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大衆大浴場

 ギルドを出て数分。

 夕暮れ時のカルゼオンの街を少し歩いた先に、その建物はあった。

 石造りの頑丈な外観だが、屋根からはモクモクと白い湯気が立ち上る。

 看板には『大衆大浴場』という文字と、温泉マークに似た湯気のシンボルが描かれていた。


「よし、着いたぜ! ここがカルゼオン一の癒しスポットだ」


 ボルグが誇らしげに建物を指差す。

 イザヨイは目を輝かせながら、その外観を見上げた。


「おおーっ! 本当に銭湯だ! 中はどうなってるんだろう……!」


 男だった頃は近所のスーパー銭湯にたまに行く程度だったが、異世界で湯船に浸かれるという感動は計り知れない。

 はやる気持ちを抑えきれず、イザヨイは小走りで暖簾(のような布)をくぐった。


 入り口の受付(番台のような場所)には、愛想のいい年配の女性が座っていた。


「四名様ですね。銀貨二枚になります」

「俺が出す。今日のガルーダ分から引いといてくれ」


 番台のおばちゃんにクローザーが料金を支払い、四人はそれぞれ中へと足を踏み入れた。


「毎度あり! ゆっくり温まっていきな!」


 受付のおかみの声を背に受け、四人は脱衣所への入り口へと向かう。

 正面には大きなのれんが二つ。

 右側は青色、左側は赤色だ。

 ゲームの世界とはいえ、大衆浴場の作りは現実の銭湯とさして変わらないらしい。


「よし、じゃあ一時間後に外の椅子で待ち合わせな」


 ボルグがそう言って、迷うことなく青い布――『男湯』の扉へと向かう。

 クローザーも無言でその後につづき、シエルは赤い布――『女湯』の扉の前で立ち止まった。


「ええ、ゆっくり疲れを取ってきなさいな。イザヨイちゃん、行こ……」


 シエルが赤い暖簾の方へ向かおうと振り返った、その時だった。

 イザヨイの姿が、シエルの隣にない。


「……あれ?」


 シエルがキョロキョロと周囲を見回すと、信じられない光景が目に飛び込んできた。

 なんと、イザヨイはボルグとクローザーの背中を追うようにして、迷うことなく青い暖簾――つまり『男湯』へと足を踏み入れようとしていたのだ。


「ちょっ、イザヨイちゃん!?」


 シエルの悲鳴に近い声に、前を歩いていたボルグとクローザーがピタリと足を止めて振り返る。

 そして、彼らの真後ろで暖簾をくぐろうとしていた銀髪の美少女の姿を見て、二人の眼球が飛び出さんばかりに見開かれた。


 その瞬間。

 イザヨイの背後から、信じられないものを見るような三人の視線が突き刺さった。


「な、なな、なんだお前!? なんでこっちに来てんだ!?」


 ボルグがパニックを起こして大声を張り上げる。

 クローザーに至っては、声も出せずに口をパクパクと金魚のように開閉させていた。

 だが当のイザヨイはポカンとした顔で二人を見上げている。


「え? なんでって、お風呂に入るからですよ? 三人で来たんだから一緒に入るのが普通じゃ……」


 イザヨイの頭の中は、「男同士、裸の付き合いで戦いの疲れを癒やす」という、前世の修学旅行のようなノリで一杯だった。

 なにせ、朝起きてから今まで、過保護な三人組とずっと一緒に行動していたのだ。

 入浴の時だけ別れるという発想が、中身がおっさんのゲーマーには完全に欠落していたのである。


「バッ、バカヤロウ!! ここは男湯だぞ!!」

「……お、俺たちは男だ。イザヨイ、お前は……」


 そして、事態を最も正確に把握したシエルが、悲鳴に近い声を上げた。


「い、イザヨイちゃああぁぁんッ!!??」

「ひゃあっ!?」


 シエルが猛然とダッシュしてきて、男湯の扉を開けようとしていたイザヨイの腕をガシッと掴み、強引に引き剥がした。


「な、何やってるのよ!! そっちに行ったらダメェェェッ!!」

「えっ、何でですか? お風呂ってこっちじゃ……」


 イザヨイはきょとんとした顔でシエルを見つめ、それから赤面して固まっている男二人を見た。


(なんでそんなに慌ててるんだ? ……あ)


 男湯の扉。

 そして、自分の視界の端にチラリと映る、豊かな胸元。

 そこでようやく、イザヨイの中身おっさんの思考回路が、現実の状況に追いついた。


(……俺、女じゃん!!)


 自分は今、銀髪の絶世の美少女。つまり、生物学的には立派な『女性』なのだ。

 そしてここは公衆浴場。

 男の身体だった頃の感覚で、無意識に男湯の暖簾をくぐろうとしたということは……


「あ、あわわっ! し、しまった……っ!」


 イザヨイの顔が一瞬にして沸騰したように真っ赤になった。

 全身から冷や汗が噴き出し、心臓が早鐘のように鳴り始める。


「ご、ごめんなさい! 私、疲れててぼーっとしてて、間違えちゃいました!」

「だ、だろうね! いくらなんでも大胆すぎるわよ! ボルグたちも変なとこ見ないでよね!!」

「み、見てねぇよバカヤロウ!!」

「……俺は何も見ていない。幻覚だ」


 シエルが必死にイザヨイを背中に庇い、ボルグとクローザーは慌てて視線を明後日の方向へと逸らした。

 3人にとって、イザヨイは「最強の魔導士」であると同時に、「性に対する羞恥心が完全にぶっ壊れている危険人物」として認識されてしまった瞬間だった。


 気まずすぎる空気の中、イザヨイはシエルに引きずられるようにして、赤い布の掛かった『女湯』の扉へと連行されていく。


「……はぁ。心臓が止まるかと思ったわよ。イザヨイちゃん、いくらなんでも無防備すぎるわ」

「本当にごめんなさい……。次から気をつけます」


 シエルがホッと胸を撫で下ろしている横で、イザヨイは平謝りしながら自分の胸元をそっと押さえた。


(危なかった……)


 あと一歩踏み出していれば、社会的な死はもちろんのこと、過保護なボルグたちが卒倒していたかもしれない。


(……待てよ。ってことは、これから入るのは『女湯』……だよな?)


 女湯。

 男だった頃は決して足を踏み入れることの許されなかった、未知の聖域。

 自分自身が女性の身体であるとはいえ、そこには他の女性客もいるのだ。

 隣には、優しくてスタイルの良いシエルもいる。


(……いやいやいや、変なこと考えるな俺! 中身は男でも、外見は女なんだから、堂々としてればいいんだ!)


 イザヨイはブンブンと頭を振り、邪念を振り払おうとする。

 だが、その決意とは裏腹に、男のロマンという名の抗いがたい好奇心が、チクリと胸の奥を刺激していることも否定できなかった。


「ほら、イザヨイちゃん、早く入るわよ!」

「あ、はいっ!」


 シエルに促され、イザヨイは覚悟を決めて『女湯』の脱衣所へと足を踏み入れた。

 異世界での初めての銭湯体験。

 それは、魔物との戦闘とは全く別のベクトルで、イザヨイの精神力をゴリゴリと削り取る過酷な試練の始まりだった。

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