第32話 ぽっちゃりでいいです
鏡の前に立ち、自分の姿をじっと見つめる。
(……あれ。少し、変わってきているかもしれない)
気のせいかもしれない。
だが体のラインが以前よりすっきりとして、顔つきも心なしか締まって見えた。
思わず鏡に顔を近づけ、左右の頬を何度か撫でる。
横を向いて、腹の様子もついでに確認する。
「……くだらん」
後ろからレグニアの声がした。
いつの間に来ていたのか、呆れたように腕を組んでいる。
「人間というのは、そんなに容姿が気になるものなのか」
「気になるよ。レオナ王女が毎日『痩せなさい』って言ってくるんだから。おかげで毎日剣術の稽古で、汗まみれで……痩せれば解放されると、そればっかり願ってるからね」
「ふん。痩せたり太ったりなど、私からすれば指を鳴らすより簡単なことだぞ」
「そうだろうね。今は十六歳くらいの姿をしているけど、レグニアなら自分の体型を自在に変えられるんだろうし」
「当然だ。それに、これは幻影ではないぞ。肉体そのものを変えているのだ」
レグニアはすっと俺に手をかざした。
「望むなら、お前を今すぐ痩せさせることもできる」
(え……今すぐ?)
「動くなよ」
「ちょ、ちょっと待って……」
「終わった。鏡を見ろ」
恐る恐る顔を上げる。
「……誰、このひと」
鏡の中には、見たこともないほどシャープな輪郭の、すらりとした貴公子が立っていた。
まるで別人だった。
(これが……俺……?)
「どうだ。簡単だろう」
「簡単って……いきなりこんなに変わったら、母さんも妹もびっくりするよ。もっと控えめに、ほんの少し痩せた程度に戻してもらえないか」
「ふむ。確かに」
レグニアが再び手をかざす。
鏡の中の貴公子は、見慣れたぽっちゃり男爵へと戻っていった。
ただし、心なしか以前よりすっきりとした、その程度の変化に。
「……ありがとう、レグニア。でも、こんなに簡単に変えられるとわかったら、容姿なんてどうでもいいって改めて思うな」
「そうだろう」
レグニアは当然とばかりに鼻を鳴らした。
***
食堂に入ると、母とミーナが同時に目を見開いた。
「ケイス……顔がこけてるじゃない。どこか悪いの?」
「違います。レオナ王女が毎日『痩せなさい』とうるさくて、剣術の稽古をやらされているんです。そのせいです」
「まあ! 王女様と毎日お会いしているの?」
何を想像したのか、母とミーナが顔を見合わせて声を上げた。
リリィまで加わって「きゃー」と騒ぎ出す。
「……そっちなの」
俺は肩を落とした。
「ふふっ、ケイス様、恋をすると殿方も凛々しくなるんですね」
ミーナがにっこりと微笑んだ。
(勝手に決めないでほしい)
「これなら縁談話もさらに増えそうね」
「増えなくていいです、母さん」
しかし三人はもう止まらなかった。
「次は髪型も変えてみたら?」
「奥様、いいですね。この体型なら、もっと貴族らしくしても似合いますよ」
「じゃあまず前髪を――」
(なぜ"髪型改革会議"が始まっているんだ)
必死に抗議するが、三人は完全に聞く耳を持たない。
笑い声だけが食堂に広がっていく。
(……まあ、こうして楽しそうに笑ってくれているのは悪くない)
***
翌日、稽古場へ向かうと、レオナ王女が待っていた。
俺の顔を見た瞬間、彼女は固まった。
「……えっ。病気?」
「違います。稽古の成果です」
レオナは瞬きを繰り返し、やがてゆっくりと近づいてきた。
じっと顔を見つめている。
「……本当に? 本当にケイス?」
少し間があった。
「……なんか、いいじゃない」
声が、少し低くなっていた。
(お、おい……王女様の顔が赤くなっているぞ)
「……いいわ。いい。決めた」
レオナが顔を上げた。
「あなた、私と婚約しなさい。いいわね」
「……はぁ?」
俺は思わず聞き返した。
「いきなりすぎます。それに身分が違いすぎますから」
***
その瞬間、世界から色が消えた。
音も、風も、止まっている。
そして頭の中に、聞き覚えのある声が響いてきた。
『久しぶりだな。時間を止めてるから、ゆっくり話そうか』
『神様……久しぶりです。今、王女と話していたところなんですが』
『終わったら戻るから大丈夫。まずは……ありがとう、ケイス君。ロザミール侯爵の件、おかげでこの国の人々が少し幸せになった』
『もったいないお言葉です。正直、気づいたら巻き込まれていた感じなんですが』
『それでいいんだ。君が動くほど、結果として民が幸せになる。それが君の在り方なんだろうね』
少し間があった。
『さて、本題だ。今日は君の容姿について話したくてね』
『容姿……ですか』
『ぽっちゃり体型にしたのには理由がある。見栄えを良くすると、外見だけに惹かれた女性が集まって、君の使命に支障が出てしまうだろう』
『確かに。私も、外見で寄ってくる方に時間を取られるのは避けたいと思っています。スキルでひとを幸せにすることに集中したいので』
『そう言ってくれると助かる。容姿を戻すのはいつでもできるし、レグニアに頼んでもいい。ただ、しばらくは今のまま、民のために動いてほしい』
『この体型、気に入っていますから問題ありません』
俺は少し考えてから、続けた。
『それに……ぽっちゃりでも気にせず、私を好きになってくれるひとを待つのも、それはそれで楽しみですし』
しばらく沈黙があった。
『……やっぱり君はいいな。面白い。これからも見守っているよ』
声は、どこかうれしそうだった。
『では――元に戻しておくよ』




