小さな英雄
宿の立派な食堂で、豪華な朝食を二人で平らげた後。
「それじゃ、巡回に行くわよ。ついてきなさい!」
相変わらずツンツンした態度を崩さないシルフィアに背中を押されるようにして、イザヨイはテアトラムの朝の街へと出た。
街の広場や大通りは、昨夜以上の活気に満ちていた。
外壁の修理をする男たち、負傷者に炊き出しを配る女たち。そして、そんな非常時であっても、野菜や日用品を売る露店がいくつも並び、商人の威勢の良い呼び込みの声が響いている。
カルゼオンから物資が届いたことも、彼らの活気を後押ししているのだろう。
「ふーん……。なんか、すごいね」
「なにがよ」
「いや、この街の人たちって強いなーって思ってさ」
イザヨイは周囲の景色を見回しながら、率直な感想を口にした。
「だって魔物の大群に襲われて、いつまた来るか分からない状況なんでしょ? 普通ならみんな家に閉じこもってガタガタ震えてるか、他の街に逃げ出してもおかしくないじゃない。なのにこうして普通に商売して、生活してる。すごいバイタリティだなーって」
中身が平和な現代日本のゲーマーであるイザヨイからすれば、命の危機に瀕した直後に『日常』を回そうとする彼らの逞しさは、純粋な驚きだった。
だが……
「……強いんじゃないわ」
シルフィアの足が止まった。
イザヨイが振り返ると、その顔からはいつもの子供っぽい強がりも、自慢気なドヤ顔も消え去っていた。
「え?」
「強いんじゃない。無理して『日常』を保とうとしてるだけよ」
シルフィアは広場の端で、少し顔色を悪くしながらも必死に笑ってパンを売っている女性を、悲しそうな瞳で見つめた。
「誰もが本当は怖くて怖くて仕方ないのよ。夜になれば魔物の咆哮を思い出して震えてる。でも……立ち止まって、塞ぎ込んでしまったら、その恐怖に押し潰されて心が完全に壊れちゃうの。だから……」
シルフィアは自分の胸の服を、ギュッと強く握り締めた。
「だから彼らは必死に動いて、声を張って、今までと同じ『普通の日』を演じてるの。自分はまだ生きてる、明日も生きていけるって、自分自身に言い聞かせるためにね」
その言葉には、Aランク冒険者として数多の悲惨な戦場や、壊滅した村を見てきた者だけが持つ、重く静かな説得力が宿っていた。
「……そっか。そう、だね」
イザヨイは小さく頷き、改めて周囲の人々の顔を見た。
よく見れば、笑っている瞳の奥に消えない不安の色が揺れているのが分かる。彼らの『日常』は、薄氷の上に辛うじて成り立っているものなのだ。
「わたしがこの街に留まっているのも、そのためよ」
シルフィアは、杖をドンッと地面に突いて、前を向いた。
「わたしみたいなAランク冒険者が、堂々と街を歩き回って巡回してれば……それだけで、彼らは少しだけ安心できる。あの『氷の魔女』がいてくれるなら大丈夫だって、夜も少しは眠れるようになるでしょ」
風が彼女のツインテールを揺らす。
「だからわたしは……親玉を倒して、この街の恐怖を完全に拭い去るまで、絶対に逃げないわ」
その横顔には、もう迷子のように泣き叫んでいた昨夜の幼さは微塵もなかった。
弱き者を守り、恐怖に立ち向かう。
それこそが、彼女が冒険者の『Aランク』である理由なのだ。
(……すごいな。この子)
イザヨイは心の底から感心して、シルフィアの小さな背中を見つめた。
自分のように「防具が欲しいから」「金策イベントだから」というゲーム感覚の打算的な理由ではなく、純粋な使命感と優しさでこの過酷な異世界を生き抜いている。
(見た目はお子様だけど……背負ってる覚悟は、俺なんかよりずっと大人で、立派な『英雄』じゃないか)
シルフィアが不審そうに眉をひそめる。
「どうしたのよ、人の顔ジロジロ見て」
「ううん。シルフィアちゃんって、本当にカッコいいAランク冒険者なんだなーって、感心してただけ」
イザヨイが心からの笑顔で褒めると、シルフィアは一瞬きょとんとした後、再びボンッと顔を赤くしてプイッとそっぽを向いた。
「な、なによ急に! そんなの当たり前でしょ! アンタみたいなEランクのド新人は、わたしの背中をしっかり見て学びなさいよね!」
照れ隠しに杖を振り回しながらズンズンと歩き出すシルフィア。
だが、その足取りは先程よりも少しだけ誇らしげだ。
「はいはい、先輩、ついていきますよ」
イザヨイはふふっと笑い、後を追った。
イザヨイの中でのシルフィアの評価は、ただの「うるさいロリ魔女」から、「尊敬すべき小さな英雄」へと、確かな音を立てて跳ね上がっていたのである。




