第43話 また丸投げされました
重苦しい沈黙が、広間を支配していた。
床に転がるフェルステッド侯爵を見つめる貴族たちの視線は、恐れと困惑と驚愕で揺れている。誰も動けない。
どう動くべきか、誰にも判断できなかった。
侯爵が自らの罪を口走り、あろうことか短剣で王を人質に取ろうとした。
レグニアが間一髪で王を救ったが、今夜この場で起きたことは、誰一人として想像すらしなかったことだった。
ざわめきの渦を切り裂くように、第三王子が震える声を張り上げた。
「フェルステッド侯爵は……きっと、心の病にかかられたのだ。そうでなければ、あのような蛮行に及ぶはずがない……!」
顔は青ざめ、額から汗が滲んでいる。
必死に場を収めようとしているのが丸わかりだった。
しかし貴族たちの目には、その姿はただ惨めで哀れに映っていた。
この後どうなるか、誰もが薄々わかっていたからだ。
沈黙が落ちた。
そして――王の席から、低く、静かな声が放たれた。
「心の病では、済まぬ」
その一言が、広間の空気を一変させた。
「こともあろうか、朕を人質にしようとしたのだ。フェルステッド侯爵およびその家族は反逆罪として捕らえよ。侯爵と行動をともにした者たちも、同罪だ」
広間が、再び凍り付いた。
***
「王よ、それはあんまりでは……!」
第三王子が絞り出すように抗議した。
声は震え、顔には必死さと恐怖が入り混じっていた。
「バカ者」
王の声は静かだった。
しかしその静けさが、怒鳴り声よりもずっと重く響いた。
「いつまで王子のつもりでいる。自室で謹慎しておれ。部屋から出れば、牢に入れるぞ。すべての調査が終わり次第、沙汰を下す」
「なっ……!」
王を人質にされるという大失態を犯した近衛騎士団が、今度こそとばかりに侯爵と配下の貴族たちを次々と取り押さえていく。アデル嬢も例外ではなかった。
第三王子の顔が、赤から白へ、白から青へと変わっていく。
周囲の貴族たちは一斉に視線を逸らした。
今この瞬間、あの王子に近づくことがどれほど危険か、誰もがわかっていたからだ。
そのとき、広間の扉が開いた。
晩餐会の異変に気づいたグレン騎士団長が、部下を率いて入ってきた。
鎧の擦れる音とともに、鍛え抜かれた騎士たちが粛々と整列する。
会場の緊張が、さらに一段高まった。
***
王は表情を変えぬまま、静かに命じた。
「レオナ。今回の件も、すべてお前に任せる」
「はい、承知いたしました」
(……また、丸投げですか)
俺は内心で深くため息をついた。
(毎回そうなる。レオナ王女に任せるということは、結局、俺のところまで全部回ってくるということだ)
案の定、王女がこちらに視線を向けてきた。
「当然、あなたの出番でしょ」と全身で語っている目だった。
俺は観念して、小さく頷いた。
「騎士団長、聞いていたわね!」
王女の声が広間に響き渡った。
「フェルステッド侯爵とその配下の家族をただちに拘束! 第三王子と侯爵の取り巻きたちの屋敷にも急ぎなさい。証拠の書類が隠される前に、すべて確保するのよ。そのあとは、屋敷を立ち入り禁止にして」
「はっ!」
グレンが力強く答え、騎士団が一斉に動き出した。
広間に残された貴族たちは、どうしていいかわからず身動きが取れないまま成り行きを見守っていた。
やがて王が静かに立ち上がり、一言告げた。
「本日の晩餐会はこれで解散する」
***
そして数日後――。
「ケイス様! フェルデリア領の税制改定案の初案です、ご確認を!」
「ケイス様! 逃げ出した農民たちの再登録名簿が届きました!」
「ケイス様、商人組合からの協力要請です。輸送再開のスケジュール調整をお願いします!」
(ケイス様、ケイス様、ケイス様……)
気づけば俺は、またしても書類の大渦の中心にいた。
積み上がった山を見上げ、ため息とともに机に突っ伏す。
(俺、男爵だよな。しかもまだ十五歳だけど)
(これ、もっと位の高いひとがやる仕事じゃないのか)
隣でレグニアが静かにお茶をすすっていた。
「まあ、こうなると思っていたけどな」
「うれしそうに言うなよ……」
軽くため息をついてから、俺はペンを取り直した。
しばらくして、手が止まった。
この国は確かに腐っている。
それでも、腐り切る前に少しだけ動けた気がする。
フェルデリア領の農民たちが、いつかまた畑に戻れる日が来れば。
あの老人が、孫娘と笑って暮らせる日が来れば。
それだけで、十分だった。
***
そのとき、執務室の扉がノックされ、王の使者が現れた。
「ケイス・アーサー男爵殿。王命により、子爵に昇格されました」
「……は?」
あまりに唐突で、思わず聞き返してしまった。
「それと、フェルデリア旧領の一部が新たにアーサー子爵領として与えられます。領地の管理と"再建"は、すべてお任せいたします。これがその王命の書類です」
使者が去った後、俺はしばらく書類を眺めたまま動けなかった。
(……"再建"のところに、ずいぶん力が入っていたな)
もう、笑うしかなかった。
***
その夜、実家に戻り、父と母に話した。
「子爵! まあ、すごいじゃない!」
母が目を丸くしながら笑った。
「喜ぶのはわかるが……」
父が難しい顔をした。
「領地経営など、やったことがないだろう。どうするつもりだ」
俺は即答した。
「父上に丸投げさせてください」
「……は?」
「王と王女から書類仕事を丸投げされ続けているんです。これ以上は無理です。息子の危機です。お願いします」
父はしばらく黙っていた。
それからゆっくりと息を吐き、呆れたように首を振った。
しかしその口元には、小さな笑みが浮かんでいた。
「……まったく、お前という奴は」
(結局、仕事が増えただけだな)
俺は心の中でそう呟きながら、それでも少しだけ、温かい気持ちになっていた。
やるべきことは、山ほどある。
でも――それでいい。




