6. 門番ガレス
詰所の中は、思ったより狭かった。机が1つ、椅子が2つ、壁際の棚に木札の束と帳面が積み上がっている。窓が小さいので薄暗く、隅のランプがゆらゆらしない妙に安定した光を出していた。
……あれ、火じゃないな。なんだろ。魔道具とかこの世界にはあるのだろうか。
そこまで考えて、俺は自分の立っている場所を思い出した。狭い部屋。小さい窓。机と椅子。扉は1つ。
……取調室だ。
俺の中の10年ぶんの読書経験が、そこで一斉に最悪の展開を並べ始めた。この手の話で無一文の不審者が詰所に連れ込まれたら、まず服を脱がされて、殴られて、それから奴隷商に売られる。運がよくても鉱山送りだ。主人公はそこで奴隷仲間と出会って、脱走して、復讐する。だいたいそういう流れになっている。
衛兵は机の向こうに腰を下ろすと、椅子を顎で示した。俺は座った。座ってから、自分の膝が細かく震えているのに気づいた。人と1対1で向き合うのはひさしぶりで、しかも相手は武装した異世界の役人である。喉が砂を飲んだみたいに乾いていた。
「ガレスだ」
「え」
「名前だよ、俺の。……名乗られたら名乗り返すもんだろ、普通」
「あっ、すみません。山田です。山田直人」
名乗った。ここで俺を売り飛ばす予定の人間は、普通、名前を教えない。それだけで、俺の心拍は少し落ちた。
彼は帳面を開いて羽根ペンを走らせながら、口の中で音を確かめた。
「ヤ、マ、ダ。……妙な響きだな。さっき日本がどうとか言ってたが、聞いたことがない。西の出か」
「たぶん、もっと西です」
「もっと西は海だぞ」
「……海の、向こうです」
ペンが一瞬だけ止まった。俺は心臓が跳ねた。まずい、踏み込みすぎた。てかテンプレなら極東だろ! なんだよ西って。
だがガレスは顔を上げず、そのまま書き続けた。
「そうか」
それだけだった。追及、しないのか。俺はそのことに、自分でも間が抜けるほどほっとしていた。
「いいかヤマダ。先に言っとくが、俺はお前を捕まえたいわけじゃない」
彼はペンを置いて、椅子の背にもたれた。
「門で詰まられると列が伸びる。列が伸びると交代が遅れる。交代が遅れると家に帰ったとき飯が冷めてる。うちの嫁は冷めた飯を温め直してくれん」
「……厳しいですね」
「そういう取り決めだ。俺が遅れるのが悪い」
彼は肩をすくめ、それから思い出したように棚へ手を伸ばして、布に包んだ何かを机の上へ転がした。
「食え。さっきから腹が鳴ってる」
こぶし半分ほどの硬いパンだった。俺は受け取ったまま固まった。
……いや、待て。無一文の異世界人に、役人が飯を渡す。この構図は知っている。あとで「あのとき食わせてやったよな」と言われて、法外な見返りを要求されるやつだ。ひどい話だと、あの一切れが借用書扱いになる。
「えっ? でもお金が……」
「銅貨2枚も払えん奴から、パン代を取れるか」
彼は自分の分らしいもう一切れを口へ放り込み、噛みながら続けた。
「言っとくが親切じゃないぞ。腹が減った奴は話が遅い。俺は早く帰りたいだけだ」
……自分でも食ってる。毒でもない。しかも理由が「話が遅いから」ときた。いい人だな、この人。心の中でそう思ってから、慌てて口を閉じた。今のは危なかった。
パンは顎が疲れるくらい硬く、噛むほど塩気が出た。飲み込むと、胃のあたりが少しだけ温かくなった。
「で、金のない人間の扱いだが、2つある」
ガレスが説明したのは、要するにこういうことだった。
1つは門の内側で働く道で、荷下ろしや溝さらいのような雑用に監督をつけ、入市料ぶんだけ稼がせる。
もう1つは冒険者ギルドで仮登録し、ギルドに入市料を立て替えてもらって、最初の仕事の報酬から引く。
「正直、前のほうは面倒だ。監督をつける奴を探すのが俺の仕事になるからな」
「……つまり、後ろのを勧めてます?」
「勧めてる。俺の仕事が増えないからな」
ギルドのほうは立て替え。つまり借金である。
借金。異世界ものの鉄板だ。最初は端金のつもりが、いつのまにか利息が膨れ上がって、気づけば首輪をつけられている。あの展開は何度も読んだ。
……いや、落ち着け。銅貨2枚だぞ。
2枚で奴隷になれるなら、この国の奴隷は安すぎる。それに、この門番の性格は悪くなさそうだし、そもそもさっき「牢は金がかかる」と言った人間が、わざわざ手間のかかる借金漬けをやるとも思えない。少なくともここは、そういう作りの世界ではないのかもしれない。
俺は少し考えて、結論を出した。
「じゃあ、ギルドで仮登録します」
「わかった。その前に荷改めだ」
ガレスがペンを置いた。
「規則でな。門から入る奴は全員やる。……といっても、お前は手ぶらだろ。袋も鞄も持ってない。開けるもんがないなら、それで終わりだ。それとも何か危ないものを持っているか?」
……手ぶら。俺は、口を開けた。
「はい、何も持ってません」と言えばいい。それで終わる。実際、俺の体には何もついていない。ポケットも空だ。開けるもんがない。そのとおりである。……そのとおり、か?
