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少年の想い

 イザヨイを乗せた馬車が静かに領主の館の門を出た、ちょうどその頃。


「父上! 兄上!」


 重厚な応接室の扉が、バーンと勢いよく開け放たれた。

 飛び込んできたのは、つい先程廊下でイザヨイとすれ違ったばかりの、ヴェルリス家三男・カルロスである。

 その息を弾ませた顔には、先程までの赤面とは違う、切羽詰まったような熱が宿っていた。


「カルロス! お前、また抜け出そうとしていたそうだな!」


 ソファから立ち上がっていたマクミランが、息子の姿を見るなり雷を落とした。

 その威厳ある髭が怒りでワナワナと震えている。

 カルロスの『無断脱走癖』は、領主である父の悩みの種だったのだ。


「カルゼオンの治安を預かる者の息子が、護衛もつけずに街をふらふらと歩き回るなど、言語道断だ! もしお前に何かあれば、この私が……」

「……またですか。私が王都へ行っている間も、治っていなかったのですね」


 マクミランの横で、金髪の副団長アンドリューが、弟のやんちゃぶりに深くため息をついた。

 王都の厳しい規律の中で生きる彼からすれば、護衛を振り切って街へ飛び出すなど、危機管理能力の欠如も甚だしい。


「ご、ごめんなさい、父上! でも、今日は街に行こうとしたんじゃなくて……!」


 カルロスはぺこりと頭を下げたが、その顔に反省の色は薄い。

 むしろ、怒られている最中だというのに、彼の興味は全く別の方向を向いていた。


「それより父上! さっき廊下ですれ違った、あのおねえさん! 胸がすっごく大きい、星みたいなドレスを着てた女の子! 誰なんですか!?」


 カルロスの身を乗り出した質問に、マクミランとアンドリューは一瞬、言葉を失った。


「お前……まさか、あの方に何か失礼なことをしたわけではないだろうな!?」

「してないよ! セバスチャンと一緒に会釈しただけ!」

「……そうか。ならば良い」


 マクミランはホッと胸を撫で下ろした。

 もしあの『Aランク魔獣を単独討伐した歩く戦略兵器(しかも怒らせたら街が消滅するかもしれない)』に、無作法な三男が粗相でもしていれば、文字通り領地がどうなるか分からなかったからだ。


「あれは……我がカルゼオンにとって、非常に重要なお客様だ。お前が気にするような相手ではない」


 マクミランは威厳を保ちつつ、言葉を濁した。

 Eランクの新人冒険者でありながら、領主である自分すら警戒させる底知れない実力者。

 子供のカルロスに、余計な情報を与える必要はない。


「大事なお客さん……。でも、名前くらい教えてくれたっていいじゃないか! 僕、名前も知らないんだよ!」

「……イザヨイ殿だ」


 父の渋る様子に見かねたのか、アンドリューが冷静な声で答えた。


「イザヨイ、殿……」


 カルロスは、その響きを口の中で転がすように、大切に復唱した。

 路地裏で助けてくれた、優しくて、柔らかくて、甘い匂いのする、銀髪の女神。

 その名前を初めて知り、十歳の少年の心臓は再びトクトクと早鐘を打った。


「その……イザヨイさんって、どんな人なの? どこかの国の王女様? それとも、すごい魔法使いとか?」

「……それが分からないから、これから調べるのだ」


 アンドリューが険しい顔で弟の質問を遮る。


「イザヨイ殿の正体は、私と父上でさえ全く掴めていない。ただの美しい令嬢なのか、それとも……。とにかく、お前が軽々しく近づいて良い相手ではないことだけは確かだ。分かったな、カルロス」


 厳しい兄の言葉に、カルロスは少し不満げに唇を尖らせた。


「さて、父上。私は明日からの討伐隊の編成のため、これより屯所へ向かいます。準備には少々時間がかかりますので」

「うむ、頼んだぞアンドリュー。ワイバーンの群れは厄介だ。イザヨイ殿の力が本物であっても、万が一に備え、精鋭を揃えよ」

「はっ」


 アンドリューは短く一礼し、マントを翻して応接室を出て行った。

 残されたのは、父マクミランと、まだイザヨイへの好奇心を抑えきれない三男カルロスだ。


「……ねえ、父上。兄上と、そのイザヨイさんは……これから何をするの?」


 マクミランは少しだけ悩み、まあ家族であるカルロスに大まかな予定を伝えるくらいは構わないだろうと判断した。


「……南方の村に、空の災厄『ワイバーン』が現れたとの急報があってな。アンドリューとイザヨイ殿は、明日の朝からその討伐と調査に向かうことになったのだ」

「ワイバーン討伐……!」


 カルロスの瞳が、星のようにカッと輝いた。

 ワイバーン。空を駆ける恐ろしい飛竜。

 それを、自分が憧れる無敵の兄と、昨日一目惚れした美しいお姉さんが一緒に倒しに行くというのだ。

 少年の冒険心が、これ以上なく刺激された瞬間だった。


「僕も! 僕も一緒に行きたい!」

「バカ者!!」


 マクミランの怒鳴り声が、応接室のガラスをビリビリと震わせた。


「ワイバーンの群れだぞ!? 歴戦の騎士でさえ命を落とす危険な討伐に、剣もまともに握れん子供を連れて行けるわけがなかろう! 遊びではないのだ!」

「でも……っ! 僕だって、ただ見てるだけじゃ……!」

「ならん! お前は屋敷から一歩も出るな。セバスチャンに見張らせておくからな! 下がれ!」


 父の絶対的な命令と本気の怒りに、カルロスはビクッと肩を震わせた。

 反論の余地は微塵もない。


「……はい、父上」


 カルロスはシュンと肩を落とし、しょんぼりとした足取りで応接室を後にした。


 だが、部屋を出て一人になった廊下で、少年の瞳には、先程までの落ち込んだ色とは全く違う、不敵な光が宿っていた。


(一緒に連れていってもらえないかな……)


 彼の『無断脱走癖』は、領主の説教ごときで治るような軽いものではない。

 そして、その原動力は、危険な飛竜への純粋な好奇心と――


(イザヨイさん……もう一度、あの人に会いたい……!)


 十歳の少年の、ちょっとませた、けれど無謀な初恋の熱だった。

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