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毒のエキスパート

 カルゼオンの東に広がる湿地帯。

 そこは、常にじめじめとした湿気と腐葉土の匂いが立ち込め、視界を遮るように高く伸びた葦やシダ植物が生い茂る、足場の悪いエリアだった。


「……前方に魔物の気配。距離五十。目標のポイズンリザードだ」


 葦の陰に身を隠し、クローザーが静かに報告する。

 彼の視線の先、ぬかるんだ地面の上に、紫色の鱗を持つ体長二メートルほどの巨大なトカゲが、獲物を探すように舌をチロチロと出し入れしていた。


「よし、まずは先制攻撃だ。クローザー、頼む」

「了解した」


 クローザーは背中の矢筒から一本の矢を引き抜き、流れるような動作で弓につがえた。

 ギリリと弦が引き絞られる音だけが、静寂の湿地に響く。

 彼は前髪の奥で鋭く狙いを定め、フッと息を吐くと同時に弦から指を離した。


 ヒュンッ!


 風を切る鋭い音と共に放たれた矢は、真っ直ぐにポイズンリザードの首元――鱗の隙間の柔らかい部分へと突き刺さった。


「ギャァァッ!」


 痛覚に刺激された魔物が、醜い悲鳴を上げる。

 急所を捉えた見事な一撃だが、Cランクの生命力を一撃で奪うには至らなかった。

 ポイズンリザードは怒り狂い、矢を射掛けたクローザーの方へと向き直り、ぬかるみを蹴立てて猛烈な勢いで突進してくる。

 だが矢のダメージと出血で足取りはフラつき、その突進には本来の速度はなかった。


「ハッ! 待ちくたびれたぜ!」


 前方で待機していたボルグが、ニヤリと笑って巨大な戦斧を構える。

 クローザーの矢で削り、前衛のボルグがトドメを刺す。

 これが彼らのパーティの、オーソドックスで最も洗練された連携戦術だ。


「オラァッ!!」


 ボルグの豪快な掛け声と共に、遠心力を乗せた大斧が振り下ろされる。


 ドグシャァッ! 


 鈍い破砕音と共に、ポイズンリザードの頭蓋は一撃で粉砕され、紫色の巨体はドサリと泥の中に沈んで完全に沈黙した。


「よし、一丁上がりだ! 見事なアシストだったぜ、クローザー」

「……胴体は狙わないでくれよ」

「分かってるって!」


 息の合った二人のやり取りを、後方から見ていたイザヨイは素直に感嘆の声を漏らした。


(やっぱり、あの二人の連携は見てて気持ちいいな。クローザーさんの狙撃スキル、かなりレベル高いぞ)


