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就活37連敗の俺、AIに相談したら異世界へ転移した。なんか思ってた異世界と違うので帰りたいのだが。  作者: 汐見 ゆゑ


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11. ダンジョン教のセレネ

「——あの、ヤマダ・ナオトさん、ですね」


 振り返ると、女性が立っていた。


 紺色の聖職服。詰襟で、袖に細い銀の刺繍が2本入っている。焦げ茶色の髪は短くて、耳の下で切りそろえられている。年は俺と同じか、少し上くらいだろうか。紙束を抱えている。

 

 目の下にうっすら隈があるのに、目そのものはやたらと明るい。袖口と指先には、紙の粉と乾いたインクの染み。


「……はい。山田ですが、えっと、なんでしょう」


 ……聖職者だ。この手の話で、教会はだいたい碌なことをしない。異端審問、寄付の要求。俺の背筋が、勝手に伸びた。


「あの、失礼します。座ってもよろしいですか」


「あ、はい、どうぞ」


 彼女は向かいの椅子を引き、腰を下ろしながら紙束を机の上に置き、俺を見て、にっこりする。


「私はセレネといいます。『迷宮恩寵教会』リュネ聖堂の、文書係です。迷宮恩寵教会というのは長ったらしいので『ダンジョン教』と皆さんは呼んでます。私も正式な場以外ではそう呼んでます」


「あ、あの、ダンジョン教ってなんですか?」


「うちの教えです」


 セレネは、そこで少し姿勢を正した。


「ダンジョンは、街の北にあります。地面に開いた穴で、下へ下へ潜っていく形です。中は層に分かれていて、深いところほど危ないです」


 どうやらこの世界にはダンジョンがあるらしい。


「ダンジョンでは魔石や薬草、鉱石、魔物の素材が採れますので、冒険者の方が潜って持って帰ってきます。この街の商いは、かなりの部分がそれで回っています。それで、うちの教えです。ダンジョンは、神々が人に与えた恵みであり、同時に試練である。——これだけです」


 彼女は、誇らしくうなずいた。とりあえずダンジョンのことを称える宗教団体ってことなんだろうか。


「それで、ダンジョン教の人が、いったいなんのようで」


「うちは、治療、救助、教育、葬送、それから遺物の記録を受け持っています。このうち教育——出身不明の方への読み書き支援が、いまの私の担当です。ヤマダさんはギルドで読み書き不可と登録されました。そういう方には、こちらから声をかけて、無料で文字をお教えする決まりです」


「……無料」


 俺は、そこで身構えた。ここだ。ここで寄付を要求されるか、「実は困っている子がいて」と厄介事が始まるか。


「見返りは、なんですか」


「ありません」


 彼女は、質問の意図を測りかねたような顔をした。


「……いえ、正確には、教会側に利益はあります。読み書きができない方は、契約で損をします。損をした人が増えると、街が荒れます。荒れると、うちの施療院が混みます。うちの施療院は、いつも混んでいます。本当に、いつもなんです」


 最後のほうは、ほとんど愚痴だった。


「私たちは、混んでいる施療院を減らしたいんです。そのために、文字を教えています」


 ……ああ。


 俺は、その言い方を聞いて、肩から力が抜けるのを感じた。この街の人は、みんなそうだ。門番も、受付も、倉庫番も、古着屋も、誰も「あなたのためです」とは言わない。かわりに、自分の面倒が減る理由を並べる。その並べ方が、俺にはいちばん信用できた。


 ……なんだ、いい人じゃないか。



「では、さっそくですが」


「あの」


 俺は、そこで彼女の言葉を遮っていた。自分でも、なんで遮ったのかわからなかった。


「……俺、たぶん、覚えられないです。勉強、できないんですよ、昔から。単語も結局最後まで覚えられませんでした。前の日に詰め込んで、次の日には全部抜けてる。ノートは取るんです。取るだけです。せっかく教えてもらっても無駄になるかもしれないんで、その、先に言っておいたほうがいいかと」


 ……何を言ってるんだ、俺は。


 これは要するに予防線だ。面接のたびに「至らない点も多いかと思いますが」と言い続けた。謙虚さではなく、逃げ道だった。


 笑われるか、励まされるか、どちらかだと思った。彼女がやったのは、どっちでもなかった。ペンを置いて、丸テーブルに肘をつき、俺と同じ高さまで顔を下げたのだ。


「ヤマダさん。私も、初めてなんです」


「……はい?」


「字をお教えするのが、です。教わり方も教え方も習いました。ですが、実際に人へ教えるのはヤマダさんが最初です。ですので、私も、たぶん失敗します」


 彼女は、そこで声を出して笑った。


「ですので、条件は同じです。うまくいかなかったら、そのときは2人で困りましょう。……いま、教える側が言ってはいけないことを言った気がします。でも、取り消しません。嘘を言うよりましです」


 教えるほうが「私も失敗します」と言うのは、あまり良い教え方ではないと思う。だが俺は、この言い方のほうが、はるかに息がしやすかった。


「それに、『覚えられないかもしれない』と先に言える方は、私の見たかぎり、だいたい続きます。続かない方は、そもそも心配しませんので」


 彼女は、そう言って、また笑った。


「では、課題を出します。昨日と今日、ヤマダさんができたことを、事実だけで3つ挙げてください。『頑張った』『駄目だった』は事実ではありません。何をしたか、いくつやったか、相手がどう言ったか。それだけです」


