第3話 社畜、爺と向き合う
朝靄が、まだ森の中を漂っていた。
湿り気を含んだ空気に包まれた小さな空き地。その片隅、土の感触が背中に残る場所で、俺は目を覚ました。
体を起こすと、鼻先をかすめるのは、焚火の残り香。
「起きられましたか、若」
低く穏やかな声が、耳に届いた。
焚火に薪を足していた兵衛が、ちらりとこちらを見る。
「そこの小川で顔を洗われては」
「ああ……」
返事というより、ただ声が漏れただけのように聞こえた。まだ頭がぼんやりしていて、夢と現実の境界をふわふわと漂っているような気分だった。
重たい足を引きずり、小川へ向かう。朝の静けさに包まれ、細い流れの水音が、妙に鮮明に響いてくる。
しゃがみ込んで、冷たい水を両手ですくい、顔を覆う。
そのとき、ふと――水面に目が留まった。
そこに映っていたのは、自分の顔のはずだった。けれど、どこか違う。
深い蒼の目が、じっとこちらを見返している。
理知的で、どこか寂しげな瞳。端正な顔立ち。頬には、乾いた血と泥の痕。額の髪は青墨色に乱れ、長く垂れていた。
ゲームでキャラクリした戦国の若武者。まぎれもなく――霧村正虎だった。
呼吸が浅くなり、胸の内側で、心臓の鼓動がざわめく。
(……これが、俺?)
そう理解した瞬間、背筋がぞくりと冷えた。
昨日の戦い。兵衛の声。槍の手応え。血の匂い。
それらすべてが、ただの記憶ではなく、“現実”として胸に迫ってきた。
……夢なんかじゃ、なかった。
腹の底に、重く沈むような感覚が広がる。
何度水で顔を洗っても、目覚める感覚は得られなかった。
俺は、本当に――この異世界に、来てしまったんだ。
焚火のもとへ戻ると、兵衛は朝の支度を終え、鉄鍋で湯を静かに沸かしていた。
ふと、疑問が頭をもたげる。
――昨日見た“ステータス”。あれは、俺だけのものなのか? それとも、この世界の住人たちも普通に見ているのか?
「爺。……ステータスって、知ってるか?」
竹の水筒に湯を注いでいた兵衛が、ふと手を止めた。
「すてぇたす……? はて、それは、まじないか何かですかな?」
やはり、知らないようだった。
「……俺にしか、見えないのか」
呟いた言葉が、自分の耳にも妙に乾いて聞こえた。
ステータスは、誰にでもあるものではない? それとも、見る手段が違う? それとも――
この世界において、俺だけが“異物”なのか。
考えても答えは出ない。けれど、知る必要がある。
俺は意識を集中させ、“ステータス”を呼び出した。
視界に再び浮かび上がる、青白い光の画面。
昨日はあまり確認できなかった。改めて、くまなく目を通してみる。もしかしたら、“ログアウト”ボタンがどこかに……
――なかった。
当たり前だ。あったらとっくに押してる。
代わりに、昨日は見落としていた情報がいくつも目に入った。
スキルの等級、熟練度の数値。称号や流派の簡易解説。
項目を注視すると、ふわりと光を帯びながら、より詳細な説明が浮かび上がる。
表示されたスキルの等級と、称号、流派の詳細は以下だった。
――――――――――
■スキル等級(十段階)
① 入門:道の端に立った段階。用語や基本動作を覚えはじめ、技能世界の「入口」に足を踏み入れる。体験・模倣の段階。(100~999)
② 初伝:初歩の型・理論・作法を習得。知識はあるが技術は未成熟で、成功と失敗が混在する。不安定な成果。(1,000~1,999)
③ 修練:繰り返し実践を積み、自分の基礎が定着する段階。一定の成果が出せるようになるが、応用はまだ未熟。(2,000~4,999)
④ 中伝:実用水準に到達。実戦・実務において一定の信頼を得られるレベルで、応用や連携にも対応できる。(5,000~9,999)
⑤ 皆伝:一通りの技能体系を理解し、自他に教示できる段階。技の背後にある理念や構造にも通じている。(10,000~19,999)
⑥ 練極:己の癖や資質を認識し、技に工夫と独自性を加える段階。型を破り、“自らの流儀”を築き始める者も現れる。(20,000~49,999)
⑦ 極意:あらゆる状況に対応し、技を自在に操る熟練者。技と心が一体化し、体系を超えて“奥義”が自然と芽生える域。(50,000~99,999)