 だが、息つく間もなく、ポイズンリザードの死臭や血の匂いに引き寄せられたのか、周囲の茂みから別の気配が現れた。


「ゲコォォ……ッ」


 人間の子供ほどの大きさがある、不気味な斑点模様のカエル型魔物。『ポイズントード』だ。

 ランクはDと大して強くないが、口から吐き出す粘着性の毒液が装備を腐食させるため、非常に厄介ウザったいな存在として冒険者からは嫌われている。

 それが、湿地のあちこちから数体、ピョンピョンと跳ねて近づいてきた。


「あらあら、お邪魔虫の登場ね。私の服にその汚い液をかけないでちょうだい!」


 シエルが法衣の裾を気にしながら杖を構え、素早く詠唱を紡ぐ。


「穿て、風の矢!《ウィンドアロー》!」


 杖の先から放たれた真空の刃が、二体のポイズントードの胴体を的確に切り裂く。


「それなら、私もお手伝いしますね」


 イザヨイも指先を向け、一番消費MPの少ない初級魔法を無詠唱で発動させた。


「《サンダー》」


 バチッ! と小さな閃光が走り、残りのカエルたちは感電してひっくり返った。

 Aランクを一掃した大魔法に比べれば、線香花火のような威力だが、Dランクの雑魚を処理するにはこれで十分だ。


「よし、周囲の索敵クリア。……さっそく始めよう」


 戦闘が一段落すると、クローザーが弓を背中にしまい、腰から鋭利な解体用ナイフを取り出した。

 そして、彼が向かったのは、ボルグが倒したポイズンリザードの死骸だ。


「えっと……クローザーさん、何してるんですか?」


 討伐証明部位である右耳を切り取るのは分かる。

 だが、クローザーはさらにナイフを深く突き立て、ポイズンリザードの巨体の腹を、手際よく、しかし慎重に切り裂き始めたのだ。

 ぬちゃり、という嫌な音と、鼻をつく内臓の臭いが広がる。


「……毒袋の摘出だ」


 クローザーは前髪の奥で真剣な目を細めながら、紫色の体液に塗れた小さな袋状の器官を傷つけないように取り出し、ガラスの小瓶へと移し替えた。


「毒袋……ですか? そんなの取ってどうするんです?」


 イザヨイが不思議そうに小首を傾げると、クローザーは小瓶にしっかりと蓋をして、ポイズンリザードの体液をナイフから拭いながら答えた。


「これは武器として有効活用できるんだ。……俺のような、火力の低い後衛職にとってはな」

「有効活用……?」

「ああ。この毒液を矢尻に塗れば、即効性の『毒矢』になる。短剣に塗っておけば、かすり傷一つでも敵に致命的な麻痺や毒状態を与え、戦局を有利に運ぶことができる。だからこうして、討伐依頼のついでに毒を採取してストックしておくんだ。気軽に買えるものじゃないからな……」


 その説明を聞いて、イザヨイはようやく合点がいった。


(なるほど! だからクローザーさんは、報酬の安いこの依頼に固執したのか! 欲しいのは『毒矢の素材』の補充だったんだな!)


『エターナルクレイドル』でも、状態異常を付与するアイテムのクラフトは存在したが、イザヨイは「毒をチクチク入れるより物理で殴った方が早い」という脳筋スタイルだったため、この手の知識には疎かった。


「すごいですね! クローザーさん、そういう細かい知識があるんだ。……じゃあ、あっちのポイズントードの毒も取っておきます?」


 イザヨイが気を利かせて倒れたカエルの残骸を指差すと、クローザーは静かに首を横に振った。


「いや、アレは使わない。ポイズントードの毒は防具を腐食させる酸の性質が強いだけで、生体に対する致死性や麻痺の効力は弱い。それに採取の手間がかかる割に、すぐ揮発してしまうからな。矢の塗布用としては使い物にならん」

「へぇ~……! 詳しいんですね!」


 イザヨイが純粋な感嘆の声を漏らす。

 その反応を見て、ボルグが嬉しそうにイザヨイの肩を(優しく)ポンと叩いた。


「がははっ! 凄ぇだろ? クローザーの奴、こう見えて『毒』の知識に関してはカルゼオンでも指折りなんだぜ。俺が前に毒蛇に噛まれた時も、こいつがササッと調合した解毒薬で一命を取り留めたくらいだ」

「ええ。ポーションの節約にもなるし、本当に頼りになるのよ。うちのパーティの裏の頭脳ってとこね」


 シエルも、法衣の汚れを落としながら誇らしげに同調する。


「本当に凄いです、クローザーさん! 毒のエキスパートですね!」


 イザヨイは満面の笑顔で、尊敬の眼差しをクローザーに向けた。

 美人からの手放しの称賛。

 本来であれば、男としてこれほど嬉しい瞬間はないはずだ。

 鼻高々になって、「ふっ、まあな」とドヤ顔を決める場面である。


 だが……

 なぜか、クローザーの顔は暗く沈み、目線を逸らして小さな声でポツリと呟いた。


「……エキスパート、か」


 その声音には、喜びどころか、どこか自嘲するような、苦い響きが混じっていた。


「……イザヨイのような、全てを薙ぎ払う圧倒的な魔法があれば……毒などという姑息な手段に頼る必要はない。俺はただ……嫌でも覚えた知識を活用しているだけだ……」

「え?」


 クローザーはガラス瓶を腰のポーチにしまい、逃げるように背を向けて索敵に戻ってしまった。


 その言葉に込められた深いコンプレックス。

 Aランクの魔物を瞬殺する天才魔導士イザヨイと、地道に毒を集めて戦うBランクの弓使い(自分)との、絶対的な実力差。

 イザヨイは全く悪気はなかったのだが、無自覚にクローザーの劣等感を抉ってしまったらしい。


(えっ……なんか、地雷踏んだ? 俺、純粋にスゲェなって褒めただけなんだけど……)


 気まずい沈黙が湿地に降り下りる。


 ボルグとシエルも困った顔を見合わせた。


「あ、あの! クローザーさん! 私、本当にすごいと思ったんですよ! だって、魔法は魔力が切れたら終わりですけど、知識は無限じゃないですか!」


 イザヨイは慌ててフォローしようと背中を追うが、クローザーは無言のまま、足早に湿地の奥へと進んでいってしまう。


(どうしよう……。この世界の冒険者のプライドって、俺が思ってる以上に複雑なのかも……)


 おっぱい問題よりも難解な、パーティ内の人間関係の溝。

 イザヨイは冷や汗を流しながら、どんよりと落ち込んだ毒のエキスパートの背中を、オロオロと追いかけることしかできなかった。

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