第40話 社畜、イベント戦に挑む
結界が裂ける音が、耳の奥を切り裂くように響いた。黒い裂け目から、巨躯の妖が無理やり身体を押し出してくる。頭部と両腕、そして背の一部――まるで山が崩れ出てきたかのような質量感だ。半身だけでも圧倒的。まともに出させたら、この町は一夜で消える。
「今だ、止めるぞ!」
九条の声が雷鳴のように飛び、全員が同時に動く。
俺は槍を構え、左手で護りの陣符を床に叩きつけた。淡い光が瞬時に広がり、床板の上に円陣を描く。線が走るたび、迫る妖気がじりじりと押し返される。
「玉藻、出し惜しみなしだ。やるぞ――共鳴!」
「きゅっ!」
呼吸が合った瞬間、胸の奥で炎のような熱が爆ぜた。玉藻の金色の瞳が輝き、尾がふわりと揺れる。その光が俺の背中を包み込み、全身を駆け巡る。
耳の奥が熱くなり、髪の間から柔らかな毛並みの耳が突き出す。腰の辺りに重み――尾が生え、風を掻き分ける感覚が背骨を震わせた。
視界が一気に澄み、闇の奥の輪郭までもが鮮明になる。空気の流れ、敵の体温、術式の脈動……すべてが手の内に収まるようだった。
兵衛が大太刀を低く構え、一歩、二歩――足運びが土を静かに踏みしめる。湿り気を帯びた土が、ぎゅ、ぎゅ、とわずかに沈む音を立てた。
「……これは本気を出さねばならんようですな」
低く響く声とともに、肩から腰へと力が落ち、刃先が夜の闇に溶ける。
「はあああ!」
閃光が弾け、兵衛の姿が掻き消えたかと思うと――次の瞬間、妖の左腕を走る深い裂け目が現れた。ざくり、と鱗が割れ、骨の奥まで断ち切られている。血とも瘴気ともつかぬ黒い液体が噴き出し、土に吸い込まれながらじゅっと蒸気を上げた。焦げ臭さが一気に広がり、夜の冷気がひりつく。
「ぐおおおおお――!」
半身だけの咆哮が、建物の屋根瓦を震わせた。
美弦は後方から連射。矢尻に貼られた火符が次々と炸裂し、炎の束が妖の関節を包む。
「九条卿、今!」
「うむ――雷よ!」
九条が起符を弾き、雷符を重ねる。紫電が妖の背へ走り、半ば出かけた後脚が痙攣した。
(動きが鈍った……今だ!)
俺は風符を槍の石突に貼り付け、突き出す瞬間に解放。突風が槍先を押し、渾身の一撃が妖の肩口を貫いた。
「――ッ!」
衝撃で槍がしなる。すぐに封符を投げつけ、傷口に貼り付ける。妖の動きが一瞬止まった――だが、やはり半身でも規模が違う。封印はすぐに軋み、亀裂を走らせる。
霧丸が影のように走り込み、妖の爪を受け流すように飛び退いた。その隙をついて兵衛が関節を狙い、骨ごと叩き斬る。刃が食い込むたび、耳鳴りのような悲鳴が夜空に木霊する。
だが――裂け目の奥からさらに腕が伸びかけている。辰巳が背後で印を結び、術式を修復しようとしていた。
「まだ出す気か!」俺は叫び、火符と雷符を同時に取り出す。
美弦と九条もすぐに呼応。
「合わせるぞ!」九条の合図に合わせ、三方向から符を投げ放った。
――轟音。炎と雷が絡み合い、術式の一部が爆ぜ飛ぶ。裂け目が大きく揺らぎ、妖が押し戻されかける。
「押し切れ!」
兵衛が大太刀を振り抜き、美弦が最大限まで引き絞った矢を放つ。俺は槍を逆手に構え、雷符を槍先に貼りつけて跳び込む――。
槍先が妖の眼窩に突き立ち、雷光が頭部を貫いた。半身の妖が絶叫し、その巨体が裂け目の向こうへとずり落ちていく。
だが――辰巳はまだ笑っていた。
「惜しいわね。完全じゃなければ、別の手を使えばいいだけよ」
次の瞬間、彼女の足元から蓮の花弁のような紋様が浮かび上がる。血と墨を混ぜたような光が、蜘蛛の巣のように地面を這い、周囲の瓦や壁、地面の影にまで侵食していく。
九条が低く唸った。
「……影渡りの術だ。全員、距離を取れ!」
