銭湯の存在
「……だから、本当にいいんですか?」
イザヨイは困ったように眉を下げ、カウンターの上に置かれた二つの革袋を交互に見比べた。
一つは金貨五十枚が詰まったずっしりと重い袋。もう一つは、金貨三枚が入った小さな袋だ。
「当たり前だ! むしろ、金貨三枚でも貰いすぎなくらいだぜ」
ボルグが腕を組み、大きく頷く。
三人がどれほど固辞しても、イザヨイが「パーティを組んでくれた恩」を盾に引かなかったため、最終的に受付嬢を交えての話し合いとなったのだ。
結果、単独で倒したAランク魔物・グリフォンの討伐報酬である『金貨五十枚』はイザヨイの総取り。
そして、元々の目的であったガルーダ討伐の依頼達成報酬『金貨三枚』を、ボルグたち三人が頭割りで受け取るという妥協案に落ち着いた。
「俺たちは昨日も言ったが、戦場までの案内人と荷物持ちしかしてねぇ。それだけで金貨一枚も貰えるんだ、これ以上の贅沢はバチが当たる」
「そうよイザヨイちゃん。このお金は、あなたがいざという時のために大切に持っておきなさいな。……本当に、凄かったんだから」
「……ああ。お前の実力には、俺たちの安いプライドなど釣り合わない」
三人の先輩冒険者は、感謝と畏敬の念を込めてイザヨイを見つめる。
昨日までは「世間知らずで危なっかしい美少女」という保護対象だったが、今の彼らの目には「自分たちを遥かに凌駕する謎多き大魔導士」として映っているようだった。
「……分かりました。それじゃあ、この五十枚は私がありがたく頂いておきますね」
イザヨイは小首を傾げ、可憐な笑みを浮かべて革袋を自身のポーチにしまい込んだ。
(なかなか美味しいクエストだったな)
と、内心では呑気なゲーマー思考を巡らせていたが、三人の重たい空気を感じ取り、これ以上押し問答するのは得策ではないと判断したのだ。
「よしっ、話はまとまったな!」
ボルグがパンッと手を叩き、重苦しい空気を吹き飛ばすように豪快に笑った。
「臨時収入も入ったことだし、今日はパーッと豪遊……と行きたいところだが、その前にだ。お前ら、久々に『あそこ』に行かねぇか?」
「あそこって……ああ! 賛成! 昨日も今日も土埃まみれだったし、絶対行きたいわ!」
「……俺も異存はない。矢の弦の張り替えより、まずは身体のメンテナンスだ」
シエルがパッと顔を輝かせ、クローザーも珍しく即答で同意する。
そのやり取りに、イザヨイは首を傾げた。
「あそこ、ですか?」
「おうよ! カルゼオン名物、『大衆大浴場』――つまりは銭湯だ!」
ボルグの口から飛び出した単語に、イザヨイの目が点になった。
そして、次の瞬間。
「えっ……? せ、銭湯……!? お風呂屋さんがあるんですか!?」
イザヨイの口から、今日一番の――Aランクの魔獣を瞬殺した時よりも遥かに大きくて素っ頓狂な声が漏れた。
その驚きぶりに、逆にボルグたちが面食らう。
「お、おう。なんだお前、風呂屋を知らねぇのか?」
「いえ、知ってます! 知ってますけど……この世界に、そんな便利な施設があるなんて思ってなくて!」
イザヨイはバンッとカウンターに手をつき、身を乗り出した。
彼女(彼)の認識では、中世ヨーロッパ風のファンタジー世界における入浴事情など、水浴びか、せいぜい濡れタオルで体を拭く程度だと相場が決まっていた。
現に、昨夜泊まった宿屋にも個室の風呂は存在しなかった。
「てっきり、ずっと体を拭いて誤魔化すしかないと思ってました! 湯船に浸かれるんですか!? 熱いお湯に!?」
「あ、ああ……湯船はあるぜ。魔石で湯を沸かしてる、すげぇデカい風呂がな」
「……ッ!!」
イザヨイはその場でピョンピョンと跳ねて大喜びした。
「や、やったぁぁっ!!」
豊かな双丘がドスンドスンと激しく揺れ、周囲の冒険者たちの視線を釘付けにするが、今のイザヨイにとってそんなことはどうでもよかった。
(風呂だ。大きなお風呂……!)
中身は男である以前に日本人。
やはり風呂に入りたいという欲求は抑えきれないでいた。
「フフッ、イザヨイちゃんったら、あんなに強いのに、お風呂でそんなに喜ぶなんて。年相応で可愛いわね」
シエルが微笑ましそうにイザヨイを眺めながら、クスクスと笑う。
「まあ、気持ちは分かるぞ。こっちの銭湯は結構高くてな。入場料だけで大銅貨五枚もするんだ。だから俺たちみたいなBランクでも、今日みたいに懐が暖かい時や、特に汚れが酷い時くらいしか行けねぇのさ」
「……平民にとっては贅沢な娯楽だ。だが、今日の疲労は湯に流す価値がある」
ボルグとクローザーの解説に、イザヨイは大きく何度も頷いた。
「行きます! 絶対に行きます! すぐに行きましょう!」
イザヨイはボルグの袖を引き、目をキラキラさせて急かす。
その仕草の破壊力たるや、歴戦の戦士であるボルグでさえ一瞬で頬を赤く染めるほどだった。
「お、おう! 分かったから引っ張んな! じゃあ、善は急げだ。ギルドの裏手にあるから、ついてきな!」
イザヨイの予想外のテンションの高さに押されるように、四人はギルドを飛び出した。
莫大な報酬を手にした天才魔導士の、異世界での初めての『銭湯』体験が、すぐそこまで迫っていた。
ただし、自分が今『女湯』に入らなければならないという重大な事実に、中身がおっさんのイザヨイがまだ気付いていないことは、言うまでもない。




