街に帰還
『迷いの森』の奥深くから、イザヨイとポックがテアトラムの街へ帰り着く頃には、西の空がオレンジ色に染まり、長い影が石畳に落ちていた。
城門を守っていた領兵たちは、森から無事に戻った二人を見ると安堵の表情を浮かべ、「おかえりなさいませ!」と歓声を上げて道を空けた。
遠くから、彼らの無事を祈っていた兵士たちのざわめきが聞こえてくる。
「イザヨイ! 無事だったか!」
「イザヨイちゃん! 怪我はない!?」
「……よく帰った」
広場で待機していたボルグ、シエル、クローザーの三人が、弾かれたように駆け寄ってくる。
彼らはイザヨイのドレスに土汚れすらついていないのを確認し、深く、長く息を吐き出した。
「心配かけました。無事に元凶の魔物は処理してきましたよ。これで、この街の異常なスタンピードは終わるはずです」
イザヨイが笑顔で報告すると、三人だけでなく周囲の兵士たちからも「おおおっ!」と歓喜のどよめきが沸き起こった。
その騒ぎを聞きつけたのか、群衆をかき分けてアンドリューと、小さなシルフィアがやってきた。
「イザヨイ殿! ご無事で……! 森の奥は、一体どのような状況だったのですか?」
「ふんっ。まあ、アンタのことだからヘマはしないと思ってたけど……で、親玉はどんな奴だったのよ? どうせただのデカいオーガか何かだったんでしょ?」
シルフィアが杖を突きながら、ツンデレの極みのような態度で尋ねる。
イザヨイは苦笑しつつ、二人に向き直った。
「その辺りの詳しい報告は、領主代行様にもお話ししないといけないので。今から屋敷へ向かってもいいですか?」
「ええ、もちろんです。アルドリック殿も、王都の騎士団長と共に首を長くしてお待ちです。さあ、こちらへ」
アンドリューの案内に従い、イザヨイとポックは再びブレイブフォード家の広大な屋敷へと足を踏み入れた。
重厚な執務室には、アルドリック領主代行をはじめ、到着した王都騎士団の指揮官、そして数名の高位武官が集まっていた。
皆、緊張した面持ちでイザヨイの報告を待っている。
「……というわけで、森の奥で『幽世の住人』と名乗るフードの男と遭遇しました。奴が地面から黒い瘴気を発生させ、そこから魔物を無尽蔵に湧き出させていたんです」
イザヨイが淡々と事の顛末を語ると、室内にいる全員の顔から血の気が引いた。
「幽世の住人、だと……!? そのような名称、聞いたことがない!」
「魔物を無尽蔵に生み出すなど……おとぎ話の悪魔の御業ではないか!」
武官たちがざわめく中、アルドリックが震える手で額の汗を拭いながら尋ねた。
「そ、それで……その男はどうなったのですか? 貴女のその……規格外の魔法で、消し炭にしていただけたのでしょうな?」
その問いに、イザヨイは少しだけ表情を曇らせた。
「いえ……奴らは、魔法を完全に吸収・無力化する未知の紫色の『結晶』を使ってきたんです。その結晶を埋め込んだ巨大なゴーレムには、どんな強力な魔法も通じませんでした」
「ま、魔法が通じないだと!?」
「それでは……我々が誇る宮廷魔導士部隊でも歯が立たないということではないか! どうやってその化け物を退けたのだ!?」
絶望の声が上がる中、横で聞いていたポックが、犬耳をピンと立てて元気よく一歩前に出た。
「それがッスね、アルドリック様!! イザヨイ様は、魔法が効かねぇと分かるや否や、すんげぇデカい黒い剣を取り出して、あの巨大なゴーレムごと、結晶を真っ二つにカチ割っちまったんスよ!!」
ポックが身振り手振りを交えながら、興奮気味に当時の状況を説明する。
「もう、ドッカーーーン!って一撃ッス! そしたらフードの野郎、腰抜かして逃げ出しちまったんス! オイラ、目の前で見てたから間違いないッス! イザヨイ様の剣の腕、マジでハンパないッスよ!!」
ポックの臨場感あふれる(そして少し誇張の入った)解説に、アルドリックをはじめとする武官たちは、信じられないというようにポカンと口を開け、イザヨイを見つめた。
