ご褒美
「ではイザヨイ殿、お屋敷の門までご案内いたします」
ホクホク顔のイザヨイは、執事のセバスチャンに先導されて応接室を後にした。
(よしよし、これで最大の懸案事項だった装備問題の解決に目処がついたぞ。領主様が国中のネットワークを使って探してくれるなら、俺が一人で探し回るよりずっと早いし確実だ)
中身がゲーマーのイザヨイは、最強装備を手に入れるためのクエストを受注した時のような高揚感に包まれていた。
玄関ホールへと向かう途中。
前を歩いていたセバスチャンが、ふと立ち止まり、申し訳なさそうに振り返った。
「あの、イザヨイ様。お帰りになる前に、一つだけお願いをよろしいでしょうか」
「ん? お願いですか?」
「はい。実は……カルロス坊ちゃまのお顔を、少しだけ見てやってはいただけないかと思いまして」
「あ……」
イザヨイはパチクリと瞬きをした。
(すっかり忘れていた……)
ワイバーン討伐に出発する前、泣きじゃくって同行をせがむ領主の三男・カルロスを大人しくさせるために、適当にでっち上げたあの約束。
『帰ってきた時に……私から、カルロスくんに「いいこと」、してあげる』
セバスチャンは続ける。
「坊ちゃまはあの日以来、一度も屋敷を抜け出そうとせず、ご自身の部屋で大人しく勉学に励んでおられます。マクミラン様も、人が変わったようだと驚いておられるほどでして」
セバスチャンが、白髪の混じった頭を深々と下げた。
「イザヨイ様が何をお約束されたのかは存じ上げませんが……どうか、坊ちゃまを褒めてやってはいただけないでしょうか」
「……あはは、そういうことなら、お安い御用です」
イザヨイは苦笑しながら頷いた。
(しまった、「いいこと」の内容なんて全く考えてなかった。適当にお菓子でも買ってやろうかと思ったけど、ここにはそんなもの売ってないしな。まあ、頭撫でて「偉かったね」って褒めれば小学生男子なら十分だろ)
そんな呑気な算段を胸に、イザヨイはセバスチャンの案内に従って、屋敷の奥にあるカルロスの自室へと向かった。
コンコン
「カルロス坊ちゃま。イザヨイ様がお見えです」
「……!」
中からガタッと椅子を蹴立てる音がし、扉が勢いよく開け放たれた。
「イザヨイさん!!」
部屋の中にいたカルロスは、ペンを握りしめたまま、目をキラキラと輝かせて飛び出してきた。
本当に机に向かって勉強していたらしい。
銀髪の女神の姿に、十歳の少年の顔がみるみるうちに林檎のように赤く染まっていく。
「こんにちは、カルロスくん。セバスチャンから聞いたよ、とってもお利口さんに待ってたんだってね」
「うんっ!」
カルロスは力強く頷いた後、チラリと横に立つ老執事を見た。
「セバスチャン、下がってて。僕、イザヨイさんと二人きりでお話ししたいから。扉の前で見張ってて」
「おや……。左様でございますか。では、私はこちらで控えておりますゆえ」
セバスチャンは少し驚いたように眉を上げたが、すぐに察したような温かい笑みを浮かべ、音を立てずに扉を閉めた。
カチャン、と扉が閉まり、広い子供部屋にイザヨイとカルロスの二人きりになる。
沈黙が落ちた。
「えっと……」
「あのね、イザヨイさん」
イザヨイが切り出そうとしたのを遮るように、カルロスがモジモジとしながら一歩近づいてきた。
顔は真っ赤だが、その瞳には強い意志が宿っている。
「僕、約束通り、ずーっといい子にしてお留守番してたよ。勉強もいっぱいしたし、剣の素振りもした。一回も逃げ出さなかった」
「うんうん、偉い偉い。立派だったね」
「だから……あの、約束の、『いいこと』……してほしいな、って」
上目遣いで懇願するカルロス。
誤魔化しがきかない状況に、イザヨイは冷や汗をかきながら、カルロスの目の前にしゃがみ込んだ。
ドレスの裾がふわりと広がり、カルロスの視線の高さに、あの暴力的な双丘の谷間が強制的にセットされる。
「ええと……カルロスくんは、私に何をしてほしいの?」
少しだけ首を傾げ、甘い声で問いかける。
すると、カルロスの顔がさらに赤くなり、消え入りそうな声で白状した。
「……ぎゅって、抱きしめて、ほしくて」
「えっ? 抱きしめる?」
予想外にピュアな要求に、イザヨイはぽかんと口を開けた。
カルロスは俯いたまま、ぽつりぽつりと話し続ける。