俺たちは即座に跳び退く。だが、遅かった。影の中から、鎌のような腕を持つ異形が次々と這い出してくる。体高は人間の倍、甲殻に覆われた節足の体。目は複眼、牙は獣のようだ。
「魂の残滓をかき集めて式にしたか……!」九条が呟く。
「まったく、姑息な真似を……!」兵衛が舌打ちし、大太刀を振り上げる。
影獣たちが四方から襲いかかる。俺は結界符を投げ、玉藻と美弦の前に防壁を展開。衝撃音が響き、結界が歪む。
「持たせる!」
俺は護りの陣符を追加で重ね、右手で槍を構え直す。防壁越しに突きを放ち、影獣の頭部を串刺しにする。その瞬間、火符を槍の穂先に沿わせ、内部から焼き切った。
兵衛は影獣の突進をいなし、背後から関節を断ち切る。
「はぁッ!」
返す刃で別の影獣の胴を裂き、黒い霧のような血を浴びる。
美弦は矢を連射。風符を付与した矢が疾風となって影獣の複眼を抉り、怯ませる。その隙に雷符矢で胸部を撃ち抜き、焼け焦げた肉片が床に散った。
「止めを刺す!」
九条が結界を一点に収束させ、符を束ねて放つ。白い閃光が影獣の群れを呑み込み、数体が消滅する。
だが、辰巳はまったく動じない。
「いいわ、その調子で暴れてちょうだい。あなたたちの戦いも……糧になるんだから」
彼女が扇子をひらりと返すと、影獣たちの残骸が黒い霧となり、再び術式へと吸い込まれていく。地面に描かれた紋様が脈打ち、次の瞬間、巨大な影の柱が天へ伸びた。
「やばい……この規模、町一つ分を呑むつもりだ!」俺が叫ぶ。
九条が即座に指示を飛ばす。
「中心を断つ! 桐生殿、霧村殿は私と突入! 犬飼殿と霧丸は周囲の影獣を抑えろ!」
「了解!」
俺は符束を左手に握りしめ、槍を正面に構える。美弦が雷符矢を番え、九条が起符を光らせる。
影の柱を突き破るように突撃――。符を連続で叩きつけ、結界符で柱の外皮を封じ、火符で内部を焼く。美弦の雷矢が炸裂し、九条の呪文が柱の根元を削る。
だが、辰巳が片手を掲げると、柱の内部から再び妖の咆哮が響いた。半ば押し戻したはずの巨影が、影を媒介にこちらへ伸びようとしている。
「来るぞッ!」
影の柱が激しく脈打ち、裂け目が再び開く。そこから押し出されるように――あの妖が、半身だけ顕現した。
咆哮と共に、町の瓦屋根が震える。鎌のような角、蛇のような胴、羽虫めいた半透明の翅。足場を探すように影を這わせ、その爪が地面を抉った瞬間、瓦と土が爆ぜた。
「完全に出る前にかたをつける!」九条が叫ぶ。
兵衛が真っ先に駆け込み、大太刀を振り抜く。
「――はッ!」
振り下ろされた刃は、妖の前脚を根元から断ち切る……が、断面から黒い靄が吹き出し、腕の形をすぐに補ってしまう。
「再生するのか……!」兵衛が舌打ち。
美弦は退路を確保しながら符矢を連射。風符矢で翅を裂き、雷符矢で複眼に閃光を走らせる。妖は頭を振り、周囲に高周波の悲鳴のような音を撒き散らす。
「耳を塞げ!」
俺は護りの陣符を足元に叩き、音波を遮る結界を即席で展開。おまけに、符を一直線に妖の口腔へ放り込む。焼け焦げた匂いと共に、妖が大きく仰け反った。
「今だ、押し返せ!」九条が起符を掲げ、巨大な衝撃波を放つ。
兵衛の一閃、美弦の雷矢、霧丸の突進が連続して妖の半身を揺らす。
だが――柱の根元で、辰巳がなおも呪を紡いでいた。彼女の背後に、蓮の花弁が幾重にも重なり、術式の光がさらに増していく。
「無駄よ……核を砕かなければ、何度でも現れるわ」
「理想の世界を作り上げるまで――私は止まらない」
胸の奥が焼けるように熱くなる。
「だからって、こんなやり方が許されるか……!」
符束を握り直し、槍を右手に取る。玉藻が肩で鳴き、耳と尾がふわりと広がった。空気の流れ、地を這う霊気――その全てが一本の糸となって視界に浮かび上がる。その糸は、辰巳の背後、蓮の根元へとまっすぐに収束していた。
