第19話 五十人が、自滅しました
深夜――
月が静かに輝くなか、レグニアとセリアが屋敷に戻ってきた。
セリアは息を整えながら、父に向かって一枚の封書を差し出した。
「……賄賂の証拠を掴みました。ロザミール侯爵とのやり取りの手紙も」
父は受け取り、素早く目を通した。
それから、ゆっくりと顔を上げた。
「……よくやってくれた」
「レグニアもありがとう」
低い声だったが、その重さが伝わってきた。
父はまっすぐにセリアを見て、続けた。
「これで第二王女レオナ殿下に書簡を送れる。十分な証拠だ」
それから少し表情を和らげ、言った。
「今夜はもう遅い。屋敷に泊まっていきなさい」
セリアは深く頭を下げた。
張り詰めていたものが、ようやくほどけていくような息だった。
***
翌朝――
セリアを交えて朝食を取っていると、廊下から慌ただしい足音が響いた。
衛兵が息を切らして飛び込んでくる。
「旦那様、大変です。屋敷の門前に大勢が押しかけています」
「まともな連中ではありません」
父はすぐに立ち上がった。
「衛兵たちを入口に集めろ」
「はっ」
「父上」
俺は父の隣に立った。
「大丈夫です。レグニアがいますから」
(レグニアは、一国の軍隊を倒せる力がある)
(むしろこの一帯を、焼け野原にしないかの方が心配だ)
屋敷の衛兵二十名と共に門へ急ぐと、そこには目つきの悪い男たちが屯している。
その中心に、一際大きな男が腕を組んで立っていた。
父が堂々と声を張った。
「私は領主ロイ・アーサー子爵だ」
「これだけの人数で押しかけてきて、いったい、何の用だ」
大男はニヤリと笑った。
「冒険者のバルド=クラウスだ」
「新しい領主様に、ご挨拶に参上してやったぜ」
「では、用は済んだはずだ。とっとと帰れ!」
「そうはいかねぇ」
クラウスの目が細くなった。
「前任の領主は泣いて許しを請うていたぞ」
「あんたも同じようになるんじゃねぇか」
俺がスキルを発動しかけたその瞬間、レグニアが静かに前へ出た。
「私に任せてくれ。少し体を動かしたかったところだ」
「わかった。ただし屋敷は壊さないでくれよ」
「それと、クラウスは証人だから、生かしておいてよ」
「大丈夫だ。手加減はする」
レグニアの赤い瞳がクラウスを静かに捉えた。
「クラウスとやら。相手は私だ」
クラウスは一瞬だけ息を呑んだ。
しかしすぐに口の端を吊り上げた。
「へぇ……お嬢ちゃんが出てくるか」
「ん、少しはできるみたいだな」
「面白ぇ。途中で泣き出すんじゃねぇぞ」
「泣くのはお前の方だ」
「心配するな。死なないよう、手加減はしてやる」
レグニアの声は静かだった。
だからこそ、その言葉が重く響いた。
***
クラウスの子分は、ざっと見て五十人はいる。
(詐欺師のところの傭兵は、不運80%にしたが……人数が多い)
(100%にしたいところだが、命に関わるかもしれない)
(こいつらには証人になってもらう必要がある。不運85%で様子を見よう)
俺は静かに念じた。
『不運85%』
直後、男たちの顔色が一斉に変わった。
「……なんか猛烈に腹が痛くなってきた」
最前列の男が腹を押さえてしゃがみ込む。
つられるように、周りの男たちも次々と同じ姿勢になっていく。
五十人のうち、半分以上が地面に座り込んでいた。
「俺は、治癒魔法が使えるぞ。任せろ」
仲間の一人が手をかざして呪文を唱え始めた。
「どうだ、楽になっただろ」
「いったい何をした! 余計ひどくなったぞ!」
「そんな馬鹿な。俺の治癒魔法は確かだぞ」
「この! イカサマ野郎が……」
「もういい、俺は後ろの森で用を足してくる。限界だ」
腹を押さえながらよろよろと立ち上がり、脱兎のごとく駆け去る男を見て、別の男も立ち上がった。
「俺も……もう限界だ……!」
「待て、落ち着け」
「……な、なんか足が……つってきた……いたたた!」
「ダメだ。もう限界だ」
(不運85%……ウンだけに、まさに不運)
(最高にカッコ悪いぞ)
***
残りの子分が、次々とその場にしゃがみ込み始めた。
「歯が、無茶苦茶いてぇえ……! ズキズキして耐えられない」
「治癒魔法なら任せろ。虫歯くらい、さすがにどうってことないぞ」
先ほどの失敗にもめげず、治癒魔法使いが自信満々に手をかざした。
呪文を唱え終えた瞬間――ぽろり、と音がした。
「……テメー、何しやがった!」
「え? あれ? こんなはずは……」
「歯が抜けてんだよ! 三本まるごと! しかも関係ない歯だぞ!」
「す、すまない。なぜだ……俺の魔法が……」
治癒魔法使いは気を取り直し、今度は自分の虫歯に全力で魔法をかけた。
次の瞬間、虫歯以外の歯がまとめて抜け落ちた。
(な、なぜだ……こんなことが……!)
それを見ていた子分たち、一斉に顔を見合わせた。
「もう無理だ。街に戻って、まともな治癒師に診てもらおう」
「俺もだ。こんなこと、やってる場合か!」
わっと一斉に走り出す。
しかし十歩も行かないうちに、立ち止まる。
「あれ……目が霞む……」
「足がもつれ……うわっ」
「ちくしょう、もうどうにでもなれ!」
次々と倒れ込み、地面に大の字になった者、膝を抱えてうずくまった者、虚ろな目で空を見上げる者。
五十人がそれぞれの不運に見舞われ、誰一人として立っていられなくなった。
(不運85%……本当に容赦がない)
***
その様子を見ていた衛兵たちは、必死に笑いを堪えていた。
父が声を張り上げる。
「気を引き締めろ! 油断かもしれんぞ」
しかし衛兵の一人が震え声で呟く。
「だ、旦那様……あまりにも間抜けすぎて……」
別の衛兵も顔を覆い、肩が小刻みに揺れている。
「笑いを堪える方が辛いです……!」
レグニアが呆れたように目で合図を送る。
それに俺も頷く。
冒険者たちは、次々押し寄せる"不運のコンボ"に、完全戦意喪失。
クラウスが後ろを振り返った。
倒れた子分たちを見渡し、みるみる顔が赤くなっていく。
「てめえら、何やってんだ!」
怒鳴りながら、近くの子分を思いきり蹴り飛ばす。
「変なもん食うからこうなるんだ! まったく使えねぇ!」
蹴られた子分が呻き、転がる。
だが、起き上がってくる子分はいない。
それがまたクラウスの怒りに火をつけた。
その様子を見て、衛兵たちはついに堪えきれなくなった。
「ひ、ひぃ……腹が痛ぇ!」
「旦那様、やつら、何しに来たんですかね」
「挨拶に来たと言っていたが……野糞はいかんでしょう」
父は額に手を当て、深くため息をついた。
「……本当に、何しに来たんだ」
クラウスが、ゆっくりとこちらを向いた。
子分たちの惨状を見て、怒りを通り越して何かを決意した顔だった。
「……お嬢ちゃん」
「俺が直々に相手してやる」
「子分どもの分も、まとめて叩きのめしてやるぜ」