⑧ 奥伝:奥義を自在に振るい、その本質を語ることさえ可能な段階。もはや流派の礎を担う“継承者”としての風格を持つ。(100,000~19,9999)
⑨ 秘奥(ひおう:世に伝わらぬ秘技・禁術・裏伝を会得した者。伝説や神話にその名を遺すこともある、技の深奥に至った存在。(200,000~999,999)
⑩ 神域:万象の理を越えた霊的・象徴的な存在。もはや“技”という言葉で語ることすら難しく、神話級の力を宿す者の域。(1,000,000~)
■傭兵(仮)
―身分なき武人。定められぬ道を行く者―
特定の主君や勢力に属さず、戦場を渡り歩く流れ者。正規の武士階級からも逸れた存在だが、同時に最も自由で柔軟な生き方でもある。
ただし、それは仮の姿。
■霧霞流
―霧に紛れ、霞のごとく舞い、敵の隙を突く槍術の流派―
かつて山間の霧深き隠れ里で磨かれた戦技。奇襲・伏兵・攪乱に特化し、槍に体術や視界妨害を組み合わせる。
その一撃は「刺す」より「導く」もの。敵の意識を翻弄し、錯覚させた末に刃を届かせる戦法をとる。
秘奥義では陰陽術を融合し、霧を操って敵陣を攪乱することすら可能とされる。
「敵の目を欺き、心を惑わす。それが霧霞の道なり」
■無影流
―斬撃に影なし、姿を見せぬ剣の流派―
名を持たぬ隠れ里に起源を持つ幻の剣術。音も気配も殺し、斬る前にすでに斬られている――そんな無音の一太刀を極める。
構えも形も存在せず、「殺気を断ち、気配を断つ」ことから始まる修行。忍術との親和性が高く、主に諜報・暗殺の任に用いられた。
「影がある限り、斬られる。それを捨てよ――無影の剣は、心をも斬る」
――――――――――
(……まるで、本当にRPGみたいだな)
浮かび上がったステータス画面を見つめながら、ぼんやりとそんなことを思った。
称号、流派、スキル――すべてが、まるでしっかり作り込まれたファンタジーRPGのインターフェースのように、整理され、整然と表示されている。
けれど、これは“画面”ではない。
モニター越しでも、HUDでもなく、自分の視界そのものに――まるで頭の内側から、直接重ねられているような、奇妙な感覚だった。
現実とも夢ともつかない状態に、意識が少しずつ遠のいていく――そんなときだった。
「若、……いかがなされました?」
兵衛の声が、静かに耳に届いた。
その瞬間、思考の靄が晴れ、現実へと引き戻された。
視線を上げると、すぐそばに、兵衛の顔があった。
焚火の湯気の向こう、眉をひそめ、心配そうにこちらを見つめている。
――そのときだった。
(……えっ)
兵衛の頭上、視界の端に、ふわりと青白い文字列が浮かび上がった。
――――――――――
名前:犬飼 兵衛 重信(いぬかい ひょうえ しげのぶ)
年齢:51歳
称号:霧の番犬/忠義の剣
流派:霧霞流(槍)/朧一文字流(剣)/風見流(投擲)
《スキル》
・槍術 :【皆伝】★★★★★☆☆☆☆☆(19,823/20,000)
・剣術 :【極意】★★★★★★★☆☆☆(51,452/100,000)
・弓術 :【中伝】★★★★☆☆☆☆☆☆(3,943/10,000)
・騎乗術 :【中伝】★★★★☆☆☆☆☆☆(7,028/10,000)
・鎧術 :【皆伝】★★★★★☆☆☆☆☆(15,384/20,000)
・体術 :【皆伝】★★★★★☆☆☆☆☆(11,953/20,000)
・兵法 :【皆伝】★★★★★☆☆☆☆☆(15,795/20,000)
・統率術 :【中伝】★★★★☆☆☆☆☆☆(2,497/10,000)
・手裏剣術:【中伝】★★★★☆☆☆☆☆☆(6,364/10,000)
・隠密術 :【中伝】★★★★☆☆☆☆☆☆(3,778/10,000)
・修理術 :【中伝】★★★★☆☆☆☆☆☆(8,237/10,000)
・交渉術 :【初伝】★★☆☆☆☆☆☆☆☆(1,597/2,000)
・筆術 :【修練】★★★☆☆☆☆☆☆☆(3,573 / 5,000)
・礼法 :【修練】★★★☆☆☆☆☆☆☆(2,563 / 5,000)
・舞 :【入門】★☆☆☆☆☆☆☆☆☆(735/1,000)
・絵画 :【入門】★☆☆☆☆☆☆☆☆☆(123/1,000)
――――――――――
(舞? 絵画?)