「僕のお母様……今はお屋敷にいなくて、ずっと遠くへ出かけてるんだ。兄上も王都に行っちゃうし、父上はいつも仕事で怒ってばっかりだし……。だから、僕……少しだけ、寂しかったんだ」
その言葉を聞いて、イザヨイの胸の奥がキュッと締め付けられた。
(なるほどな……。この子の度重なる無断脱走のヤンチャっぷりは、ただの構ってちゃん……愛情不足からくる寂しさの裏返しだったのか)
前世の孤独だったゲーマー時代の記憶。
一人ぼっちの部屋でゲームに熱中し、誰の温もりも感じられなかった自分の姿が重なった。
イザヨイの中に自然と同情と、ある種の母性(?)が湧き上がってきた。
「……そっか。寂しかったんだね、カルロスくん」
イザヨイは優しい声で囁き、迷うことなく両腕を広げた。
そ
して、俯く小さな肩を引き寄せ――
己の胸の中へスッポリと抱え込んだ。
「えっ……!?」
「いい子でお留守番してて、本当に偉かったね。カルロスくんは、強い男の子だよ」
「……っ!!」
カルロスは全身を硬直させた。
無理もない。
しゃがみ込んだイザヨイに抱きしめられたことで、十歳の少年の顔面は、強調された暴力的なまでの柔らかさと質量、つまり、イザヨイの規格外の双丘に、正面から完璧に押し付けられる形になったのだ。
顔全体を包み込む、信じられないほどの弾力と温もり。
そして鼻腔を満たす、あの甘くて爽やかな石鹸と花の入り混じったようないい匂い。
(こ、これが……お、おんなのこの……っ!? や、柔らかい……! いい匂いがする……ッ!)
それだけではない。
イザヨイの細くて白い手が、カルロスの短い茶髪を「よしよし」と優しく撫でているのだ。
(ああああああああっっ!!!?)
カルロスの脳内回路は、ショートを通り越して爆発四散した。
十歳の許容量を遥かに超えた、あまりにも強烈すぎる刺激。
母の温もりを求めていたはずが、それ以上の、男としての本能をダイレクトに揺さぶる未知の快楽に、彼の心臓は口から飛び出しそうなほど早鐘を打っている。
鼻の奥がツンとして、今にも鼻血が噴き出しそうだ。
(すごい……柔らかい……すっごく、いい匂いがする……)
カルロスはイザヨイの腕の中で、ただされるがままに、その温もりに溺れることしかできなかった。
やがて、十秒ほどが経ち。
「よしっ、これで元気出たかな?」
イザヨイがポンと背中を叩き、体を離した。
中身が男のイザヨイにとって、頭を撫でるなど、近所のガキをあやすのと同じ程度のスキンシップ感覚だった。
絶世の美少女の皮を被っている今、それはこの上ない慈愛の行為……のはずだ。
だが、解放されたカルロスは、ゆでダコという表現すら生温いほどに顔を真っ赤にし、両手で顔を覆って下を向いたまま、ガクガクと小刻みに震えていた。
「カルロスくん? 大丈夫? 熱でもある?」
「だ、だいじょうぶ!! げ、元気いっぱい出た!!」
カルロスは顔を隠したまま、裏返った声で叫んだ。
「じゃあ、カルロスくん。お父さんとお兄ちゃんの言うことを聞いて、これからは良い子にしてるんだよ? また、いつか会いに来るからね」
「……う、うん。またね、イザヨイさん……僕、絶対良い子にしてる……っ!」
イザヨイが立ち上がり、ドレスを翻して部屋を出て行く。
扉が閉まった後、一人残されたカルロスは、ヘナヘナと床にへたり込んだ。
顔は真っ赤なままで、心臓の音はまだバクバクとうるさい。
顔の表面に、まだあの柔らかさと甘い匂いが残っているような気がしてならない。
「……すごかった……」
カルロスは自分の胸をギュッと押さえた。
母の不在の寂しさなど、あの瞬間、あの規格外の双丘の暴力的な温もりの前に完全に消し飛んでしまった。
少年にとって、あまりにも刺激が強すぎた初恋のご褒美。
この日の『いいこと』が、カルロスの人生における女性のハードルを天文学的な高さまで引き上げ、一生記憶に刻み込まれる思い出になったことは、言うまでもない。
一方、扉の外でセバスチャンと合流したイザヨイは。
(いやー、いいことしたな俺! 子供の純粋なお願いを叶えてあげるって、なんか心が洗われるわー)
自分がいかに罪深い凶器を少年の顔面に押し付けたかなど微塵も気付かず、スッキリとした顔で、過保護な三人組が待つ宿屋へと帰路に就くのだった。