絶大な魔法の使い手であることは知っていた。
だが、それに加えて、魔法無効の巨大ゴーレムを一撃で両断するほどの物理的な怪力(剣技)まで持ち合わせているというのか。
この華奢で、どこまでも美しい少女が。
「こ、これは……なんという……。イザヨイ殿、貴女は本当に、我々の理解を遥かに超えた御方だ……」
アルドリックは椅子から立ち上がり、フラフラとイザヨイの前に進み出ると、深々と、それはもう地面に額が擦り切れるほどに頭を下げた。
「テアトラムの危機を、そして民の命を救っていただき、誠に、誠にありがとうございました!! この御恩、ブレイブフォード家は末代まで忘れませぬ!!」
武官たちも次々と立ち上がり、一斉にイザヨイに向かって敬礼の姿勢をとる。
その中には、アンドリューの尊敬と畏怖の入り混じった眼差しも含まれていた。
「あ、いや……顔を上げてください、アルドリック様。私は冒険者として依頼をこなしただけですから」
イザヨイは少し照れくさそうに笑って頭を掻いた。
(まあ、本当の目的は『アラクネのインナー職人探し』なんだけどな。これだけ恩を売っとけば、あの約束も絶対に守ってくれるだろうし、大満足だぜ)
イザヨイの打算的な思考など知る由もないアルドリックは、顔を上げると、感極まった声で宣言した。
「皆様! 未曾有の危機は去りました! 今宵は、我が屋敷にて、テアトラムを救いし大英雄イザヨイ殿と、シルフィア殿、そして勇猛なる冒険者と騎士たちのための『大祝賀パーティ』を開催いたします!!」
「えっ」
イザヨイの口から、間抜けな声が漏れた。
「おお! それは名案ですな!」
「すぐに厨房の者たちに指示を出しましょう!」
「不幸中の幸いと言うべきか、魔物の襲撃で討ち取った食用魔獣の肉は山ほど残っております! 酒も倉から出しましょうぞ!」
武官たちが色めき立ち、あっという間に祝賀会の準備が進められていく。
「あ、あのー……」
イザヨイは引き攣った笑顔を浮かべ、こっそりと後ずさった。
(いやいや、待って。俺、森の中で疲労困憊なんですけど!? 今夜は宿のベッドでゆっくり泥のように眠りたいんですけど!?)
「イザヨイ様!」
だが、そんなイザヨイのささやかな願いは、目をキラキラと輝かせた一人の少女によって無惨にも打ち砕かれた。
「まあっ! 祝賀パーティですって!? それでは、お兄様の命の恩人であり、この街の英雄であらせられるイザヨイ様を、わたくしたちが精一杯おもてなしせねばなりませんわね!」
いつの間にか応接室に現れたエレノアが、扇子をパチンと鳴らしてイザヨイの腕にガシッと抱き着いたのだ。
「え、エレノアさん……」
「さあさあ、今宵は女性同士、イザヨイ様の冒険譚や、その素晴らしいプロポーションの秘訣……それに、殿方(特にお兄様)の好みについて、夜通し語り合いましょうね!! うふふふっ!」
「ひぃぃっ……!!」
エレノアの瞳に燃える『究極のガールズトーク・恋バナ欲』の炎を見て、イザヨイの背筋に氷のような悪寒が走った。
中身おっさんにとって、本物の貴族のお嬢様との恋バナほど、正体がバレる危険性が高く、精神を削られる拷問はない。
「イザヨイ殿。貴女の功績を称えるためにも、どうか今夜は我々のおもてなしを受け取っていただけないだろうか」
アンドリューまでもが、真面目な顔で深く一礼してくる。
ここで「疲れたんで帰ります」などと空気を読まない発言をすれば、角が立つのは明白だった。
「……は、はい。喜んで、参加させていただきます……あはは」
こうして、最強の美少女魔導剣士のテアトラム防衛戦は、文字通りの『華やかな宴』という名の、最も恐ろしいソーシャル・クエスト(ガールズトークの嵐)へともつれ込むこととなった。
(ああ……頼むから、誰かおっぱいと恋愛の話題以外を振ってくれぇぇっ……!!)
心の奥底で悲鳴を上げるイザヨイをよそに、テアトラムの夜は、歓喜と酒の匂いに包まれて華やかに更けていくのだった。




