寂しがり屋
街の巡回をあらかた終え、夕暮れの鐘がテアトラムの空に響き始めた頃。
「ふぅ……。壁の修復も進んでるし問題なさそうね。今日の巡回はこれくらいにしてあげるわ」
「お疲れ様、シルフィアちゃん。これで夜も少しは安心だね」
「さて、と。暗くなる前に、私は今日の宿を探しに行かないと」
イザヨイが思い出したように呟き、広場から別れる道へ視線を向けた。
昨夜はシルフィアの好意(?)で高級宿『月白の白鳥亭』のキングサイズベッドの半分を貸してもらったが、いくらなんでも二日連続で厚意に甘えるわけにはいかない。
それに、あの暴力的な双丘に顔を埋めてスヤスヤ眠る姿は可愛かったが、中身男としては倫理的な背徳感が凄まじいのだ。
「え?」
イザヨイの言葉に、シルフィアの動きがピタリと止まった。
「だから、昨日みたいに野宿にならないように、今のうちに空いてる安宿を見つけてくるよ。避難民の人たちで埋まってるだろうけど、馬小屋の隅でも銀貨を積めばなんとかなるでしょ。……じゃあ、また明日の朝ね!」
イザヨイが笑顔で手を振り、歩き出そうとした、その時。
「あ……」
シルフィアから微かに、本当に微かな消え入りそうな声が漏れた。
イザヨイが立ち止まって振り返ると、シルフィアは俯いたまま、持っている大きな杖をギュッと両手で握り締めていた。
顔の半分が前髪の影に隠れて見えないが、その小さな肩が、どこか頼りなく、スッと落ち込んでいるのが分かる。
言葉には出していない。引き止めるような真似もしない。
ただ、その全身から『行かないで』という強烈なほどの雰囲気が、痛いほどに滲み出していたのだ。
(うわ……っ。めっちゃ寂しそうじゃん)
イザヨイの足が止まった。
シルフィアはAランク冒険者として、気丈に、そして孤独にこの街を守ってきた。
だが、その中身はまだ年端もいかない少女なのだ。
未知の「黒い瘴気の化け物」への見えない恐怖。誰も自分を「氷の魔女」だと信じてくれない悔しさ。
そんな中で、昨日偶然一緒に一晩を過ごし、対等に(あるいは先輩として)扱ってくれたイザヨイという存在が、彼女の中でどれほど大きな精神的支柱になっていたのか。
(……一人で広いキングサイズのベッドで寝るの、怖いのかもしれないな)
多少鈍感なイザヨイでも、シルフィアの背中から放たれる『寂しいオーラ』には、さすがに気付くことができた。
イザヨイはふうっと小さく息を吐き、くるりと踵を返した。
「……あー、やっぱりやめた!」
わざとらしいほど大きな声で宣言し、イザヨイはシルフィアの元へ戻ってきた。
「えっ……? な、何よ急に」
シルフィアがバッと顔を上げ、潤んだ目をパチクリと瞬かせた。
「いやぁ、冷静に考えたら、今から宿探ししても絶対見つからないし! 見つかってもボッタクリ価格に決まってるし! それに、もし夜に魔物が襲撃してきたら、別々の場所にいたら合流に時間がかかって危ないじゃない?」
イザヨイは小首を傾げ、悪戯っぽく笑った。
「だからさ。……もしよかったら、今夜も先輩の広いベッド、半分貸してもらえませんか?」
その言葉に、シルフィアの瞳にパァッと光が戻った。
だが、そこはツンデレのAランク冒険者。素直に「うん!」と飛びつくような真似はしない。
「っ……! ば、馬鹿じゃないの! わたしは別に、一人でも全然平気なんだからね!」
シルフィアは顔を真っ赤にしてそっぽを向き、腕を組んだ。
「でも、アンタの言う通りね。防衛の要であるわたしたちが離れ離れになるのは、戦術的に悪手だわ。……仕方ない! Eランクのアンタが一人で怯えて夜を明かすのが可哀想だから、今日も特別に、わたしの部屋に泊まることを許可してあげるわ!」
言葉とは裏腹に、彼女の口角はどうしても上がりきってしまっており、嬉しさを全く隠しきれていない。
(チョロい……いや、可愛いな。昨日の寝ぼけた顔を思い出したら、少し背徳感あるけど……まあ、いいか)
ツインテールが、まるで犬の尻尾のようにご機嫌に揺れている。
「やったー! ありがとうございます、シルフィア先輩! じゃあ、夕ご飯食べてから一緒に帰りましょうか!」
「ふんっ。分かればいいのよ! さ、早く行くわよ!」
シルフィアは嬉しそうにイザヨイの手首をガシッと掴み、昨日と同じようにズンズンと歩き出した。
ただ、その小さな手から伝わる力は、昨日よりも少しだけ強く、そして温かかった。
テアトラムの街を二人の規格外の少女が、手をつないで帰っていく。
その背中は、どんな魔物の脅威にも負けないほど、不思議な絆と温もりに満ちていた。




