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「...その顔をあまりこちらに向けるな」
ゲインはフィリアの顔を見る度頭を横に振って目を逸らす。
「あの...」
状況を理解していないフィリアは、何故目の前の先輩が自分に対し臨戦態勢なのかよく分からなかった。
「フィリア!あのセンパイ、お前と組手したいんだと!俺の仇取ってくれよ!ハハ!」
「組手?...あ!そういう事か!分かった!頑張るね!」
「そう言えば、フィリアが喧嘩してるとこなんか見た事ねえな」
ルーフが思い出したように呟いた。
フィリアは学期初めの体力テストで学年三位を叩き出し、日夜男子寮内で行われている腕相撲デスマッチでも無敗の、華奢な見た目に反する筋肉量を誇る猛者だ。
だが流石に二個上の、それも生徒会役員の上級生相手に純粋な体術勝負で叶うのだろうか。
ーーーそんな心配は、余りにも杞憂だった。
「...ッ!!貴様も余所見をするか!!」
初めの後、フィリアがガルに状況説明をして貰っている最中、後ろを向いたままのフィリアに奇襲を仕掛けるゲイン。
完璧な奇襲だった。殺意とも呼べる程の一撃。足音で察知されないよう、高く跳躍して視界外から、全体重を掛けた拳がフィリアの頬に向かって致命的な一打した。
べキャッと鈍い音が辺りに響く。
「お、おいおい、なんだ今の音!?完全に骨逝ってるぜ...!?」
「そんな、フィリア君の大事なお顔がぁ...!?」
「...担架を用意しろ!!」
「ぎゃあぁぁあッッ!!?」
どちらの声と言われても納得出来ないほどの悲鳴が校庭内に響き渡った。
「フィリア!?」
ルーフが列や人混みをかき分けて中に入ると、そこで倒れ、転げ回っていたのは殴りかかったゲインの方だった。
「...は?」
その拳を見ると、見るも無惨に砕け、手の甲の骨か手首の骨か判別出来ないどこかの骨が飛び出していた。
「いだいっ、いだっ、うぐぎぃ...っ!!」
その場を見た全員が騒然とする中、生徒会が念の為と借りておいた担架でぐちゃぐちゃになった右拳を抱えながらゲインが運ばれて行った。
「何があった!?」
騒ぎを聞き付けた医務室の先生がやって来た。その場にいた生徒から軽い説明を受け、フィリアに強い口調で何をしたのか尋問する。
「え、あ...ぼ、僕は何も...」
動揺したフィリアは上手く受け答えが出来なかった。
「あんな手の砕け方、普通に殴ってああなる訳ない!その一年が武器を隠し持ってたんじゃないのか!?」
ゲインを応援していた三年生が言った。
「そ、そんな事して無いです!!」
この模擬戦中、武器、防具の使用は危険排除の為禁止されていた。
「じゃあ何故ああなったのか説明しなさい!」
「だから僕はなにも...!」
「まだ言うかっ!!」
半泣きになりながらも必死に弁明するフィリアだが、強い口調で怒鳴られるのに慣れていないのもあってか焦ってしまい上手く問答が出来ない。
「...センセー!俺見てたっすよ!センパイが後ろからフィリアの顔ぶん殴って、センパイの拳が負けたんす!」
フィリアの頭にぽんと手を置き、自分の臀に着いた砂を手で払いながらガルがそれに口を挟んだ。
「...それは本当なのか?ヘルトルーディス?ハァ...すまん、俺も状況が状況だけに驚いて焦ってしまった。一回深呼吸しなさい。落ち着いてからでいいから」
教師がフィリアの顔を見ると、吃逆の様な唾の飲み込み方で、必死で目尻から涙を零さないようにしている様子だった。
その様子は親に叱られた、幼い子供の姿そのものだった。とてもじゃないが、この学園に入学できるような年齢には見えなかった。
パッと見、フィリアやその周囲に武器や防具になりそうなものは落ちていない。
「んぐっ...はいっ、すびまぜんっ...!」
「一旦今日は終了ー!どうなるか分からないが、次回は今日並んでいた順番から始めるから、そのつもりでー!!」
生徒会長であるロイスが野次馬を散らすべく解散を伝えた。
「...顔を殴った側の拳が、粉砕ねぇ...」
落ち着いたフィリアから教師が再び話を聞くと、ガルの言う通り自分は防御も殴り返しもせずただ不意打ちを食らっただけだという。
担架で運ばれていくゲインを見たのは一瞬だったが、それでもギョッとする程の惨状だった。
あれは確実に後遺症が残るだろう。
現場を見回しても、模擬戦中に使えそうな石や鉄製の何かなどは特に見当たらなかった。
フィリアの付けているピアスは硬い素材で出来ているが、到底あの怪我を引き起こす原因にはなり得ないだろう。
状況から鑑みるにやはりガルとフィリアが言っていることに嘘は無さそうだが、如何せんこの少女とも見紛う華奢な少年が、防御せずに相手の拳を打ち壊す程の強靭な肉体を持っているとは、長年の経験からなる固定概念がそれを認めない。
「...痛むか?」
フィリアの頬を摘むが、痛みは一切無いようだった。内出血どころか赤みすらない。鍛えられた人間に殴られた痕がない。
