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「お前の代わりなどいくらでもいる」と捨てられましたが、冷徹公爵がなぜか私を離してくれません    作者: 月代
第四章 花は誰のものでもない

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第20話 白薔薇の誓い


 季節は巡り、秋が来た。


 北方復興事業は順調に進んでいた。アネットは月に一度の頻度で北方を訪れ、力を使って緑の範囲を広げている。無理をしない——ルシアンとの約束を守りながら。

 井戸は三つが復活し、畑には作物が実り、エルンストの廃墟には少しずつ人が戻り始めていた。


 ハインツは相変わらず元気で、アネットが訪れるたびに「嬢ちゃん、旦那と式はまだかい」とからかってくる。


 そして——ラヴロック公爵邸の庭は、今が一年で最も美しい時期を迎えていた。


 白薔薇のアーチは満開。薬草園は瑞々しい緑に溢れ、月光花は夜ごとに静かな光を灯している。噴水の水面には紅葉した葉が浮かび、スズランの小さな花壇はアネットの力に守られて、秋にもなお瑞々しい緑を保っていた。


 そんな秋の日に、結婚式は行われた。


 大掛かりな式ではない。王都の大聖堂ではなく、公爵邸の庭で。参列者は使用人たちと、ごく親しい人々だけ。


「旦那様、ご準備はよろしいですか」


「……ああ」


 ルシアンは白い礼服に身を包んでいた。漆黒の髪に白い衣装が映え、銀灰色の瞳が秋の光を受けて輝いている。


「お似合いでございます」


「……世辞はいい」


「世辞ではございません。奥様がご覧になったら、きっと涙を流されたでしょう」


 クラウスの言葉に、ルシアンは一瞬目を伏せた。


「……母さんは、泣き虫だったからな」


 白薔薇のアーチの下で、ルシアンは花嫁を待った。


 秋風が花びらを舞い上げる中、アネットが姿を現した。


 純白のウェディングドレス。控えめだが上品なデザインで、胸元には緑の刺繍が施されている。ルシアンが贈った翠玉石のネックレスが、鎖骨の上でかすかに揺れていた。

 栗色の髪は緩やかに結い上げられ、母の形見の髪飾りが光を受けて輝いている。


 ルシアンは——息を、忘れた。


「ルシアン様、口が開いています」


 ルーシーの小声が聞こえたが、ルシアンの耳には入っていなかった。


 アネットが一歩ずつ近づいてくる。

 その顔には、雨の日に出会った頃の影はもうない。ただ穏やかな笑みと、まっすぐな瞳。


「……遅い」


 ルシアンが絞り出した第一声がそれだった。


「すみません。ルーシーがヘアセットに時間をかけすぎて」


「私のせいですか!?」


 参列者から笑いが漏れた。


 神官が祝詞を読み上げる間、二人は向き合っていた。アーチの白薔薇が、風に揺れるたびに花びらを散らす。


「ルシアン・ラヴロック。あなたはアネット・レイヴンクロフトを妻として迎え、生涯を共にすることを誓いますか」


「誓う」


 迷いのない即答。


「アネット・レイヴンクロフト。あなたはルシアン・ラヴロックを夫として迎え、生涯を共にすることを誓いますか」


「誓います」


 指輪の交換。ルシアンの大きな手が、アネットの薬指に新しい指輪——婚姻の指輪を通す。プロポーズの翠玉石の隣に、銀の細いリングが並んだ。


「……二つも指輪をもらってしまいました」


「足りないなら、もっと用意する」


「足りてます。十分すぎるくらい」


 神官が宣言する。


「ここに、二人の婚姻が成立したことを宣言します」


 拍手が庭に響いた。ルーシーは号泣し、クラウスは目頭を押さえている。


「ルシアン」


 アネットが呼んだ。結婚式の今日から、もう「様」はつけない。


「なんだ」


「幸せです」


「……俺もだ」


 短い言葉。でも、ルシアンの銀灰色の瞳が——柔らかく、温かく、溶けていた。

 十年間凍りついていた氷が、ようやく完全に溶け切った瞬間だった。


 ルシアンの手がアネットの頬に触れた。額をそっと合わせる。


「ずっと——」


「はい」


「ずっと、傍にいろ」


「はい。ずっと」


 白薔薇のアーチの下で交わした誓いは、どんな契約書よりも確かだった。


 披露宴は庭で行われた。テーブルにはアネットが育てた薬草のハーブティーと、庭の果実で作ったケーキが並ぶ。


 驚いたことに、ヴィクトリアも姿を見せた。


「おめでとう。——まったく、荒野で泥だらけになっていた二人が、こんなに綺麗になるなんてね」


「ヴィクトリア様も素敵なドレスです」


「ヴィクトリアでいいと言ったでしょう。もう友人なんだから」


 ヴィクトリアは照れくさそうに髪を払った。宰相の失脚後、ヴァルトシュタイン家は爵位を返上したが、ヴィクトリア自身は北方復興の顧問として新たな道を歩み始めている。


 北方の集落からは、ハインツが代表として参列していた。


「嬢ちゃん——いや、公爵夫人様。おめでとうさん」


「ハインツさん。嬢ちゃんのままでいいですよ」


「はは、そうかい。じゃあ嬢ちゃん。集落のみんなからだ」


 ハインツが差し出したのは、小さな花束だった。北方の荒野に、アネットの力で初めて咲いた野花。青い小さな花が、可憐に揺れている。


「北方で最初に咲いた花だ。あんたが蘇らせてくれた」


 アネットの目に涙が浮かんだ。どんな宝石よりも美しい花束。


「ありがとう、ございます……」


「泣くな。今日は笑う日だろ」


「泣いてません」


「泣いている」


 横からルシアンとハインツの声が同時に聞こえて、アネットは涙と笑いが混ざった顔になった。


 宴もたけなわの頃、アネットは一人で庭の奥に足を運んだ。

 月光花のもとへ。


 百年に一度の奇跡の花は、変わらず静かに輝いている。


「お母様」


 ルシアンの母に語りかけるように、アネットは月光花に触れた。


「お庭、ずっと守りますね。ルシアンのことも——ずっと、大切にします」


 月光花が、いつもより少しだけ明るく輝いた気がした。


「ここにいたか」


 ルシアンが来た。


「すみません。少しだけ、お母様にご挨拶を」


「……聞こえていたぞ。全部」


「えっ」


 アネットの顔が真っ赤に染まった。ルシアンは珍しく、明確に笑った。


「大切にする、か。——こちらこそ、だ」


 月明かりの庭で、二人は手を繋いだ。


 捨てられた令嬢と、氷の公爵。

 雨の日に始まった物語は、白薔薇の季節に新しい章を開いた。


 北方にはまだ広大な荒野が広がっている。

 レイヴンクロフト家の再興も、これから。

 緑命の力の秘密も、まだすべては明かされていない。


 だけど——二人でなら。


「帰ろう、ルシアン。——私たちの家に」


「ああ、帰ろう」


 花咲く庭で、月光花が祝福の光を灯していた。


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