俺の掌の中には、枝が1本と、石が5個ある。言わなければ、たぶん今日はこのまま通る。掌の中に亜空間を飼っていることなんて、誰にもわからない。
でも、と俺は思った。収納はレアではあっても、存在はする力のはずだ。この規模の街が、そこへ何の対策も打たずに素通りさせるだろうか。
俺は、机の上に両手を置いた。
「……荷物、あります」
「どこにある?」
「ここです。手のひらの中です。俺、収納の力があります。触ったものを、どこかに入れておける。生き物は入りません。重さと大きさに上限があります。今、入ってるのは、枝が1本と、石が5個です」
沈黙。
言ってしまってから、俺は別のテンプレを思い出して背中が冷えた。希少な力を役人の前で自己申告した男が、次の場面で「その力は国が買い上げる」と言われるやつだ。
だがガレスはにやりと笑って、それから立ち上がった。棚から持ってきたのは、こぶし2つぶんくらいの、金属の枠に石を嵌め込んだ道具だった。
「手をかざせ」
言われたとおりにすると、嵌め込まれた石がふっと薄い青に光った。心臓の鼓動くらいの間隔で、ゆっくり明滅する。
……鑑定? いや、鑑定というほど親切ではないな。反応しているだけだ。
「……これ、まずいやつですか」
「収納のスキルに反応する魔道具だ。収納スキルを持ってるのは罪じゃない。持ってて黙ってるのが罪だ。よかったな。門にはこれがあるからな。無申告で入ったら牢屋行きだったぞ」
危なかった。正直に言っておいてよかった。
「申告した以上、お前のは記録されて、それで終わりだ。……で、中身を出せ。危険物がないことだけ見る」
俺は掌を開いて、順番に出した。枝が1本。石が、1、2、3、4、5。机の上に、森で拾った石ころがきれいに並んだ。
ガレスはそれを、なんでこんなゴミを入れているんだとでも言いたそうな目で長いこと見てから、帳面に書きつけてペンを置いた。
「危険物なし。以上だ。じゃあ入場を許可する」
彼は棚から薄い木の板を1枚抜き取ると、焼き印のあたりを親指でこすって確かめ、麻ひもを穴へ通して、机の上を滑らせてよこした。
「仮入市の札だ。当日限りで、日が変わったら無効になる。首から下げとけ。入市料の2枚はギルドが立て替える。最初の報酬から引かれるからな」
俺は、それを両手で受け取った。
手のひらに収まる大きさで、200グラムもない薄い板。表面に焼き印の文字。上の穴に麻ひも。俺は反射的に、それを目の高さへ掲げてみた。テンプレなら、ここで名前と職業とレベルが浮かび上がる。
浮かばなかった。ただの板だった。
それでも、日が変わったら無効になるという以上、何かしらの仕掛けは入っているはずだ。焼き印が薄れるのか、それとも別の魔道具で読み取るのか。どういう仕組みなのかは、けっこう気になる。
「まあ、忘れて踏み倒すなよ。この街ってのは案外狭い」
俺は、その木札を握りしめた。
文字は読めない。何が書いてあるのかもわからない。
でも、これは身分証だ。この世界で初めて、俺が「誰か」であることを公的に認めてもらった物体だった。1日ぶんの、しかも借金つきの、いちばん下の下の身分。
それでも俺は、その板をけっこう真剣に見つめてしまった。37枚のエントリーシートは、1枚も俺をどこにも所属させてくれなかった。この木の板は、たった今、俺を「今日この街にいていい人間」にした。
「……おい。なんで泣きそうな顔してんだ」
「してないです」
「してるだろ。木札1枚で泣く奴も珍しいぞ」
ガレスは何か言いかけて、やめた。それから革の兜をかぶり直して、扉を開けた。
「行くぞ。ギルドまで連れてってやる」
「え、いいんですか。列は」
「交代の時間だ。それに、お前を1人で放したら、道に迷って別の門から出て、また同じことを一から繰り返す気がする」
……否定できなかった。扉をくぐる直前、ガレスが背中越しに言った。
「ヤマダ。さっきのはよかったぞ。収納の話だ」
彼は、こっちを見ずに続けた。
「隠して通ろうとする奴は毎年何人か出る。見つかれば密輸を疑われる。取り調べも荷改めも、正直に言った奴とは比べ物にならん。半日で済むところが3日になる」
俺の背中が、すっと寒くなった。やっぱり露見するのか、あれ。
「お前は自分から言った。だからすぐ終わった」
ガレスは、そこで初めて振り返った。傾いた日が門のアーチの下から差し込んで、彼の顔の半分を橙に染めていた。
「持ってないなら持ってないと言え。わからんならわからんと言え。……この街は、それで一応、回るようにできてる」
俺はうなずいた。うなずきながら、思っていた。
……そうか。俺は今日、「わからない」と「持っていない」と「助けてほしい」を、生まれて初めて、きちんと声に出したのかもしれない。
嘘のほうは、全部、心の外に出してしまったけれど。