思わず、口にしてしまっていた。
「爺、……舞と絵、好きなのか?」
言ったあとで、なんとも変な質問だったなと思う。けれど、兵衛は一瞬ぽかんとしたあと、眉を下げて、ふっと照れたように笑った。
「……あっ。いつからご存じだったので?」
「いや……なんとなく、見えたんだ。お前の“能力”がさ」
「はは……舞も絵も、ほんの下手の横好きにございます。ただ、かつて主家に仕えていた折には、宴席で興を添えられればと、少しばかり嗜んでおりました」
どこか照れくさそうに頭を掻くその仕草に、不思議と胸が温かくなった。
戦場では鋭く頼もしいのに、こうして話していると、実に人間くさい。
――この人、本当に“生きてる”んだな。
自然と、俺の頬にも笑みが浮かんでいた。
「なんか意外だったけど……でも、納得できるよ。あんた、そういうのも似合う」
「恐縮です。こう見えて、昔はもう少し……柔らかい顔もしておりましたよ」
焚火の灯が揺らめき、兵衛の古傷を優しく照らす。その皺の奥に、一瞬だけ浮かんだ照れの色が、なんだか眩しかった。
「……それで、若。ひとつ、よろしければお尋ねしても?」
「ん、なに?」
「先ほど、拙者の“能力”が見えたと仰いましたな。いったい、どういうことなので?」
「……ああ、それか」
少し迷ったが、俺は包み隠さず話すことにした。
「“ステータス”っていうのが見えるんだ。自分のも、人のも。スキル…技能とか……その人の情報が、視界に表示される。たぶん、俺にしか見えない」
信じてもらえる自信はなかった。だが、兵衛は驚いたように目を見開き、それから真剣な顔に戻る。
「……もしそれが真であれば、若は何か、特別な“目”をお持ちなのやもしれませぬな。いつから、そのような力を?」
「昨日の……戦の最中、だと思う」
兵衛は腕を組み、ふむ、と小さく頷いた。
「それで昨日は、あのように呆然となされていた……なるほど、腑に落ちました」
そして、俺は意を決して、もう一歩踏み込む。
「なあ、爺……俺、実は……正虎じゃない。いや、正確には――昨日までは違ったんだと思う」
兵衛は目を細め、焚火を見つめたまま、静かに耳を傾けている。
「俺は、昨日まで“別の場所”にいた。そこでゲームをしていて、気づいたらこの世界に来て、気づいたら……“霧村正虎”になってたんだ。キャラクリで作った設定のままで、ここにいる」
「だからたぶん……俺は本当の正虎じゃ、ないんだと思う」
そう言い終えたとき、喉が詰まりそうになった。
兵衛の顔を見るのが、怖かった。
だが――
「……半分は、よくわかりませぬな」
苦笑ともつかない声とともに、兵衛は静かに言った。
「ですが、正虎様が混乱なされているのは、ようくわかります」
「いや、でも俺は――」
「何を仰いますか。正虎様は、正虎様にございます」
その言葉に、俺は息をのんだ。
「昨日の戦。あの霧霞流の槍さばき、あの眼差し。それはまさしく、拙者が幼き頃より見守ってきた、正虎様のものでした」
「そして、もし仮に――仮にですよ? あなた様が“正虎様ではなくなっていた”のだとしても、この兵衛が、それに気づかぬとお思いですか?」
「……っ」
「異なる世界の何かと混ざったのやもしれませぬな。されど異能とは、元より理を超えたもの。不可思議こそが、常に真理の傍にございます」
そして、ゆるぎない声で、静かに告げる。
「それでも。今、ここに在る“正虎様”が、拙者の主にございます。それで、十分ではありませんかな?」
視界が、滲んだ。
何も言えなくて、ただ黙ってうなずくしかなかった。
(……なんなんだよ、この人……)
たったひと言、「お前は正虎だ」と言われただけで、こんなにも救われるなんて――
「ありがとう、爺……」
「我が務めにございます、若」
兵衛は、いつものように穏やかに微笑んだ。けれどふと、気まずそうに頬をかいた。
「ところで……私の舞や絵の技能、いかがでしたかな?」
思わぬ言葉に、思わず吹き出してしまう。
「十段階中の一段目、“入門”だったぞ。ほんとに下手の横好きだな」
「ははは……まったく、仰る通りにございますな」
笑い合うその時間が、ひどく心地よかった。
――“ゲームをクリアして元の世界に戻る”。その希望は、まだ捨てていない。
けれど、もし叶わなかったとしても――
この世界で、生きていくのも悪くない。
そんなふうに、少しだけ、思えた。
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