金より価値のある願い
南方の村を空の災害から救い出し、残党のワイバーンも一掃したことで、討伐隊の目的は予想以上に早く達せられた。
あれから二日後。
カルゼオンの領主館へ帰還した馬車は、夕日に照らされながら屋敷の門をくぐった。
重厚な応接室の扉が開かれると、出立前と同じように、執務デスクの前に立つ領主マクミランの姿があった。
その顔には、安堵と、ある種の緊張感が入り混じっている。
彼のもとへ、副団長のアンドリューが片膝をついて深々と一礼し、その背後でイザヨイが裾を静かに揺らして優雅なカーテシーをした。
「無事の帰還、大儀であった。……して、アンドリュー。報告を聞こう」
「はっ。父上、急報の通り、村を襲っていたのはAランクの『ワイバーン』で間違いありませんでした。その数、十と数体」
アンドリューの報告に、マクミランの頬が引き攣る。
一匹でも厄介な化け物が、それほどの数で群れていたとは。村が半壊で済んだのは奇跡に近い。
「ですが……村人の被害は最小限に抑えられ、飛竜の群れは一匹残らず完全に討ち果たされました」
アンドリューは顔を上げ、青い瞳に真っ直ぐな、そして畏敬の念すら込めた熱を帯びさせて、隣の銀髪の少女を見た。
「イザヨイ殿の実力は……本物です。本物などという言葉では生温い。この目で、はっきりと確かめました」
「……何?」
「我々騎士団が陣形を組んで防戦を覚悟する中、イザヨイ殿はたった一人で群れの前に進み出ました。そして、私がこれまで見たことがない魔法……絶大な氷の嵐で飛竜の機動力を完全に奪い、最後は、神の怒りの如き無数の雷雨で、全てを消し炭に変えてみせたのです」
アンドリューの震えるような報告が、応接室に静寂をもたらした。
「傷を負うどころか、そのドレスに土埃一つ付けることなく、です。……父上。冒険者ギルドからのグリフォン討伐の報告は、間違いなく真実であり、彼女はカルゼオン、いや、この国においても比類なき至宝と言っても過言ではありません」
普段は冷静沈着な息子の、そこまで熱烈な評価。
マクミランは目を見開き、そして深く、長くため息を吐き出してデスクに手をついた。
「……そうか。ギルド長の報告も、お前の言葉も、全て真実であったか」
マクミランは居住まいを正し、イザヨイの前へ歩み寄ると、領主としての威厳を捨てて深く頭を下げた。
「イザヨイ殿。貴女の実力を疑い、このような危険な試練を課したこと……領主として、そして人として、心よりお詫び申し上げる。貴女の力がなければ、あの村は、いずれこの街も火の海に沈んでいたかもしれん。カルゼオンの民を代表し、深く感謝する」
「あっ、いえ! 頭を上げてください、領主様。私は全然気にしてませんから」
イザヨイは慌てて両手を振った。
ゲーム感覚で金策イベントに参加したようなものなので、感謝されても少しこそばゆいだけなのだ。
「そんなことはない。貴女は我が領地の危機を救ってくれたのだ。……今回、我々は貴女の実力を試すために同行を願ったゆえ、事前の報酬を取り決めておらんかったが……」
マクミランが顔を上げ、力強く宣言した。
「私の独断で、貴女に相応しい報酬を用意しよう。ワイバーンの素材の売却益はもちろん全額貴女のものだし、それとは別に、金貨百枚でも、領内の豪邸でも、望むものを言ってくれ」
金貨百枚。豪邸。
普通であれば、誰もが小躍りして喜ぶ破格の提案である。
しかし、イザヨイの心は別のところで燃え上がっていた。
(豪邸? 今は要らないかなぁ。風呂付きだったら魅力的だけど、定住する気はないし。金貨百枚? お金はいくらあってもいいけど……今の俺には、それよりも遥かに、切実に欲しいものがある!)
