第42話 領民など、死ぬまで働いておればいい
スキル発動の準備はできた。
それにしても――王は、何をしているのだろう。
この晩餐会で繰り広げられている一連の騒ぎを、ずっと見ていたはずだ。
にもかかわらず、一言も発しない。
王の席に腰をかけたまま、成り行きをただ静かに眺めている。
まるで自分には関係のない出来事を、遠くから観察しているかのように。
(見ているだけで何もしないのは、行われていることを認めたのと同じだ。そんなことも、この王にはわからないのか)
胸の中に、冷えた怒りが静かに広がっていく。
(この王に、この国を任せていいのか?)
会場に集う貴族たちも、不安げな表情で様子を窺っていた。
悪意、善意、国を憂う気持ち――様々な感情が広間の中に渦巻いている。
しかし、誰一人として声を上げる者はいない。
声を上げるべきは、王なのだ。
行動を起こすべきは、王なのだから。
皆が王を見ていた。
王が動けば、自分たちも動ける。そう思いながら、息を殺して待っていた。
(いい加減に、動いてくださいよ!)
***
会場の貴族たちがどうしていいか迷って動けない、その隙を突くように、第三王子とアデル嬢、そしてフェルステッド侯爵が第一王子への言葉を重ねていく。
もはや戯れではなかった。権力の誇示だ。
言葉による、じわじわとした追い詰めだ。
侯爵が、わざとらしいほど朗らかな声で第一王子に語りかけた。
「そんなに周囲が寂しいようなら、こちらから有能な貴族を何人かお回ししましょうか」
「ついでに、美しき娘たちも揃っておりますぞ。後継ぎを担う王子に、相応しい華やかさを添えて差し上げようではありませんか……いかがです?」
親切を装った言葉だった。
しかしその実、「お前には何もない」と宣言しているのと同じだ。
第一王子の眉がすっと吊り上がった。
顔に怒りと屈辱の色がくっきりと浮かんでいる。
しかし言葉が出てこない。出せないのだ。
会場全体が、息を殺して見ていた。
誰の目にも、この勝負の行方は見えていた。
***
(……やるなら、今だ)
俺はフェルステッド侯爵にスキルを発動した。
『不運70%』
瞬間、侯爵の目がわずかに泳いだ。
自信と傲慢さで満ちていた顔が、みるみる引きつっていく。
呼吸が浅くなり、頬がこわばり、視線が落ち着かない。さっきまでの余裕が、砂が崩れるように抜け落ちていった。
(何をやっても失敗しそうな気になってきたみたいだな)
俺はゆっくりと歩を進め、穏やかに声を掛けた。
「フェルステッド侯爵。フェルデリア領では最近、野盗が増えているそうですね。街道を使う商隊が被害を受けて困っていると聞いています」
周囲の空気が変わった。
父を始め、会場の貴族たちの視線が一斉にこちらへ集まる。
背中に、彼らの思考がひしひしと伝わってくる。
(この"ぽっちゃり男爵"……何を考えている。アーサー家もこれで終わりだぞ)
侯爵は即座に「ガキが何を言う、黙っていろ」と一喝しようとした。
しかし喉から出てきた声は途切れ、代わりに舌が勝手に動き出した。
「領民に重税をかけてやったからな。農民も商人も逃げ場がなくなって……気づけば野盗になっていやがった。まったく、滑稽な話だ」
一瞬の沈黙。
「領民など、領主のために死ぬまで働いておればいいのだ」
――会場が、凍り付いた。
***
「なっ……」
侯爵の顔が、みるみる蒼白になっていく。
「い、今……私は何を言った。何を言ってしまった……!」
自分の口から出た言葉が信じられないとばかりに、侯爵は両手で口元を押さえた。
しかし、言葉はすでに広間の隅々まで届いていた。
ざわめきが走る。
侯爵一派の貴族たちの顔が、一人また一人と強張っていく。
視線を逸らす者、杯を取り落としそうになる者、隣の者と目を合わせて無言のやり取りをする者。
「な、なぜ今ここで……そんなことを……」
「……これは、まずいぞ」
「侯爵と距離を置かねば……共倒れになる」
取り巻きの貴族たちの頭の中で、計算が始まっていた。
