第29話 どこにでもある夕餉が、一番うれしかった
騒動が収束した王都に、ようやく静寂が戻ってきた。
(今日も、騎士団宿舎に泊まるのか……早く解放してくれないかな)
翌日の午前中、レオナ王女が意気揚々と騎士団の詰め所にやってきた。
「ケイス、第二王子は王籍剥奪および投獄。ロザミール侯爵は死罪が決まりました」
「侯爵の家族は、財産没収のうえ、国外追放となります」
「そうですか。王は思い切った判断をされたのですね」
「それと、王に罵詈雑言を浴びせた侯爵派閥の貴族と王の側近たちですが、資格剥奪の上、財産没収と家族とともに国外追放が決まりました」
レオナは少し間を置いた。
「すべて、あなたのおかげです」
「でも正直、今でも不思議なの」
「兄上も侯爵も、なぜあんなにあっさり自供したのか?」
「さあ……私には皆目わかりません」
「偶然でも何でもいいわ。あなたのおかげなのは間違いないもの」
レオナは静かに頭を下げた。
普段の勝ち気な彼女からは珍しい仕草だった。
後ろに控えていたグレンも、深々と頭を下げる。
「ケイス殿、騎士団を裏切った者も特定できました」
「これまでのこと……心より感謝いたします」
「それは良かったです、騎士団長」
レオナは一呼吸置いてから、にやりと笑った。
以前より柔らかく、どこか親しみのある笑みだった。
「今回の件に対し、褒美が下されます」
「あなたの父ロイ・アーサーは侯爵に昇格」
「ロザミール侯爵の旧領と王都の侯爵邸を拝領することも決まりました」
「……え」
「そして、あなた自身には男爵の位が与えられます」
「いや……そこまでしていただかなくても……」
「当然の褒美です」
「では……父たちはリューデンからこちらへ引っ越してくることになりますね」
「そういうこと。だから家族がこちらへ来るまで、ここにいなさい」
「……どのくらいかかりますか」
「数週間ね」
「数週間……」
「騎士団の宿舎を使いなさい。グレン、手配を」
「はっ」
俺は思わず天を仰いだ。
「王女様……あそこは少し、その……汗臭くて」
グレンが不思議そうな顔をした。
「どこがですか? 私はまったく気になりませんが」
「騎士団員がずっと使っている部屋ですよ?」
「鍛錬の後はちゃんと汗を拭いています。問題ないはずです」
グレンは至って真剣だった。
(騎士団は、絶対に鼻が壊れている)
俺はレグニアに目を向けた。
助けを求めるように。
レグニアは少し考えてから、涼しい顔で言った。
「魔物の巣の匂いよりは、ましだぞ」
「それは比較対象がおかしい……!」
レオナが笑いをこらえながら言った。
「決まりね。グレン、良さそうな部屋にしてあげて」
「はっ、承知しました。私の部屋の隣の部屋は、比較的大きな部屋ですので、そこに移ってもらいましょう」
(騎士団長のいびきは有名なんだけどな。匂いに加えて、騒音まで……とは)
「ケイスが、王都の旧ロザミール侯爵邸に住むようになれば、困ったときは、いつでもあなたに相談もできるわね」
「あなたがいると、不思議と物事がうまく転がるから、本当にありがたいわ。ねえ、騎士団長」
「もちろんです、もちろんですとも!」
グレンが力強く頷く。
その顔には満面の笑みがあった。
しかしその目の奥に、ほんのわずかな疲れの色が見えた気がした。
グレン団長はほっとしていた。
(王女様が無謀な行動に出そうなときには、必ず相談に行くはずだ)
(頼むぞ、絶対止めてくれよ! ケイス殿……こちらはもうヘトヘトなのだよ)
レオナ王女が、俺の顔をじっと見ている。
(まだ、なにかあるのか?)
「あなたが、もっとすらっとした体型で、ハンサムな顔だったらね……」
「それ、頑張ったひとに言うセリフではないですよ」
レオナは平然としたまま、悪びれる様子が微塵もない。
もっともケイス自身、自分の体型や顔が嫌ではなく、さほど気にもしていなかった。
ただ横で聞いていたレグニアが、肩を震わせて今にも吹き出しそうになっていた。
***
数週間後――。
父たちがリューデンから王都へ引っ越してきた。
そのまま家族揃って、拝領した旧ロザミール侯爵邸へ向かう。
重厚な鉄の門が軋みながら開かれると、かつての栄華を示す広大な庭園と、石造りの威容ある邸宅が姿を現した。
しかし、しばらく主を失っていたためか、芝は伸び放題に荒れ、噴水の水も濁っている。
かつての繁栄と今の寂れた様子が、妙に対照的だった。
家族と従者でその様子を眺めていると、レオナ王女の馬車が到着した。
姿を見た全員が慌てて跪く。
レグニアだけは、我関せずといった顔で立っていた。
「この度は過分な褒美をいただきまして……」
「ケイスとレグニアには命を助けてもらいました」
「また、ロザミール侯爵の一件でも大活躍してもらいました」
「当然の褒美です」
レオナは庭を見渡してから、苦笑した。
「少し荒れているけれど、手入れをすれば元通りになるでしょう」
それからケイスに視線を向け、ふっと笑みをこぼした。
「これからもよろしく頼むわよ。我が頼れる友人として」
「もちろんです」
「あなたは不思議なひとね」
レオナは少し間を置いた。
「見た目は……率直に言えば、冴えない方だけど」
「……それは褒めていただいているのでしょうか」
「褒めてるわよ」
レオナはわざとらしくそっぽを向いた。
その耳が、ほんのり赤くなっていた。
***
数日後――。
引っ越しが完了すると、王による正式な謁見が行われた。
父の侯爵昇進と、ケイスの男爵叙任、そしてロザミール侯爵の旧領の引き継ぎが、正式に認められたのである。
謁見を終えてアーサー侯爵邸へ戻ると、玄関先にひとが並んでいた。
母リリア、妹リリィ、メイドのミーナ。
その後ろには、以前の数倍にも増えた従者とメイドたちが整列している。
「お帰りなさいませ」
母が微笑んだ。
「あなた、侯爵昇進おめでとうございます。ケイス、男爵叙任おめでとう」
後ろに控える一同が、声を揃えた。
「おめでとうございます!」
玄関先が、笑顔と祝福の声に包まれた。
ひとしきり賑やかに過ごしてから、家族揃って食堂へ向かう。
席につくと、父が穏やかな顔で杯を持ち上げた。
「改めて――アーサー家の前途を祝して、乾杯」
「乾杯!」
高らかな声が部屋に広がった。
湯気の立つスープの香りが鼻をくすぐる。
レグニアが、静かに杯を持ち上げた。
誰も何も言わなかった。
ただ、全員がそれを見て、自然と笑顔になった。
「こういうのも悪くないか」
レグニアがぽつりと呟いた。
それが乾杯の言葉なのか、この家族への感想なのか、誰にもわからなかった。
たぶん、どちらでもあったのだろう。
どこにでもある、ただの夕餉の光景だった。
だがケイスには、それが何よりもうれしかった。