「なんで、そんなことを」


「事実と、解釈を、分けるためです。たとえば『今日は何もできなかった』。これは事実ではありません。解釈です。ヤマダさんがその日を見て、そう解釈した、というだけの話です」


「……でも、そう思ったならそうなんじゃないですか?」


「思ったことは本当です。ですが、思ったことと、起きたことは別のものです」


 彼女は、まっすぐこっちを見た。


「解釈は、どうとでもなります。同じ1日でも、機嫌のいい日は『よくやった』になりますし、悪い日は『何もできなかった』になります。同じ日なのに、です。でも、その日に起きたことは、どちらの日も同じです。動きません。ですから、まずそれを書き出します。解釈は、そのあとです」


 ……動かない。


「記録を扱う人間として申し上げますと、解釈で事実を上から塗るのは、改竄です」


 ……改竄。


 俺は、その単語に、殴られたような感じがした。


「そんな大げさな」


「大げさではありません。ご自分を低く見るのは、ヤマダさんの自由です。ですが、それを事実として口に出すなら、私は訂正します。そういう係ですので」



「では、さっそく練習しましょう。昨日と今日、何をなさいましたか」


「……え、いま、ですか」


「いまです。私は、ヤマダさんが何をしたか知りませんので」


 彼女はペンを構えて、待った。俺は、口を開いて、閉じた。


 ……何をした? 何もしてない。そう言いかけて、いまの話を思い出して、飲み込んだ。事実。事実だけ。


「……昨日、西の森から歩いて、この街に着きました。門で、無一文なことを自分から言いました」


「はい」


 彼女は、書いた。


「それから、ギルドで依頼を受けて、薬瓶を運びました。……1本、割りました。割ったのは、自分から言いに行きました」


「はい」


 書く音がする。俺はそこで少し詰まって、それから続けた。


「今日は、溝に降りて、泥を掻きました。あと、服を売って、着替えを買いました。……以上です」


 セレネはペンを止めて、紙を持ち上げた。


「ヤマダさん。さっき、ご自分のことを『勉強ができない』とおっしゃいましたね」


「……言いました」


「では、これのどこが、できない人の2日間ですか。出来ることが増えてると感じませんか?」


 俺は、答えられなかった。答えられないというより、答えたくなかった。答えてしまうと、いま喉のあたりまで上がってきているものが、たぶん、外に出る。


 セレネは、紙を置いた。


「それと、私が良いと思ったのは数ではありません。門で自分から言った。割ったことを自分から言いに行った。……この2つは、どちらも黙っていれば楽ができたところです」


 彼女は、顔を上げた。


「黙らなかった方を、私は信用します。教わってできることではありませんので」


「では、明日の分は、ご自分で書いてきてください」


「……あの。俺、字、書けないです」


「あ」


 セレネの動きが、完全に止まった。彼女はしばらく固まってから、両手で顔を覆った。


「……私、いま、読み書き支援の話をしていたのに。では、今日の宿題はこうしましょう」


 セレネは紙を手元に引き戻して、ペンを走らせた。書きながら、口に出す。


「これが、ヤマダさんのお名前です。ヤマダ・ナオト」


 紙の上に、線が並んだ。


「明日、これを見ながら同じ形を書いてみてください。紙がなければ地面で構いません。書けたら、その日にできたことを3つ、私に言ってください。ご自分で書けるようになるまでは、私が代わりに書きます。そのための係ですので」


 彼女は立ち上がって服の埃を払い、それから紙束を抱え直すのに、しばらくかかった。


「私は、たいてい聖堂の3階にいます。場所はそのへんの人に聞いたら教えてくれます。文書室です。夜も、だいたいいますので。もしギルドの依頼の余裕ができたときでいいので遊びに来てくださいね。私が字を教えますので」


 彼女はそう言って、また笑い、明るく出ていった。





 その夜、リュネ聖堂の3階。文書室、棚は天井まで届き、そのすべてに封蝋つきの帳簿が並んでいる。油灯は1つだけ。


「では、報告を」


 机の向こうで、細身の老人が言った。銀白色の髪。長い耳の先が、灯りの縁でわずかに動く。


 セレネは、帳面を開いた。開いてから、一度、指で紙の端を撫でた。癖である。


「西門から入った出身不明者。名はヤマダ・ナオト。読み書き不可。収納の術を保有し、門で自己申告済み」


「うむ」


「本日で在籍2日。依頼完了2件。苦情なし。ギルド側の心証は、良好と見ていいと思います。所見を2つ、申し上げます」


「うむ」


「1つ。ダンジョンについて、基礎的な知識が皆無でした。鐘のことも、白鐘迷宮のことも、うちの教義も、初めて聞く顔をしていました。演技ではないと思います。2つ目は、知識が皆無である割に、教育を受けた形跡があります」


「ふむ、その特徴はまれびとの可能性が高いな。少なくとも、今はそう扱うのが妥当だろう」


 彼は、羽根ペンを取り、次の行に短く書き入れた。


「しばらくの間、彼に接触し、識字、就労状況、人間関係等の状況を書いて出しなさい。何か新しい情報があったら報告すること」


「わかりました」

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