いつから知らなかったことにするか。どう言い訳をするか。
自分だけで……いや誰かとともに侯爵から離れた方がいいか。
忠誠など最初からなかったかのように、それぞれが我が身の心配を始めていた。
***
俺の傍に、レオナ王女が静かに立った。
その瞳には迷いも恐怖もない。
あるのは、正義を正すという静かな炎だった。
「フェルステッド侯爵。何のために、領民が逃げ出すほどの重税を課したのですか」
侯爵の口が、また動いた。
「決まっているだろ。各派閥に賄賂を送るためだ。取り巻きどもも協力してくれた。こいつらの領地でも、同じように領民から絞り取っているはずだ」
「無能な王をさっさと退位させ、第三王子を後継に押し上げれば、この国は私のものも同然。アデルを嫁がせればさらに盤石となる」
「そもそも、役立たずの王も第一王子も、この国には不要! これは第三王子も同意見だ」
侯爵自身が、己の口から溢れ出す言葉に怯えていた。
心の中で叫んでいるのが伝わってくる。
やめろ、黙れ、これ以上動くな――しかし舌は止まらない。
「父上……! それ以上はお控えください……!」
アデル嬢が青ざめ、震える声で父の腕を掴んだ。
しかし侯爵の口は止まらなかった。
「侯爵、正気か!」
慌てた第三王子が駆け寄り、場を取り繕うように声を上げた。
「こ、これは……第二王女が何か薬を飲ませたに違いない……!」
「お兄様、言いがかりです。そのような薬など、この世に存在しません」
レオナの声は鋭く、しかし静かだった。
会場のざわめきが、波のように広がっていく。
***
俺は、フェルステッド侯爵一派の貴族たちにもスキルを発動した。
『不運70%』
途端に、貴族たちの口が次々と開いた。
「そもそも王が無能だからこうなるのだ!」
「第一王子をとっくに廃嫡しておけばよかったのだ!」
「第三王子が王になれば、我らの領地も増える。何が悪い!」
言わなくていいことを、次々と喚き続ける。
仲間のはずの者たちが、我先にと余計な告白を重ねていく。
(バカ貴族どもが……余計なことまで口を割りおって)
侯爵は腹を括ったようだった。
「グレイス王! これは誤解です! 何者かが私に、心にもないことを言わせているのです。どうか……どうかお耳をお貸しください!」
必死に訴えながら王へと歩み寄ろうとするが、絨毯に足を取られて前のめりに倒れた。起き上がろうとしても、また転ぶ。その様は哀れなほどだった。
倒れ込む侯爵を見て、王の顔に迷いが浮かんだ。長年の付き合いがある相手だ。
その情が、判断を鈍らせたのだろう。
王はゆっくりと立ち上がり、侯爵へと歩み寄った。
(陛下……それは罠です……!)
しかし声に出す間もなかった。
***
「おお、陛下……!」
侯爵は王に向かって手を伸ばした。
王がその手を取った瞬間、侯爵は王の身体をぐっと引き寄せた。
懐から閃く鋭い光。
隠し持っていた短剣が、王の首元に突きつけられた。
「何をしている! お前たちもこちらへ来い!」
派閥の貴族たちが、おそるおそる侯爵のもとへ動き始める。
近衛騎士団が剣を抜いて構えるが、誰も動けない。
王が人質になっている以上、一歩も踏み出せなかった。
会場が息を呑んだ。
その瞬間だった。
侯爵の手から、短剣がぽろりと滑り落ちた。
刃が足の甲に深々と刺さる。
侯爵の顔が苦悶に歪み、思わず王から手が離れた。
「レグニア、今だ!」
「任せろ」
ドレスの裾が翻った。
次の瞬間、レグニアは侯爵の目の前に立っていた。
足に刺さった短剣を蹴り飛ばし、返す手で鋭い突きを侯爵のみぞおちへ叩き込む。
侯爵の体がくの字に折れ、宙を舞い、そのまま床に叩きつけられた。
広間が、水を打ったように静まり返った。
呆然と目を見開く貴族たち。
口を押さえて震えるアデル嬢。
その場に立ち尽くす第三王子。
そして侯爵から解放された王もまた、何も言わぬまま、ただそこにいた。
(さすがに、このまま黙っていないよな!)




