第40話 華やかな晩餐会のために
晩餐会の夜がやってきた。
王宮の大広間は、まるで別世界のように輝いていた。
豪奢な絨毯が床一面に敷き詰められ、天井から吊るされた無数のシャンデリアが宝石のような光を撒き散らしている。
金箔で縁取られた壁、丹念に磨かれた大理石の柱。
煌びやかな銀食器には色鮮やかな料理が盛られ、長いテーブルの上には果実や菓子が所狭しと並んでいた。
王や王族の威光を、これでもかと示すような空間だった。
居並ぶ貴族たちもまた、誇らしげに身を飾り、杯を傾けながら談笑している。笑い声が絶えない。
――だが。
(この晩餐会一夜のために、どれほどの金が使われているのだろう)
フェルデリア領で見た荒れ果てた畑と、誰も笑っていない街道の人々が、脳裏に浮かんで消えない。
華やかな光の中にいるはずなのに、胸の奥に鈍い冷たさが広がっていく。
一歩、また一歩と大理石の床を踏みしめながら、俺はこの国の歪みを改めて感じていた。
***
会場の中央付近では、フェルステッド侯爵が豪奢な衣装に身を包み、娘を伴って陣取っていた。そのすぐ横には第三王子の姿もある。
侯爵と王子は何やら愉快そうに笑い合い、周囲には損得感情で結びついた貴族たちがずらりと取り巻いている。
笑い声と拍手が絶えないが、どれも不自然なまでに大きく、媚びへつらう響きを含んでいた。
一方、新たに侯爵位を拝命した父の周囲に集まるのは、数えるほどの貴族だけだ。しかし、気骨ある者たちだった。
数では圧倒されるが、背筋を伸ばして立つ父の姿には、静かな威厳があった。
その隣に母、そして俺が控え――そこに、レグニアもいる。
深紺のドレスをまとった彼女は、銀糸の刺繍をゆらめかせ、ただ静かに佇んでいるだけで人々の視線を集めていた。
普段は剣を手にする彼女だが、今夜の彼女には言葉にしがたい気品がある。
若い独身貴族たちが、経験したことのない引力に引き寄せられるように視線を向ける。
しかし次の瞬間、彼らは慌てて視線を逸らすことになる。
レグニアのひと睨みが、それほどまでに強烈なのだ。
射抜くような眼光を受けた男たちが顔色を失い、手にした杯を落としそうになっている。中にはそそくさと会場を離れる者までいた。
(オーラで威圧して遊んでいないか……それとも、恥ずかしいのか)
レグニアと貴族たちのやり取りを観察しながらそんなことを考えていると、ふと視線を感じた。顔を向けると、鮮やかな金髪の女性が人混みをすり抜けるようにこちらへ歩み寄ってくる。
***
「まあケイス、こんな場所に顔を出すなんて……どういうことかしら?」
レオナ王女だった。
白を基調としたドレスを身にまとい、気品と自信を湛えている。
彼女が微笑むと、花が咲いたかのように周囲の空気が和らいだ。
近くにいた独身貴族たちも、思わず見とれて動きを止めていた。
「フェルステッド侯爵がどんなひとなのか、この目で確かめたくて」
レオナはふっと笑い、それからすっと表情を改めた。
「ケイス……フェルデリア領の調査、本当にありがとう。あなたが動いてくれて、本当に感謝しています」
声は低く、周囲には聞こえないほどの大きさだった。
その言葉には、親しみのこもった響きがあった。
「王女とともに、この国を良くしたいと願っています」
レオナは少し目を見開き、それからゆっくりと微笑んだ。
「……そうね。同志でもあるわね」
そして、うれしそうに微笑んだ。
「これからも頼りにしています」
レオナはそれ以上何も言わず、小さく頷いた。
それからふっと声を低めて続けた。
「でも今夜は気をつけて。あの男の周囲には、常に毒が渦巻いていますから」
***
まさにその言葉を証明するかのように、毒そのものの存在が近づいてきた。
「噂のケイス・アーサー男爵ね。若くして男爵位を授かったと聞いていたけれど……まあ、なんてぽっちゃりなのかしら。動くだけで息苦しくはありませんの……ほほほ」
リュカ侯爵の娘、アデル・フェルステッド嬢だった。
雪のように白い肌に巻き髪、きらびやかな宝飾で全身を飾っている。
そのドレス一着で平民十人が一年暮らせるだろう。
笑みを浮かべてはいるが、その目に潜む敵意は隠しきれていない。
隣に立つ第三王子が、鼻で笑った。
「レオナ、こいつがお前のお気に入りか。随分と趣味が悪いな……はははっ」
強すぎる香水の匂いと、根拠のない傲慢さ。
育ちの良さから生まれる気品など、欠片もなかった。
第二王子と、見事なまでに似た者同士だ。
(王族は、レオナ以外、どうしてこうも揃いも揃って……)
「お兄様、アーサー男爵に対して失礼ですわ」
レオナが毅然と声を上げたが、二人は意に介さず言葉を重ねた。
「横にいるその女は……着飾ってはいるが、庶民の匂いがする。こんな晩餐会にいるべき人間ではないだろうに」
「ドレスも安物だわね……ほほほ」
(それはお前の香水だろ。匂いが強すぎて鼻が曲がりそうだぞ)
「お兄様! この方はアーサー男爵の護衛、レグニア殿です。私の命の恩人でもあります。失礼な物言いは慎んでください」
(お前が今貶しているのは、最強の黒竜さんだぞ。わかっているのか)
(この国が明日消えても、俺は知らないからな)
王女の声には怒りがにじみ、会場の空気が一瞬凍りついた。
俺の背後では母が胸を押さえ、父も険しい表情で成り行きを見守っている。
レグニアは一言も発しなかった。
ただ静かに第三王子とアデル嬢に視線を向け、それからすぐに逸らした。
その目には怒りではなく、憐れみに似た何かが宿っていた。
言葉よりも、その沈黙の方がずっと鋭く、相手に突き刺さっていた。
第三王子とアデル嬢は居心地悪そうに視線を逸らし、取り巻きたちを連れ、毒蛇の群れのように人混みの中へと消えていった。
(さて……肝心のフェルステッド侯爵本人は、どこにいる)
俺は会場をゆっくりと見渡した。




