第7話 社畜、もふもふに懐かれる
洞窟の奥へと進んでいくと、たいまつの光が何かを照らし出した。そこには、枯れ木を縄で組み合わせただけの粗末な檻があった。膝の高さほどで、中では白い塊が丸くなっている。
「……動いた?」
近づくと、それは小さな子狐だった。痩せ細った身体を小さく丸め、尻尾を体に巻きつけるようにして、こちらを怯えた瞳で見つめている。
「こんなところに、なんで……生きてるのか?」
鍵はなかった。細い枝をほどいて、そっと扉を開ける。
「怖くない。……外に出よう」
手を差し出すと、次の瞬間、鋭い痛みが走った。
「いって……!」
子狐が、俺の指先を噛んでいた。小さな歯。弱い力。でも震えていた。
「……ごめん、怖かったよな。大丈夫、もう大丈夫だから」
声をかけながら、手を引かず、静かにその目を見つめ続ける。
やがて、噛む力が緩んだ。代わりに、ぺろりと舌が傷口をなめる。
「……」
ほんのりと温かい。優しく、痛みをなだめるような感触。
そして、気づいた。
「……尻尾、二本?」
たいまつの明かりに揺らめいた影が、子狐の背から伸びる尻尾を、確かに二つ、映し出していた。
「珍しいですな。妖狐の赤子……にございましょうか」
兵衛が目を細め、低く呟いた。
「妖狐……」
かすかな息遣い。金色の瞳が、たいまつの火を映し、俺の顔をじっと見ている。
「大丈夫。……怖くないよ」
もう一度、そっとそう言うと、子狐は小さく鼻を鳴らし、ようやく牙を外した。
洞窟の出口から外の光が差し込む。その眩しさに目を細めながら、俺は子狐を腕に抱えて外へと出た。
ようやく深呼吸ができる。夕暮れの空気が、身体の奥まで染み渡るようだった。
腕の中にいるのは、小さな命――ふわふわの白い毛皮に包まれた、もこもことした子狐だ。
雪のように白い毛並みは陽の光を受けてほのかに輝いている。少し痩せていて、骨ばった感触が指先に伝わるのが切ない。
けれど、その小さな体には不思議な気品があった。二本に分かれた尻尾が揺れ、金色の瞳がじっと俺を見つめ返してくる。
まるで、こちらの言葉を理解しているかのように。
地面にしゃがみ込み、そっと子狐を降ろす。
「ほら。自由だ。……逃げてもいい」
檻もない、鎖もない。空は広い。山も森も続いてる。
だが――子狐は動かなかった。
痩せた体をちぢこませるようにして、その場に座り込み、じっとこちらを見上げている。
(……逃げないのか?)
「もう、大丈夫だって。行っていいんだぞ?」
手を広げてみせる。けれど、子狐はぴくりとも動かず、ただその金色の瞳で俺を見つめ続けていた。
困ったように立ち上がり、背を向けようとすると――足元に、ぽすん、と小さな重み。
「……ついてくるのか?」
問いかけるようにしゃがむと、子狐は短く「きゅっ」と鳴いた。
そして、ぴょん、と跳ねるようにして俺の膝に飛び乗り、肩をつたって、頭の上に乗ってきた。
「お、おい、そこかよ……!」
文句を言いながらも、その柔らかな重みに、なぜか心が落ち着いていく。
その瞬間――不意に、胸の奥がほんのりと温かくなった。
まるで、柔らかな光が灯ったような感覚。何かが、ふわりと俺の中に入り込んできたような……。
(……なんだ、これ)
痛みでも疲れでもない。けれど確かに“何か”が通じた気がした。
「……ったく。お前、遠慮のねぇやつだな」
子狐は軽く尻尾を揺らしながら、こちらを覗き込んできた。
「……一緒に来るか?」
もう一度そう聞くと、子狐は「きゅっ」と小さく鳴いて、ぺたんと頭の上に収まった。
まるでそこが、最初から自分の場所だったかのように。
その様子を見ていた兵衛が、くつくつと笑った。
「若……どうやら気に入られたようですな」
「そ、そうなのか?」
「妖狐は、気に入らぬ相手には決して近づかぬと聞きます。それが頭の上とは……なかなか肝の据わった狐にございますな」
俺が困ったようにため息をつくと、兵衛はなお楽しそうに続けた。
「これはもう、飼い狐……いえ、相棒、でございましょうな」
「いやいや、そんな簡単に……って、降りる気ないなこいつ」
頭の上でふわりと尻尾が揺れた。子狐は居心地よさげに丸くなり、また「きゅっ」と短く鳴いた。
霊核でも、角でもない。……こいつとの出会いが、今日一番の“戦利品”かもしれない。
村へ戻ると、すでに日はとっぷりと暮れていた。空は藍に染まり、東の空にはいくつかの星が瞬いている。
俺たちはその足で、まっすぐ村長のもとへ向かった。事情を聞いていた村人たちも、どこか緊張した面持ちでその後をついてくる。
「これが……奴らの“霊核”です」
俺は袋の中から、小鬼の数だけ取り出して見せた。蒼く脈打つ珠が、火灯しの明かりに照らされ、幻想的な光を放つ。
「こ、こんなに……!」
村長が目を見開いた。周囲の村人たちからも、ざわめきが上がる。
「おぉ……」
「これが、妖の……」
「本当に、倒したんだ……!」
村長は深く息を吐き、静かに頭を下げた。
「よくぞ退治してくださった。これでようやく、夜も安心して眠れる……」
手のひらを胸に当て、まっすぐに俺を見るその眼差しには、確かな信頼が宿っていた。
「約束通り、今宵は小屋で休んでいってくれ。食事も用意させよう。明日以降のことは……また、ゆっくり話そう」
夜――
小屋の片隅に敷かれた藁布団に身を預け、ようやく体を横たえる。
(……長い一日だったな)
朝、兵衛に自分のことを“若”として受け入れてもらったこと。小鬼退治の依頼を請け負い、洞窟で命のやりとりをしたこと。
そして――小さな出会い。
胸元では、白い子狐が小さく丸まって眠っている。少し痩せた体は、もこもこの毛皮に包まれ、時折小さく鼻をひくつかせるたび、ひやりとした空気をかきまぜた。
(さっきまで、干し肉をむしゃむしゃ食ってたくせに……)
苦笑しつつ、指先でその背をそっと撫でる。あたたかくて、やわらかい。
「……不思議だな」
目を閉じると、焚火の音、兵衛の声、村人たちのざわめきが、心の奥に穏やかに広がっていく。
(まるで、巡り合わせのようだ)
兵衛と出会い、子狐と出会い、この“異世界”で確かに何かが始まっている――そんな気がした。
これはゲームなのか、違うのか。答えはまだ出ない。
けれど、ほんの少しだけでも、明日に進める気がしていた。
白い子狐の寝息が、小さく胸元で上下していた。
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