第19話 花は誰のものでもない
宰相の失脚から二日後、再び王宮から呼び出しがかかった。
「また謁見か。今度は何を企んでいる」
「ルシアン様、まだ何も言われていませんよ」
「王宮に呼ばれてろくなことがあった試しがない」
不機嫌なルシアンを宥めながら、アネットは謁見の間に向かった。
今回の謁見の間には、前回の緊張感がなかった。居並ぶ大臣の数も少なく、王の表情にも剣呑さがない。むしろ——どこか気まずそうにすら見える。
「ラヴロック公爵、アネット嬢。呼び立ててすまなかった」
王が先に謝罪した。ルシアンが微かに目を見開く。
「宰相の件は遺憾だった。北方の民を苦しめる計画を看過していたのは、余の不徳だ」
「……陛下がご存知なかったとは思えませんが」
「ルシアン様」
アネットがたしなめる。ルシアンは口を閉じたが、視線は鋭いままだ。
「公爵の言う通りだ。余は宰相の暗躍を薄々知りながら、北方復興の成果を期待して黙認していた。——恥ずべきことだ」
王は玉座を降り、アネットの前に立った。
「アネット・レイヴンクロフト。そなたが北方で見せた力と献身は、報告で聞いている。井戸を蘇らせ、畑を育て、民の希望となった。——それは命令でできることではない」
「陛下……」
「そなたの力は、そなた自身のものだ。王家のものでも、宰相のものでもない。それを余は忘れていた」
王はアネットに向かって、浅く——しかし確かに頭を下げた。
居合わせた大臣たちが息を呑んだ。王が一介の令嬢に頭を下げるなど、前代未聞のことだ。
「改めて、依頼させてほしい。命令ではなく、依頼だ。北方領土の復興に、そなたの力を貸してほしい。条件はすべてそなたたちに委ねる」
アネットはルシアンを見た。ルシアンは腕を組んだまま考え込んでいたが、やがて口を開いた。
「条件がある」
「申してみよ」
「第一に、北方復興事業の管轄は王室直轄とし、実務の責任者はアネットとする。余計な官僚の介入は認めない」
「よかろう」
「第二に、復興された土地の帰属は、元の住民に優先的に返還する。利権目当ての貴族には一切渡さない」
「これもよかろう」
「第三に——」
ルシアンはわずかに間を置いた。
「アネットの活動は完全な自由意志に基づくものとし、いかなる場合も強制はしない。体調が優れなければ休む。帰りたくなれば帰る。その権利を、王の名において保証していただきたい」
アネットはルシアンの横顔を見つめた。この人は最後まで、自分を守ることを最優先にしている。
「……そなたは、よほどこの娘を大切にしているのだな」
「当然です。婚約者ですから」
「それだけか?」
王が意味深に笑う。
「……それだけです」
ルシアンの耳が赤い。王は声を上げて笑った。
「よかろう、すべて認める。王の名にかけて保証しよう。——それと、もうひとつ」
王は大臣に目配せした。大臣が恭しく巻物を差し出す。
「レイヴンクロフト家の件だが。現侯爵の病による領地経営の停滞については、王室から支援金を出す。北方復興に貢献するレイヴンクロフト家の令嬢に、せめてもの恩返しだ」
アネットは息を呑んだ。
「父の——レイヴンクロフト家に?」
「そなたの父君の病状についても、王室医を派遣する。名医が揃っている」
「……っ」
アネットの目に涙が滲んだ。父のことは、ずっと気がかりだった。公爵邸での生活に追われ、北方のことで手一杯で、何もできていなかった。
「ありがとう、ございます……」
「礼は不要だ。遅すぎた支援を、今さら恩に着せるつもりはない」
謁見の間を辞した後、アネットはこらえきれず涙を流した。
「お父様が——お父様が、助かるかもしれない……」
「ああ。よかったな」
ルシアンはいつものように素っ気なく言ったが、その手はそっとアネットの背中に添えられていた。
「ルシアン様。全部——全部、ルシアン様のおかげです」
「違う。お前が自分で勝ち取ったものだ。俺は隣にいただけだ」
「隣にいてくれたから、頑張れたんです」
「……そうか」
ルシアンは短く答えて、視線を逸らした。
だが、背中に添えた手だけは——離さなかった。
王宮の回廊に、夕日が差し込んでいた。
長い影が二つ、寄り添うように伸びている。
嵐は去った。
今度こそ、本当の意味で——新しい日々が始まる。