イザヨイはふうっと息を吸い込み、真剣な眼差しでマクミランを見つめ返した。
「領主様。報酬を頂けるのであれば……お金ではなく、一つだけお願いを聞いていただけませんか?」
「お願い、だと? うむ、貴女の望みとあらば、何なりと言ってみなさい」
マクミランとアンドリューが、息を呑んで彼女の次の言葉を待つ。
国に仕官したいのか、あるいは強力な魔道具や禁断の魔導書を求めるのか。
だが、イザヨイの口から飛び出したのは、彼らの予想の斜め上……いや、はるか下をいく、極めてピンポイントで個人的な願望だった。
「『アラクネの糸』を加工できる、特別な技術を持った職人を探していただきたいんです」
「……は?」
「アラクネの糸の……職人、ですか?」
マクミランとアンドリューの顔に、見事な「?」が浮かんだ。
「はい! 私、どうしても作ってほしい『防具』があるんです! でも、普通の防具屋さんじゃダメで。アラクネの糸を編んで、私の体にピッタリフィットして、絶対に揺れなくて、しかも重さを感じさせない、そんな魔法みたいなインナーを……ごほんっ、防具を作れる職人さんが必要なんで」
(あっ、やば。ちょっとおっぱい防具の要望が漏れそうになった)
イザヨイは慌てて咳払いをして誤魔化したが、その必死な様子に二人は首を傾げた。
「……アラクネの糸を加工できる職人、か」
マクミランは難しい顔をして腕を組んだ。
「イザヨイ殿。ご存じかもしれんが、アラクネの糸は魔力を帯びており、ただ編むだけではすぐに硬化してしまう。それを『布』として仕立てる技術を持つ職人は、我が国でも王都に存在するかどうか怪しい」
「……ええ。私も噂でしか聞いたことがありません。それに、彼らは極端に気難しく、金貨を積んだところで素性も知れぬ者の依頼は受けないと聞きます」
アンドリューも懸念を口にする。
つまり、「見つけることすら困難」であり、「見つけても依頼を受けてくれるか分からない」という二重の壁があるのだ。
「それに……本当にそれでよろしいのですか? 金貨百枚の価値を捨ててまで、そのような一着の防具を求める価値があるとは……」
「あります!! 私にとっては、金貨数百枚よりも遥かに価値があるんです!」
イザヨイは即座に、一切の迷いなく言い切った。
前衛で剣を振り回す自由。
あの暴力的な双丘の揺れと重力からの解放。
そのためであれば、金貨数百枚あろうが知ったことではない。
その悲痛なまでの決意を秘めた瞳に、マクミランは圧倒され、ついには苦笑して頷いた。
「……よかろう。貴女がそこまで望むのであれば。カルゼオン領主の名において、私の諜報網を使い、必ずやその職人を探し出してみせよう。そして、貴女がその『防具』を手に入れられるよう、我がヴェルリス家が全面的に支援することを約束する」
「本当ですか!? ありがとうございます、領主様!」
イザヨイはパァッと顔を輝かせ、喜びのあまりピョンと跳ねた。
当然、コルセットで固定しているとはいえ、その衝撃で豊かな胸元がブルンと大きく揺れ、マクミランとアンドリューの視線が無意識にそこへ吸い寄せられ――二人は同時にハッとして赤面し、咳払いをした。
「こほん。……では、職人の手配は私にお任せを。アンドリュー、王都の騎士団にも極秘に調査を依頼しておけ」
「はっ、直ちに手配いたします」
こうして、金貨百枚という莫大な報酬と引き換えに、イザヨイの「究極の揺れないブラジャー(インナー)作成計画」は、領主という国家権力を巻き込んだ一大プロジェクトとして動き出したのだった。
(よっしゃ! 権力者ゲット! これでおっぱい問題も解決の糸口が見えたぞ。待ってろよ、俺のインファイト復帰は近いぜ……!)
イザヨイは内心で高笑いした。