「見つけた!」
槍を構えたまま、俺は影の柱を駆け上がった。蓮の根元――黒い核が、脈動するたびに周囲の影が波打つ。そのたび、空気が凍り、骨の芯まで冷えるような圧が押し寄せてくる。
「させない!」
辰巳が扇子を翻し、核の前に影獣を呼び出す。地を割って現れたそれは、四肢が異様に長く、牙は針の束のようだ。
「邪魔だッ!」
槍に風符を重ね、一息に突き抜ける。風の奔流が影獣の胴を裂き、霧のような体が左右に吹き飛んだ。
だが、次の瞬間、影が再び集まり、同じ形を取り戻す。
「何度でも生まれる……!」
「そうよ。何度でも立ち塞がる。私がそうしてきたように!」
辰巳の声は、烈風の中でもはっきりと届いた。
「踏みにじられ、奪われ、それでも立ち上がった! あなたに、その覚悟がある!?」
胸の奥に、怒りと痛みが同時に突き刺さる。あの“作り話”の少女――やはり彼女自身だった。その生き様が、今この場で核となって俺の前に立ちはだかっている。
「覚悟ならある! だが俺は……仲間と、誰も犠牲にせず勝つ覚悟だ!」
玉藻が肩で鳴き、尾が閃く。その光を槍先に集め、雷符と火符を一度に重ねた。蒼白い雷と紅い炎が混ざり合い、刃が獣のように唸る。
影獣が再び飛びかかる――だが突きの一閃で、その頭部が霧散した。そのまま勢いを殺さず、蓮の根元の黒核へ一直線に踏み込む。
「砕けぇぇぇぇッ!!」
槍先が核を貫いた瞬間、耳をつんざく悲鳴が夜空に響き渡る。蓮の花弁が一斉に反り返り、光と闇が入り混じった奔流が四方に爆ぜた。
影の柱が崩れ、裂け目の中の妖が悲鳴を上げて後退していく。その腕も、翅も、蛇のような胴も、闇の向こうに吸い込まれていった。
「そんな……!」
辰巳の瞳に初めて動揺の色が走る。
「終わりだ……!」
九条が印を結び、残滓の影を結界で押し潰す。
柱が完全に消え、夜空に残ったのは、冷たい月明かりと、静寂だけだった。
崩れ落ちる影の残骸の中、辰巳は一瞬だけ俺たちを見つめた。紅い瞳は悔しさと、わずかな哀しみを滲ませている。
「……やっぱり、あなたたちとは相容れないわね」
その声は、夜気に溶けるように低く、しかし確かな決意を孕んでいた。
彼女の足元に再び影が集まり、蓮の花弁が半ばだけ咲く。今度は核を守るものではなく、彼女自身を包み込むための術式だと直感した。
「待て、辰巳!」
九条が踏み込むが、その足を影獣の残骸が絡め取る。
その瞬間――核の脈動が弱まり、柱を形作っていた影が崩れ落ちていった。同時に、夜空を覆っていた渦が解け、淡い光の粒が雨のように降り始める。
それは、町中から吸い上げられていた魂の欠片だった。人々のもとへ、家々の中へ、あるいは路地裏で倒れている者たちの胸へと、ひとつ、またひとつ還っていく。光が触れるたび、苦しげだった表情がゆるみ、微かな吐息とともに安らぎが戻るのが見えた。
「……っ」
安堵の息がもれる。だが、油断はできない。
断ち切る間もなく、辰巳の姿は闇に沈んでいった。最後に、闇の中から声が響く。
「次に会うときは……きっと私が勝つ」
そのまま影は地面に吸い込まれ、気配が完全に消えた。
俺たちは残された静寂の中で、互いに息を整える。胸の奥に、重く冷たい感覚が居座り続けていた。
玉藻が小さく鳴き、俺の肩で落ち着かない様子を見せる。
「……終わってないな」
口にした言葉が、夜の静けさに不釣り合いなほど重く響いた。
【槍術スキルの熟練度が上昇しました】
【陰陽術スキルの熟練度が上昇しました。等級がラックアップしました】
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