第18話 正義の姫に、すべてを託す
俺は疑問に感じたことを口にした。
「そんな不正がまかり通っているなら、領主が王都に報告しさえすれば……」
「なぜ前の領主は、国に訴えなかったのでしょう?」
父が静かに頷く。
「当然の疑問だな」
二人の視線が、女性に向いた。
彼女はしばらく手元の茶碗を見つめてから、静かに答えた。
「事務官のエルマーが、ロザミール侯爵に賄賂を渡しているのです」
「たとえ領主が報告しても、侯爵がすべて揉み消してしまいます」
部屋が静まり返った。
「また、ロザミール侯爵か!」
父が低く呟いた。
それからゆっくりと立ち上がり、窓の外を眺めた。
「ケイス、この国は思っていた以上に腐っているみたいだな」
声は静かだった。
だが、その静けさの奥に、抑えきれない怒りが滲んでいた。
しばらくしてから、父は続けた。
「フェルステッド侯爵は、こういうからくりを承知の上で、私をここへ赴任させたのだろうな」
自嘲するような、それでいて怒りの消えない声だった。
***
「お姉さん」
俺は堪らず問いかけた。
「この街に、不正を正そうとしているまともなひとは、まだ残っていないのですか」
女性は小さく息を吐いてから、ゆっくりと口を開いた。
「元冒険者ギルド長のドルン・バルフォードさんが、街外れの農家に身を寄せています」
「わずか数名ですが、まともな冒険者たちもそこに集まっています」
少し間を置いた。それから、ふっと表情が和らいだ。
「それから、商人ギルドの元責任者だったオリバー・リントさんも、まだ街に残っています」
「今は小さな雑貨店を営んでいますが……希望は捨てていないはずです」
彼女は茶を一口飲んでから、姿勢を正して深く頭を下げた。
「自己紹介が遅れました。セリア・フロストと申します」
「私も、この街を愛する者の一人です」
「セリアさん……ありがとうございます」
まだいたのだ。
諦めずに残っているひとたちが。
俺は父に向き直った。
「父上、クラウスと手下の冒険者たちは、私とレグニアで、なんとかできると思います」
「なにを言う」
父の声が静かに、しかし厳しくなった。
「子供には危険すぎる」
「レグニアがいれば大丈夫です」
「王都の詐欺事件でも、傭兵たちを瞬時に無力化してくれました」
(本当は俺のスキルを使ったけど……今は言わないでおこう)
父はしばらく黙り込んでから、深くため息をついた。
「彼女が強くても、相手の数が多ければ話は別だ」
「冒険者ギルドに乗り込む時は、私がアーサー家の衛兵を連れて行く」
「わかりました、父上」
俺はレグニアに向き直った。
「エルマーのところに忍び込めないかな?」
「大丈夫だ」
「魔法で姿も気配も消せる。問題ない」
「レグニアは、強いだけでなく、そのような魔法まで使えるのか」
父が目を丸くしていた。
「こんなことは、大したことではないぞ」
レグニアはさらりと言った。
本当に大したことだと思っていないのだろう。
(改めて、とんでもない存在が護衛についてくれたものだ)
「レグニア、一緒に行く人間の気配も消せるかな?」
レグニアが少し考えるように首をかしげた。
「……たぶん、大丈夫だ。やってみる」
「頼もしい限りだ」
父がため息まじりに呟いた。
呆れているのか、感心しているのか、どちらともつかない声だった。
「じゃあ、一緒に行こう」
そこでセリアが静かに立ち上がった。
「だったら、私を連れて行ってください」
レグニアは首を横に振った。
「ケイスかセリア、どちらか一人だ。二人同時は無理だ」
「じゃあ俺が――」
言いかけたケイスを、セリアが遮った。
「私が行きます」
声に迷いはなかった。
「この街のことは、この街の人間が決着をつけなければなりません」
「子供に任せて、大人が後ろで見ているなんて……私にはできません」
ケイスは何か言おうとして、口を閉じた。
その言葉には、言い返せない重さがあった。
(セリアさんには、セリアさんの誇りがある)
(それを、俺が奪う必要はない)
「……わかりました。お願いします、セリアさん」
レグニアはしばらくセリアを見つめて、無言で頷いた。
夕刻を待ち、二人は静かに屋敷を出た。
暮れかけた空の下、その背中が夕闇に溶けていく。
***
「父上、証拠が手に入ったとして……その後はどう動きますか?」
父はしばらく考え込んでから、静かに口を開いた。
「グレイス王国の第二王女、レオナ様という方がおられる」
「不正を決して許さない、"正義の姫"と呼ばれている高潔な人物らしい」
「その方に、証拠と共に書簡を送ろうと思う」
「……この国にも、そういう人物がいらっしゃるのですね」
俺は少し間を置いた。
「でも、ずいぶんと行動力のありそうな王女ですね」
「ああ」
父は苦笑まじりに頷いた。
「話に聞く限り、じっとしていられない性質らしい」
「ですが、たとえ王女でも、不正に立ち向かい続けたら、命がいくつあっても足らないのではありませんか?」
父は小さく笑んだ。
「心配するな。騎士団の護衛がついている」
「加えて姫自身も剣豪のスキルを持つ。そう易々と手出しはできないだろう」
「それはそれで……護衛の騎士団長が大変そうですね」
父が、珍しく声を上げて笑った。
「そうだな。実はその護衛騎士団長、お前も知っている人物だぞ」
「え?」
「王都で訪ねてきただろう。グレン団長だよ」
俺は思わず目を丸くした。
「あのグレン団長が……王女の護衛を」
(あの実直な団長が、じっとしていられない王女のお守りか)
(それは……なかなか胃が痛そうだ)
俺がこらえきれずに笑うと、父も肩を揺らした。
「全くだ。頭が下がる」
しかしすぐに、父の表情がわずかに曇った。
窓の外に目をやり、静かに呟く。
「まさか、アーサー家がロザミール侯爵と相対することになるとはな」
「政争とは無縁だと思っていたのだが……」
外は闇に沈んでいた。
街を覆う不穏な空気が、窓越しにも伝わってくる。
父は、こちらに向き直った。
「危ない橋を渡ることになりそうだが、ケイス、お前のことは、何としても守るからな」
胸の奥が熱くなった。
「ありがとうございます、父上」
俺はまっすぐに父を見て答えた。
「レグニアが必ず証拠を持ち帰ってくれます」
「この街を立て直しましょう」
その時、遠くで鐘の音が鳴り響いた。
夜の闇に溶けるように、静かに、しかし確かに。