「本当にここを殴られたんだよな...?」
さらさらとした、きめ細かい人形のような肌。
骨太にも見えず、女性の肌のように柔らかい。
「はい」
ついつい触り心地が良くて何度も触るが、その度ゲインの拳に耐えられるようなものには思えなかった。
しかし、異常性が1つ見つかった。頬に触れる内何度か抓っても、フィリアは痛がるどころか殆ど抵抗する素振りも見せなかった。
「...痛くないのか?痩せ我慢ならもうやめろよ?」
頬がぐいーんと延びても、逃げようともしない。
「はひ!いあうないれす」
まるで麻酔でもかけられている様だ。
徐々に強く、人の肌にはちぎれてしまいそうな程にまで抓る力を強めても顔色一つ変えない。
心はあんなにもか弱い子供なのに。
肉体との差に、どこか異質なものを感じた。
「ん?」
8割程の強さまで来ると、指先で触れているフィリアの肌の感触が変わってきている事に気が付いた。
先程までのプニプニとした感触から、何か別の、硬い材質の物に触れているようだった。
「センセー?フィリアの顔が凄いことになってるよ」
気が付くとフィリアの頬がまるで餅のように伸びていた。
「す、すまん!」
ビタンと音を立てて元の顔に戻り、スリスリと自分の手で撫でるフィリア。
「いえ、問題無いです!」
あんなに長い時間、かなりの力で抓っていたのにも拘わらず、やはり頬は赤みすら帯びていなかった。
「ふむ...よく分からんが、試合でアドレナリンが出て痛覚が麻痺しているだけかも知れん。お前も後で医務室へ来るようにな。俺は先にゲインを診てくるから。」
「分かりました!」
ビシッと敬礼するフィリア。先生は医務室に戻って行った。
「君!僕も見ていたよ!君は不正などしていない!ただ殴られただけだ。ゲインの拳の鍛錬が足りなかっただけ。だけど...これから少し、面倒臭くなるかも知れないから、肝に銘じておくと良いよ!」
突然耳元から大きな声が聴こえ、驚くフィリアとガル。後ろに居たのは生徒会長、ロイスだった。
「え?肝に銘じておくって、どういう...?」
後ろを振り返るも、既にロイスは遠く離れた校舎内へ入ろうとしていた。
「...生徒会役員は大体お貴族なんだ、生徒会長もだが、お前らがやり合ってたゲインも貴族の倅。奉納祭目前で、訓練中ですらないお遊びで大怪我があったんじゃ、面倒臭くはなるだろうな。」
少し遠目で事の一部始終を見物していたルーフが話しかけて来た。
「ハァ?なんじゃそりゃ!俺はともかく、フィリアに喧嘩売って自滅してったのはアイツの方だぜ?」
「知らねーよ、まあお前は負けたから心配要らねーだろ」
「は!?負けてねーし!フィリアに邪魔されただけだし!!」
「言い訳かよダッセーな、バカは10000回腹筋でもしとけ」
「なんだとコラ、今から模擬戦サドンデス始めるかコラ!!」
「上等だよバカ、ゲインの次に医務室行くのはお前だよ」
わーぎゃー飛び交いながら、誰もいなくなった校庭で喧嘩を始める二人。
「...アホ二人は置いて、先戻ろっかフィリア君?医務室にも行かなきゃならないんでしょ?」
女子達に囲まれたフィリアは断ることも出来ず、共に校舎へ向かう。
「先生にほっぺむにられてたでしょ!私にもやらせて〜」
「うちにも触らせろ!!」
「は!?たまご肌過ぎだろ!!」
「ヒンヤリふわもちー...抱き枕にしたーい」
「ちょっと!ほっぺ同士はやり過ぎでしょ!?」
「ち、ちょっと...!!って、そう言えば、特別訓練!忘れてた!!」
思い出し、何とか女子達の群れから抜け出した時、丁度自分を探していたヘンセル教官に見つかってしまった。
「ヘルトルーディス...遂に私の訓練から逃げ出したかと思えば、女に現を抜かしていたとはな...?青春は結構、だがしかし私の訓練をサボる程それは重要なのか...?なあ...聞かせてくれ」
「ひっ!!き、教官!!こ、これは違うんです!!これには深いワケが!!」
「ほーう...?話はあっちで聞かせてもらおうか...」
そういってヘンセル教官は、親指で特別訓練用の特殊格技室を指した。
「今日は遅れた分、私と二人でみっっっちり鍛錬しようなぁ...?」
「は、ハイ...」
ヘンセル教官は美人だ。「淑女モード」と「教官モード」が存在する彼女。今はその、暴れ狂う内なる「教官モード」を抑えて、淑女を取り繕っているだけ。
笑顔でも、浮き出る血管と笑っていない目の奥がフィリアを恐怖させるには十分だった。
「なんか、ハレンチな雰囲気...?」
「生徒と教師、禁断の恋!的な?」
後ろからバレないように女子集団が小声で言うと、ヘンセルの地獄耳がそれを許さなかった。
「お前らもォ!!...不純異性交友は、学則違反だからな?いくらヘルトルーディスが抵抗しないからと言ってオイタは過ぎるんじゃないぞ!?」
「ひぇっ!!す、すみませ〜ん...」
「でも、フィリア君が抵抗しないって、やっぱりそういうコトなの...?!」
「なっ!?ち、違うわァ!!」
女子集団を払うヘンセル教官の顔は、恥じらいで赤く染っていた。




