ザイードの思惑
華やかな祝賀パーティが終わり、喧騒に包まれていたブレイブフォード家の屋敷も、すっかり寝静まった夜更け。
屋敷の一角にある、薄暗い灯りだけがともされた小さな談話室。
そこには、純白の騎士団長のマントを解いたザイードと、険しい顔をしたアンドリューの二人だけが、向かい合うようにして革張りのソファに腰を下ろしていた。
「……さて。先程の件について、何か言いたいことがあるような顔だな、アンドリュー」
ザイードが、手元のグラスに注がれた少量の琥珀色の酒を揺らしながら、口元に微かな笑みを浮かべて切り出した。
アンドリューは眉間を深く寄せ、静かに、しかし咎めるような声で問い詰めた。
「ザイード殿。先程のイザヨイ殿への無礼な振る舞い……一体、どういうおつもりですか。いくら貴方が第四騎士団長であっても、あのような急な求婚は、彼女を困惑させるだけです」
「ははっ、手厳しいな」
ザイードは悪びれる様子もなく、グラスを傾けた。
「なに、そんなに怒るな。お前もあの子のことが気に入っているのだろう? 若い騎士が美しい少女を守ろうと必死になる姿は、見ていて微笑ましいものだったぞ」
「ち、違います! そういう問題ではなく、私は……ぐっ、誤魔化さないでください!」
アンドリューが顔を赤くして反論するが、ザイードはその言葉を冷たく遮り、スッと眼光を鋭くした。
「誤魔化してなどいないさ。私は、至極真っ当な判断をしたまでだ。……有能な人材を我が国に引き入れようとして、何が悪い?」
「……っ」
「謎の魔物を一刀両断するだけではなく、ワイバーンの群れを単独で殲滅するほどの規格外の実力者。……それがどれほど、戦略的に見て『国家レベルの至宝』であるか、お前も騎士ならば理解しているはずだ」
ザイードの灰色の瞳が、獲物を狙う鷹のように冷徹な光を放つ。
「あのような規格外の人材が、どこの国にも属さず、野に放たれている現状こそが危険なのだ。……ならば、王族に連なる貴族であり、武の家系であるアイゼンベルク家の私が、彼女を『妻』として迎え入れる。これ以上に、彼女を我が国に強固に縛り付け、安全に管理する手っ取り早い方法があるか?」
「それは……!」
アンドリューは反論しようと口を開いたが、言葉が出なかった。
ザイードの言うことは、貴族の論理、国家の防衛という観点から見れば正論だったからだ。
他国に彼女のような歩く戦略兵器を奪われるくらいなら、権力と財力、そして『血縁』で縛り付けるのが最も確実である。
「ですが、彼女の……イザヨイ殿の『気持ち』はどうなるのですか! 彼女は、貴族の鳥籠に収まるような女性ではありません!」
「フッ……気持ち、か。青いな、アンドリュー」
ザイードは小さく鼻を鳴らした。
「ならば、お前が告白して彼女を繋ぎ止めればいい。ヴェルリス家の嫡男であるお前ならば、身分も釣り合う。……どうだ? 覚悟があるか?」
「なっ……! 私と彼女は、そのような……!」
図星を突かれたように言葉に詰まるアンドリューを見て、ザイードは小さくため息をつき、グラスをテーブルに置いた。
「……まあいい。私が焦っているのには、もう一つ理由がある」
ザイードは声のトーンを落とし、極秘事項を語るように身を乗り出した。
「お前も知っての通り、今回このテアトラムを襲った異常なスタンピード。その発端は、北の隣国である『ヴァルシュタイン国』だ。……実は、王都を出発する直前、我が国にヴァルシュタインからの正式な『救援要請』が届いたのだ」
「救援要請……!? あのヴァルシュタインがですか!?」
アンドリューが驚愕に目を見開く。
「ああ。村がいくつか壊滅したという噂は聞いていたが……どうやら事態は我々の想像よりも遥かに深刻らしい。あの国の誇る精鋭騎士団ですら、防衛ラインを押し上げられずに苦戦しているという情報が入っている。……おそらく、例の『黒い瘴気』とやらの発生源は、ヴァルシュタインのさらに深部にあるのだろう」
ザイードの顔に、深い憂いの影が落ちる。
「本来ならば、『自国の不始末は自分達で片付けろ』と切り捨てたいところだがな。もし万が一、ヴァルシュタインの防衛線が崩壊し、あの国が魔物の手に落ちてしまえば……」
「……!」
「そうなった場合。次に異常な大群が押し寄せるのは、地続きである我が国……ガルディア国だ。防波堤が崩れれば、我々も無事では済まん」
「……それで、我々も援軍を送ると」
「そうだ。恩を売って今後の外交を有利に進めるためにも、こちらからもある程度の戦力をヴァルシュタインへ派遣することになるだろう」
ザイードはそこで言葉を切り、鋭い視線を窓の外――暗闇に沈む北の空へと向けた。
「……いいか、アンドリュー。もし、イザヨイ殿が、ヴァルシュタインの窮状を知って加勢に向かってしまったらどうなる?」
「それは……」
「彼女の力ならば、事態を好転させるかもしれない。だが、最悪の場合……そのままヴァルシュタインの王族に気に入られ、あちらの国に住み着いてしまう可能性がある。あるいは、未知の強大な敵との乱戦の中で、命を落とすやもしれん」
ザイードが、再びアンドリューを見据えた。
「そのような損失を招く前に、我が国で彼女の身柄と安全を確保したいのだ。……私のプロポーズは、ただの好色ではない。国益と、彼女自身の安全を守るための、最も確実な布石だということを理解してくれ」
私情と国益。冷徹なまでの先見の明。
アンドリューは、第四騎士団長であるザイードの、一見軽薄に見えてその裏に隠された深慮遠謀に、ただ黙って畏敬の念を抱くことしかできなかった。
(イザヨイ殿……貴女という存在は、もはや一介の冒険者の枠を超え、国を動かすほどの嵐の中心になってしまっている……)
夜の談話室で、若き天才騎士は、これから先の波乱に満ちた未来を予感し、重く、静かなため息を漏らすのだった。




