「レグニア……今の、見たか」
「見た。まさか本当に水が湧くとは……」
二人で顔を見合わせた瞬間、空がざわめいた。
はるか遠くから、無数の鳥の群れが泉へ向かって飛来してくる。
鷹のような大鳥もいれば、小さな群れ鳥もいる。
彼らは泉の周囲に舞い降り、水を飲み、そして地面に糞を落として去っていった。
「え、これで終わり?」
「いや、これからだ」
レグニアが静かに言った。
「大幸運の連鎖だ。偶然が偶然を呼んで広がっていくと思うぞ。しばらく待て」
鳥たちが去った後、しばらくして異変が起きた。
糞に混じっていた種子が、次々と芽を出し始めたのだ。
数時間前まで石ころと砂しかなかった土地に、緑の点が、面へと広がっていく。
レグニアがしゃがみ込み、芽に顔を近づけた。
「この香り……高級ポーションの原料になる薬草だ。しかも種類が多い。普通なら森の奥深くにしか生えない希少種まで混じっている」
「数年に一度も飛んでこないような幸運の鳥が、大群で来たということか……」
その言葉を言い終えた瞬間、俺は足元がぐらりと揺れるのを感じた。
「おい、ケイス!」
「……すごく眠い。体が鉛みたいに重い……」
膝をついた俺に、レグニアが素早く寄り添った。
「無理もない。これだけの幸運を連鎖させれば、体も精神も限界になる。眠れ。私が見ている」
その声を最後に、意識が闇へと沈んでいった。
***
目を覚ますと、空が夕焼けに染まっていた。
石の上に腰かけたレグニアが、腕を組んでこちらを見ている。
「四時間ほど寝ていたぞ。起きられるか」
「……ああ、なんとか」
体を起こし、周囲を見回した瞬間、俺は言葉を失った。
一面に、薬草のじゅうたんが広がっていた。
緑の香りが濃く漂い、泉は夕陽を受けて静かに輝いている。
数時間前まで石と砂しかなかった場所が、まるで別の土地に変わっていた。
「……大幸運80%でこうなるか」
レグニアが静かに言った。
「お前のスキルは、本当に底が知れないな」
「使い方を間違えたら、とんでもないことになりそうだ。農地に使うなら、大幸運60%あれば十分だろう。使い方は慎重にする必要があるな」
そう言いながら、俺は泉にしゃがんで水をすくった。
冷たく、わずかに甘い。
喉を通るたびに、体の芯から疲れが溶けていくようだった。
(こんな美味しい水は、初めてだ。この水も特別なのかもしれない)




