第31話 ケイス、痩せなさい!
ロザミール侯爵事件から、三ヶ月が過ぎた。
ケイスも十五歳になっていた。
王都では緊張と変化の余韻がまだ残っていたが、大きな事件は起きていない。
あの突撃一直線だったレオナ王女が、ずいぶんと大人しくなっていた。
――理由は、単純だった。仕事が多すぎるのだ。
ロザミール侯爵と第二王子が首謀した王女暗殺未遂事件の調査を進めていくうち、横領、詐欺、殺人まで、次から次へと犯罪が出てきた。
判明した事例はすべて法的処理が必要で、場合によっては損害賠償にまで発展する。関係した貴族たちの関与も複雑に絡み合っており、一人ひとりの取り調べ、供述の記録、賠償と量刑の決定――それだけでも途方もない作業量だった。
さらに、空白になった国の統治機構と貴族社会の再編も同時に進めなければならない。
本来なら国王とその側近が主導すべき案件だが、側近の多くは牢の中である。
残った王族に政務を担える者がいるかと言えば――第一王子は真面目だけが取り柄で実務能力は皆無。
真面目さだけで政務が回るなら、この世に苦労人は存在しない。
第三王子は第二王子と性格が瓜二つで論外。
他の王子たちはまだ幼い。
国王の実務能力も、お察しのレベルである。
結果として、使命感と責任感の強いレオナ王女が、すべてを引き受けざるを得なくなった。
突撃する暇など、どこにもなかったのだ。
***
レオナ王女が引き受けた案件の大半は、まず騎士団長グレンの机に積み上げられた。山のように。
一人で処理できるはずもなく、書類の山は次々と騎士団員たちの机へと流れていく。
「俺たちは騎士だぞ。騎士だ。事務係じゃない……!」
その愚痴は、もはや日常の一部と化していた。
剣や槍を鍛えるべき騎士たちが、毎日ペンを握って帳簿と格闘している。
激務で痩せ細る者もいれば、やけ食いで激太りする者もいた。
グレンの場合は食欲すら失せた状態。
会うたびに頬がこけ、目の下の隈が深くなっていった。
それでも、騎士団の忠誠心が揺らぐことはなかった。
いま自分たちが担っているのは、王女が国を思うがゆえに背負っている重荷なのだと、誰もが理解していたからだ。
そして、突撃一直線だった王女は、書類の山にも同じように突撃していく。
その結果、少しずつ政務への理解を深め、わずかではあるが王族らしい落ち着きを身につけつつあった。
レオナ王女も十五歳になっていた。
いつの間にか大人びた雰囲気を纏い、その容姿はより一層美しくなっていた。
***
俺はというと、相変わらずのぽっちゃり体型に、のんびりとした顔のままだ。
はたから見れば、何も考えずに食って寝てを繰り返しているだけに見えるだろう。
それでも、父のもとには縁談が次々と舞い込んでいるらしい。
若くして男爵になった俺への話だそうだ。
縁談というのは容姿ではないらしい。
将来性、勢い、金になりそうかどうか――要するにそういうことだ。
「いいひとがいたら、会ってみる?」
母リリアが笑いながら尋ねてくる。
リリィとミーナも便乗してくる。
「レオナ王女様との関係はどうなの?」
定期的な詮索も、もはや我が家の恒例行事になっていた。
***
縁談のことを、王女に近況を聞かれてうっかり話してしまったのが、まずかった。
彼女の機嫌は、見る間に悪くなった。
(なぜだ。俺のことは恋愛対象外だと、あなた自身が言っていましたよね)
「あなたが、もっとすらっとした体型で、ハンサムな顔つきだったら良かったのに」
唐突にそう言われた。
それは……どういう意味なのだろう。
褒めているのか、けなしているのか、それとも全然別の何かなのか。
(女心は、本当にわからない)
その会話を聞いていたらしいグレンが、妙に嬉しそうな顔をしていた。
(ケイス殿……王女様のことは、何もかもあなたに任せます。事務仕事も、面倒事も)
目はどこか遠くを見ている。
疲れ果てた人間が、ようやく出口を見つけた顔だった。
(グレン団長、それは困ります)
(王女様のお世話は、騎士団できっちり、よろしく)
***
そんなある日、騎士団の若者が伝言を持ってきた。
「白鷲宮にお越しください」とのことだった。
急いで向かうと、王女は開口一番こう言った。
「ケイス、もっと痩せなさい」
「……は?」
「食って寝て、怠惰な生活で太ったわけではありません。子供のころからずっと、こういう体型なんです」
そのことを伝えていると、王女がどこからか怪しい小瓶を取り出した。
「これ、痩せ薬よ。効くらしいから飲んでみて」
「いやいや、こういうのは危険ですって……」
「そんなことないでしょ」
王女は振り返った。
「騎士団長、あなたが試してみて」
「え、私ですか」
「お願い。大丈夫だから」
「わ……わかりました」
しぶしぶ口にしたグレンは、しばらく黙っていた。それから、みるみる顔色が変わっていった。やがてお尻を押さえて苦悶の表情で部屋を飛び出していった。
「……やっぱり危険な薬じゃないですか」
「次はちゃんと試してから渡すわ」
「そういう問題ではありません」
俺は息を吐いた。
別にこの体型に不満はない。
だが、どうしても変えなければならないというなら、方法は一つだ。
「怪しい薬より、体を動かす方が、よほど効き目があると思いますよ」
「それよ!」
王女の目が輝いた。
「私が稽古をつけてあげる。今日から始めるわよ!」
こう変えてみてはいかがでしょうか。
その日から、地獄のような一か月が始まった。
木剣を持ったことすらなかった俺に、王女は容赦がなかった。
初日から二時間、ひたすら素振りをさせられた。
翌日は全身が悲鳴を上げ、三日目には腕が上がらなくなった。
「情けない! もう一度!」
「王女様……俺、貴族ですよね……?」
「だから何? 貴族こそ強くあるべきです!」
レグニアはというと、稽古場の隅で腕を組み、俺が転ぶたびに肩を揺らして笑っていた。
助ける気は一切ないらしい。
それでも一か月、逃げずに続けた。
息も絶え絶えに稽古をこなすうちに、ふと気づく。
(……こころなしか、顔が少し引き締まってきた気がする)
悪くない変化だった。
レグニアがちらりと俺を見て、ぽつりと言った。
「……まあ、悪くはないな」
それだけだった。だがそれが、妙に嬉しかった。
しかし同時に、王女の視線がやけに熱を帯びていることにも気づいてしまい、ケイスは稽古場に向かうたびに妙な居心地の悪さを覚えるようになっていた。




