第2話「入学式――来るはずのない人」
大学の入学式当日。
スーツ姿の新入生たちで、キャンパスは賑わっていた。
「今日から大学生か……」
少しだけ実感が湧かないまま、俺は式場へと向かう。
周りでは親と一緒に来ている人も多い。
写真を撮ったり、笑い合ったり。
そんな光景を横目に見ながら、俺はポケットの中のスマホを握りしめていた。
――あの手紙。
『入学式、もしよかったら来てほしいです』
今思えば、かなり無茶なお願いだ。
相手は人気声優。
スケジュールだって埋まっているはずだし、そもそも来る理由もない。
(……来るわけないよな)
分かっている。
分かっているのに。
どうしても、期待してしまう自分がいた。
式が始まる。
学長の話。
来賓の挨拶。
正直、ほとんど頭に入ってこなかった。
何度も何度も、後ろの席や入口の方を気にしてしまう。
(いないよな……やっぱり)
そんなことを繰り返しているうちに、式はあっという間に終わった。
外に出ると、春の風が心地よかった。
桜が、ゆっくりと舞っている。
「……帰るか」
そう呟いて、歩き出そうとしたその時。
「……潤一郎くん」
聞き慣れた声。
でも、ここで聞くはずのない声。
ゆっくりと振り返る。
そこにいたのは――
「……みのりさん?」
一瞬、現実が理解できなかった。
シンプルな服装に帽子とマスク。
それでも分かる。
間違いなく、彼女だった。
「来ちゃった」
少しだけ照れたように笑う。
心臓が一気に跳ね上がる。
「な、なんで……」
「手紙、嬉しかったから」
それだけで、十分すぎた。
「でもここだと目立つね」
周りには人が多い。
もし気づかれたら――
「少し移動しよっか」
彼女の一言で、俺たちはその場を離れた。
少し歩いて、人気の少ない通りへ。
さらに奥へ進み、小さな漫画喫茶に入る。
個室に入って、扉が閉まる。
――二人きり。
急に現実感が押し寄せてくる。
「……本当に来てくれたんですね」
「うん。ずっと言ってくれてたでしょ?」
あの言葉。
「“結婚したいくらい好きです”って」
恥ずかしさで顔が熱くなる。
でも、逃げたくなかった。
「……本気です」
自然と、言葉が出た。
「ずっと、冗談じゃなかったです」
みのりは、じっとこちらを見ている。
その視線に、覚悟が決まった。
一歩、近づく。
心臓の音がうるさい。
それでも、止まらなかった。
「今日、ちゃんと言います」
息を吸う。
逃げ場はない。
「――結婚してください」
沈黙。
時間が止まったように感じる。
(やばい……言っちゃった……)
頭の中が真っ白になる。
けれど。
みのりは、驚いた様子もなく。
ゆっくりと息を吐いて。
「……いいよ」
その一言を、口にした。
「え……?」
思わず聞き返してしまう。
「だから、いいよ」
少しだけ笑って、続ける。
「結婚しよっか」
理解が追いつかない。
現実なのかどうかも分からない。
「……本気、ですか?」
「潤一郎くんこそ、本気なんでしょ?」
その言葉に、強く頷く。
「……はい」
迷いはなかった。
すると彼女は、ほんの少しだけ優しく微笑んで。
「じゃあ、決まりだね」
あまりにもあっさりと。
でも確かに。
――俺たちは、結婚した。
交際0日。
付き合うという過程すらなく。
ただ、想いだけで繋がった関係。
個室の中、静かな空気。
でもその空気は、さっきまでとはまったく違っていた。
「……これから、どうする?」
そう聞かれて、言葉に詰まる。
確かに、何も決めていない。
結婚した後のことなんて。
すると、みのりは少し考えてから言った。
「とりあえず……」
そして、さらっと。
「一緒に住む?」
またしても、理解が追いつかない。
「え?」
「夫婦なんだし、その方が自然でしょ?」
確かにそうだ。
そうだけど。
「……いいんですか?」
「うん。むしろその方が安心」
その言葉に、胸が熱くなる。
こうして。
入学式の日。
俺の人生は、もう一度大きく変わった。
――推しと結婚した。
しかも、その日から同居することになった。
現実味なんて、どこにもない。
でも。
確かにこれは、現実だった。
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